「人質司法」タグアーカイブ

>RT (・∀・)あはははははは!/深澤諭史弁護士

– 投稿者:fukazawas(深澤諭史) 日時:2015/05/15 11:32 ツイート: https://twitter.com/fukazawas/status/599039621062791168

– 投稿者:nodahayato(弁護士 野田隼人) 日時:2015/05/15 11:31 ツイート: https://twitter.com/nodahayato/status/599039487889440768

痴漢冤罪の問題って、日本の刑事裁判における人質司法、自白偏重、事実上の有罪推定等という普遍的な問題に起因するんだけどね。/小倉秀夫弁護士

– 投稿者:Hideo_Ogura(小倉秀夫) 日時:2015/04/19 12:42 ツイート: https://twitter.com/Hideo_Ogura/status/589635182711341056

刑事司法改革で法務省は来年の通常国会に刑訴法改正案などを提出する方針だ。取り調べの録音・録画(可視化)の義務化などが柱

起訴前の勾留は通常、最長20日間で、刑事訴訟法は要件の一つに「隠滅すると疑うに足りる相当な理由」を挙げる。だが、実際は抽象的な「隠滅のおそれ」でも認められている、との批判が根強い。

 勾留請求却下率はこの10年で上昇したが、それでも昨年で1・6%だ。裁判所は、批判に真摯(しんし)に耳を傾ける必要がある。

 起訴後の勾留の在り方も問われている。この段階では捜査が終わり、証拠は保全されている。なのに保釈がなかなか認められないケースが依然として少なくない。

 ただ、裁判員裁判事件を中心に裁判所の姿勢に変化が見られる。

 審理への支障がなければ、できる限り保釈を認め、弁護人との打ち合わせなど公判の準備を十分できる環境を確保する―。裁判の迅速化という要請に応えるためだ。

 こうした運用は裁判員事件以外にも積極的に広げるべきだが、それだけで解決できるだろうか。

 刑事司法改革で法務省は来年の通常国会に刑訴法改正案などを提出する方針だ。取り調べの録音・録画(可視化)の義務化などが柱で、法制審議会の答申を受けた。

 残念なのは法制審特別部会で勾留と在宅の中間に当たる処分の創設を検討しながら意見がまとまらずに採用が見送られたことだ。

 証拠隠滅などのリスクを確実に減らしつつ、身柄を拘束しない仕組みは不可欠だ。国会は立法府としての責任を果たしてほしい。

引用:勾留制度 安易な拘束は慎みたい-北海道新聞[社説]

裁判所が弁護人・被告人に無理な主張はするな,合理的な主張をしろっていうのであれば,人質司法を止めてからにしてほしい/深澤諭史弁護士

人質司法に加担している裁判所の責任や、冤罪を招いた裁判官の責任の追及など、もっと本質的なところでしっかりとやれ!と思う/ジャーナリスト江川紹子

【コラム 江川紹子】人質司法が虚偽の供述と冤罪を作り出す/ジャーナリスト江川紹子

【7月14日、さくらフィナンシャルニュース=東京】

●否認を貫くも起訴

マスメディアにとって、被害者証言で伝える価値があるのは、被害感情を訴える場面だけなのだろうか……。先日のPC遠隔捜査事件の裁判を伝える報道ぶりに、そんな疑問を抱いた。

第12回公判に、大阪府警に誤認逮捕されたAさん(男性、40代)が、検察側証人として出廷した。逮捕を報じられた時のダメージが大きく、その後も一切取材に応じてこなかったAさんの出廷とあって、各メディアの記者が傍聴していた。

改めて説明するまでもなく、この事件では4人が誤認逮捕され、うち2人が虚偽の自白に追い込まれた。
その後逮捕された片山祐輔被告は、当初は否認していたが、保釈後に別の真犯人の存在を偽装するメールを発信したことが発覚し、再収監されてからは、起訴事実を全面的に認めている。

Aさんは否認を貫いたが、起訴された。起訴後も保釈されず、勾留が続いた。三重県で誤認逮捕された人のPCが感染したの同じ遠隔操作プログラムの痕跡がAさんのPC内にもあることが分かり、釈放された。

そのAさんの片山被告に対する処罰感情は厳しい。

「一生(刑務所の中に)入っていただきたいが、それは難しそうなので、30年ぐらいは入って反省して欲しい」

この言葉は、各メディアで報じられた。伝えられていないのは、その後の証言だ。

処罰感情についての証言で、検察がAさんに証人に出てもらった目的は達した。だがその後、検察官は「他に、何か言いたいことは」とAさんに発言を促した。おそらくAさん自身が、「証言するからには、どうしても言いたいことがある」と、事前に伝え、この質問をしてもらったのだろう。

Aさんは、次のように述べた。

「私みたいな、本当に間違って入れられている否認者もいると思うんで、否認者が苦しくなるような、苦しい立場になるようなことはやめて欲しいな、と。否認している人は、往生際が悪いとか、保釈すると証拠隠滅するとか、思わないで欲しい」

誤認起訴された後、Aさんは保釈を求めたが、裁判所は「罪証隠滅の恐れがある」などとして認めなかった。拘置所の中で、「自分はPCに詳しくないし、証拠品は全部(警察に)もっていかれていた。証拠隠滅できる方法なんてあるのか…」と考え込んだ、という。

●想像力の欠如した裁判官たち

勾留は、「罪証隠滅のおそれ」や「逃亡のおそれ」がある場合に限られるが、実際には、Aさんのように否認をしていると、そのどちらかの「おそれ」があるとして、検察側が保釈に反対する。検察側が反対すると、裁判所はそれに影響されて、保釈をなかなか認めない。結局、否認している人は、長く身柄拘束される、ということになる。

厚生労働省局長だった村木厚子さん(現在は同省事務次官)が巻き込まれた郵便不正事件もそうだった。逮捕・起訴された関係者の中で、唯一否認していた村木さん1人が、「罪証隠滅のおそれ」「逃亡のおそれ」があるとして長く拘置所に留め置かれた。
実際にニセの証明書を作るなどの不正をした係長や他の関係者は、村木さんが事件に関与したとする検察側のストーリーに沿った調書の作成に協力し、起訴と同時に保釈になった。この係長は、検察側の言う通りに認めないと、いつまでも身柄拘束が続く恐怖から、事実に反する調書作成に協力してしまったのだった。

こんな風に、否認していると長期の身柄拘束がなされるという「人質司法」は、しばしば虚偽の供述を生み、冤罪を作り出す。また、村木さんは「裁判も始まらないうちから、罰を受けているようなもの」と指摘する。

ところが、身柄拘束について判断をする裁判所は、この現状を全く問題だと感じていないようだ。

捜査・公判のあり方を検討していた法制審議会「新時代の刑事司法制度特別部会」でも、身柄拘束の問題は話題になったものの、警察・検察だけでなく裁判所を代表している委員の反応は鈍く、現状は「慎重かつ適切な判断がなされている」という認識だった、という。同特別部会がこのほどまとめた答申案でも、身柄拘束については、格別に改善の提言がされることなく終わってしまった。同特別部会の委員を務めた映画監督の周防正行さんは、「身柄を拘束される苦痛について、裁判官の想像力がなさ過ぎる」と嘆く。

現状に問題があるという認識が共有できなければ、改善策を考える段階に至らない。であれば、まずは現在の問題を、ことあるごとにきちんと伝えるのがジャーナリズムの責務というものだろう。なのに、私が見た限り、どこのマスメディアも、Aさんの貴重な証言を伝えていない。これでは、「人質司法」という日本の刑事司法の悪しき慣習について、多くの人が現状を認識することはなく、事態はなかなか改善しないだろう。

被害感情を伝えるだけがジャーナリズムの役割ではない、と思う。【了】

えがわ・しょうこ/1958年、東京都出身。早稲田大学政治経済学部卒。1982年〜87年まで神奈川新聞社に勤務。警察・裁判取材や連載企画などを担当した後、29歳で独立。1989年から本格的にオウム真理教についての取材を開始。現在も、オウム真理教の信者だった菊地直子被告の裁判を取材・傍聴中。「冤罪の構図 やったのはお前だ」(社会思想社、のち現代教養文庫、新風舎文庫)、「オウム真理教追跡2200日」(文藝春秋)、「勇気ってなんだろう」(岩波ジュニア新書)等、著書多数。菊池寛賞受賞。行刑改革会議、検察の在り方検討会議の各委員を経験。オペラ愛好家としても知られる。個人blogに「江川紹子のあれやこれや」(http://bylines.news.yahoo.co.jp/egawashoko/)がある。

引用:【コラム 江川紹子】人質司法が虚偽の供述と冤罪を作り出す – Sakura Financial News | 9999 –

現状に問題があるという認識が共有できなければ、改善策を考える段階に至らない。であれば、まずは現在の問題を、ことあるごとにきちんと伝えるのがジャーナリズムの責務と/ジャーナリスト江川紹子

●否認を貫くも起訴

マスメディアにとって、被害者証言で伝える価値があるのは、被害感情を訴える場面だけなのだろうか……。先日のPC遠隔捜査事件の裁判を伝える報道ぶりに、そんな疑問を抱いた。

第12回公判に、大阪府警に誤認逮捕されたAさん(男性、40代)が、検察側証人として出廷した。逮捕を報じられた時のダメージが大きく、その後も一切取材に応じてこなかったAさんの出廷とあって、各メディアの記者が傍聴していた。

改めて説明するまでもなく、この事件では4人が誤認逮捕され、うち2人が虚偽の自白に追い込まれた。
その後逮捕された片山祐輔被告は、当初は否認していたが、保釈後に別の真犯人の存在を偽装するメールを発信したことが発覚し、再収監されてからは、起訴事実を全面的に認めている。

Aさんは否認を貫いたが、起訴された。起訴後も保釈されず、勾留が続いた。三重県で誤認逮捕された人のPCが感染したの同じ遠隔操作プログラムの痕跡がAさんのPC内にもあることが分かり、釈放された。

そのAさんの片山被告に対する処罰感情は厳しい。

「一生(刑務所の中に)入っていただきたいが、それは難しそうなので、30年ぐらいは入って反省して欲しい」

この言葉は、各メディアで報じられた。伝えられていないのは、その後の証言だ。

処罰感情についての証言で、検察がAさんに証人に出てもらった目的は達した。だがその後、検察官は「他に、何か言いたいことは」とAさんに発言を促した。おそらくAさん自身が、「証言するからには、どうしても言いたいことがある」と、事前に伝え、この質問をしてもらったのだろう。

Aさんは、次のように述べた。

「私みたいな、本当に間違って入れられている否認者もいると思うんで、否認者が苦しくなるような、苦しい立場になるようなことはやめて欲しいな、と。否認している人は、往生際が悪いとか、保釈すると証拠隠滅するとか、思わないで欲しい」

誤認起訴された後、Aさんは保釈を求めたが、裁判所は「罪証隠滅の恐れがある」などとして認めなかった。拘置所の中で、「自分はPCに詳しくないし、証拠品は全部(警察に)もっていかれていた。証拠隠滅できる方法なんてあるのか…」と考え込んだ、という。

●想像力の欠如した裁判官たち

勾留は、「罪証隠滅のおそれ」や「逃亡のおそれ」がある場合に限られるが、実際には、Aさんのように否認をしていると、そのどちらかの「おそれ」があるとして、検察側が保釈に反対する。検察側が反対すると、裁判所はそれに影響されて、保釈をなかなか認めない。結局、否認している人は、長く身柄拘束される、ということになる。

厚生労働省局長だった村木厚子さん(現在は同省事務次官)が巻き込まれた郵便不正事件もそうだった。逮捕・起訴された関係者の中で、唯一否認していた村木さん1人が、「罪証隠滅のおそれ」「逃亡のおそれ」があるとして長く拘置所に留め置かれた。
実際にニセの証明書を作るなどの不正をした係長や他の関係者は、村木さんが事件に関与したとする検察側のストーリーに沿った調書の作成に協力し、起訴と同時に保釈になった。この係長は、検察側の言う通りに認めないと、いつまでも身柄拘束が続く恐怖から、事実に反する調書作成に協力してしまったのだった。

こんな風に、否認していると長期の身柄拘束がなされるという「人質司法」は、しばしば虚偽の供述を生み、冤罪を作り出す。また、村木さんは「裁判も始まらないうちから、罰を受けているようなもの」と指摘する。

ところが、身柄拘束について判断をする裁判所は、この現状を全く問題だと感じていないようだ。

捜査・公判のあり方を検討していた法制審議会「新時代の刑事司法制度特別部会」でも、身柄拘束の問題は話題になったものの、警察・検察だけでなく裁判所を代表している委員の反応は鈍く、現状は「慎重かつ適切な判断がなされている」という認識だった、という。同特別部会がこのほどまとめた答申案でも、身柄拘束については、格別に改善の提言がされることなく終わってしまった。同特別部会の委員を務めた映画監督の周防正行さんは、「身柄を拘束される苦痛について、裁判官の想像力がなさ過ぎる」と嘆く。

現状に問題があるという認識が共有できなければ、改善策を考える段階に至らない。であれば、まずは現在の問題を、ことあるごとにきちんと伝えるのがジャーナリズムの責務というものだろう。なのに、私が見た限り、どこのマスメディアも、Aさんの貴重な証言を伝えていない。これでは、「人質司法」という日本の刑事司法の悪しき慣習について、多くの人が現状を認識することはなく、事態はなかなか改善しないだろう。

被害感情を伝えるだけがジャーナリズムの役割ではない、と思う。【了】

えがわ・しょうこ/1958年、東京都出身。早稲田大学政治経済学部卒。1982年〜87年まで神奈川新聞社に勤務。警察・裁判取材や連載企画などを担当した後、29歳で独立。1989年から本格的にオウム真理教についての取材を開始。現在も、オウム真理教の信者だった菊地直子被告の裁判を取材・傍聴中。「冤罪の構図 やったのはお前だ」(社会思想社、のち現代教養文庫、新風舎文庫)、「オウム真理教追跡2200日」(文藝春秋)、「勇気ってなんだろう」(岩波ジュニア新書)等、著書多数。菊池寛賞受賞。行刑改革会議、検察の在り方検討会議の各委員を経験。オペラ愛好家としても知られる。個人blogに「江川紹子のあれやこれや」(http://bylines.news.yahoo.co.jp/egawashoko/)がある。

引用:【コラム 江川紹子】人質司法が虚偽の供述と冤罪を作り出す – Sakura Financial News | 9999 –

それが、「人質司法」の追い風になるような悪しき結果につながらないようにすることは、我が国の刑事司法の問題を真摯に考えようとする者にとっての責務である/郷原信郎弁護士

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PC遠隔操作事件を「人質司法」の追い風にしてはならない
投稿日 2014年5月23日 投稿者: nobuogohara

PC遠隔操作事件で、昨年2月の逮捕以来、一貫して犯行を全面否認してきた片山祐輔被告人(以下、「片山被告」)が、別人の真犯人を装うメールを自作自演していたことが明らかになり、弁護人に、起訴事実すべてについて自らの犯行であることを認め、保釈が取消となって、片山被告は収監された。

そして、5月22日の公判で、片山被告は、「全部事実です」と一転して起訴内容を認め、「申し訳ありませんでした」と謝罪した。

一年余りにわたって、捜査、公判での警察・検察側と弁護側との全面対決が大きな注目を集めてきた今回の事件は、これで全面解決に向かうことになるであろう。

この事件をめぐっては、警察、検察及び裁判所の捜査、公判での対応に関して、様々な問題が指摘されてきた。

私は、片山被告が逮捕された後に、【PC遠隔操作事件:反省なき「有罪視報道」の構図】と題して、捜査側の情報のみを一方的に垂れ流すマスコミの「有罪視報道」の問題を指摘したが、それ以降は、当ブログでも、ツイッターでも、この事件についての発言は全く行わなかった。

片山被告が、犯人であるのか否かという点に確証がつかめないこの事件について、刑事司法全般に関わる重要な問題点と関連づけて論評することに躊躇を覚えたからだ。

もちろん、刑事事件の捜査・公判に関して問題があれば、片山被告が真犯人であろうとなかろうと、問題として指摘すべきだという意見も、それはそれで正しい。

しかし、今回の事件は、PC遠隔操作によって罪もない人達を多数誤認逮捕させたという重大な個人犯罪である。真犯人が検挙されなければ、今後も同様の事案が再発する可能性がある。片山被告が犯人であることが、単に「判決で認定された」というだけではなく、本人も認め、客観的な事実として明らかになれば、警察・検察の捜査や裁判所の対応が、基本的には肯定的な評価を受けることになる。そういう結末があり得る事件に関連づけて、捜査・公判をめぐる重要な一般的問題を論じることには、ある種の「危うさ」を感じたというのが、この事件について私が発言を控えてきた理由だった。

片山被告が真犯人であることが明白になった現時点において、この事件で争点とされたことを改めて整理し、刑事司法に関する一般的な問題についての議論への影響を考えてみたい。

「罪証隠滅の恐れ」の拡大と「人質司法」の助長

第一に、今回の事件の刑事手続に関する大きな問題の一つとして、公訴事実を否認しているというだけで「罪証隠滅の恐れ」が拡大解釈され、実際には殆どその恐れがない場合でも、保釈が認められず、長期の身柄拘束が続く「人質司法」の問題がある。

片山被告は、起訴後も、罪証隠滅の恐れがあるとされて、保釈が認められず、身柄拘束が続いた。しかも、弁護側が検察官請求証拠に同意し、証拠が採用された後も、検察官は、保釈に強く反対し、東京地裁も、保釈請求を却下し続けていた。2014年3月4日に、東京高裁が、東京地裁の保釈請求却下決定を取り消し、保釈保証金1,000万円で保釈を許可する決定をしたことで、片山被告は、逮捕から1年1か月近く経って初めて、身柄拘束を解かれた。

片山被告の事件審理を行っていた東京地裁と検察官は、「罪証隠滅の恐れあり」と判断し、東京高裁は、その恐れがないと判断した。結果的には、片山被告が行った「真犯人メール」の自作自演を行ったことが明らかになり、罪証隠滅は現実のものとなった。

これまで、保釈の可否の判断などで想定される「罪証隠滅」というのは、検察官立証で証人尋問が予定されている場合に、その証人と口裏合わせをして自己に有利な証言をさせるというような「検察官立証に妨害する行為」だった。ところが、片山被告が行ったのは、検察官立証とは全く無関係に、真犯人が別にいることを示す証拠を、一からねつ造するという行為だった。

従来は、全面否認している被告人でも、検察官立証が概ね終了すれば、「罪証隠滅の恐れがなくなった」として保釈されるのが一般的だった。しかし、今後、保釈の可否の判断に当たって、片山被告が行ったような、「真犯人が別にいる証拠をねつ造する」という罪証隠滅が行われる可能性を想定しなければならないとすれば、犯人性を否認する被告人については、検察官立証がどこまで進んでいようと、判決が出るまでは「罪証隠滅の恐れ」が常に存在することになる。それを理由に保釈請求が却下されるということになれば、「人質司法」を一層助長する結果を招くことになりかねない。

片山被告が行った余りに身勝手な行動は、今後、無実を訴える被疑者、被告人の長期間の身柄拘束が正当化されることにつながりかねない。それだけに、今回の事件の動機・背景も含め、その特異性が、今後の公判の審理の中で十分に解明されなければならないであろう。

この点に関して重要なことは、片山被告が真犯人であることが明らかになった以上、本件の警察、検察、裁判所の捜査・公判の経過の中で、問題として指摘できる点があったとしても、同被告人を逮捕・起訴して処罰しようとしたという基本的な方向性に間違いはなかったということを認めた上で議論すべきだということである。

PC遠隔操作という特異な事件ではあったが、真犯人の片山被告は、どう悪あがきしようと、最終的には有罪判決を受け、犯した罪に応じた処罰を受けることは避けられなかったと考えられる。

そういう視点で見れば、高裁の保釈許可決定は、決して間違ってはいなかったということになる。今回、片山被告が、保釈後に、露骨な無罪証拠のねつ造を行ったことが、自ら犯人性についての決定的な証拠になった。真犯人であれば、保釈された後に、罪証隠滅を図ろうとしても、結局のところ、自ら墓穴を掘って、自ら犯行を認めざるを得ない状況に追い込まれるだけであり、罪証隠滅など決して成功するものではない、と理解すべきである。

特捜部が起訴した事件などでは、起訴事実を否認する被告人を、関係者と通謀(口裏合わせ)をする「罪証隠滅」の恐れがあるとして長期間身柄拘束をすることが当たり前のように行われてきた。それは、検察が作り上げたストーリーを、供述調書によって立証しようとしているために、そのストーリーが崩される可能性として、関係者との接触、口裏合わせの防止に腐心しないといけないということである。しかし、仮に、そのような口裏合わせによって、公判での立証が妨げられるとすれば、関係者が、供述調書の内容に反する証言が行われ、なおかつ、それが真実に反する「偽証」だった場合であるが、被告人が敢えてそれを画策しようとすれば、「偽証教唆」のリスクを覚悟しなければならない。そういう意味では、「罪証隠滅の恐れ」というのは、実は杞憂に過ぎない場合も多い。

だからこそ、今回の事件での片山被告の行動が、日本の刑事司法に特有の「人質司法」を助長する結果になることがないよう、今後の事件での裁判所の保釈の判断の動向については、注視していかなければならない。片山被告の「真犯人なりすましメール」の自作自演にはやや稚拙な面があり、もう少し上手にやっていたら露見せず、無罪判決を受けていた可能性があると見ることもできないわけではない。しかし、冷静に、合理的に行動できないからこそ「犯罪者」なのである。罪証隠滅の成功の可能性を過大視し、「警察、検察の現状では、真犯人を処罰できない結果に終わった可能性がある」という見方をすることは、警察、検察にさらなる捜査手段を与えるべき、という議論につながり、捜査権限の強化、「人質司法」を助長することになりかねない。

「取調べの可視化」議論と結びつけることの是非

第二は、「取調べの可視化」との関係だ。

本件では、弁護側が被疑者の取調べの可視化を要求し、それが受け入れられないことを理由に取調べを拒絶した。検察官が可視化に応じれば、片山被告も取調べに応じ、そこで、客観的根拠を提示して追及していれば、早期に自白が得られた可能性がある、との見方がある。

しかし、本件で、仮に、弁護側の要求を受け入れて取調べを可視化したとすれば、それ以降、検察は、すべての事件で、弁護側の可視化要求を受け入れることにならざるを得ない。個別の事件で、検察にそのような決定を迫ることが、果たして妥当と言えるであろうか。

私は、取調べの録音録画がすべて刑事公判での直接証拠として使用されるという、現状のままの取調べを全面可視化することには、必ずしも賛成ではない。弁護人も立ち会わず、検察官の質問にさらされる取調べの場での供述と、公判における裁判官、弁護人の前での被告人質問による供述の、どちらを重視すべきなのかは、慎重に検討すべき問題だからである。

私は、検察の在り方検討会議の場でも、取調べの可視化は、録音録画を直接証拠として使用するのではなく、不当な取調べによって供述者の意に反する供述調書が作成されたと弁護側から主張された場合に、供述の任意性、信用性を判断する資料としてのみ使用すべきだということを主張してきた(同会議第10回議事録41ページ以下、郷原委員提出資料)。

推理小説「司法記者」(由良秀之)でも、それを原作とするWOWOWドラマ「トクソウ」でも描かれているように、「検察の暴走」の中において、恫喝、利益誘導等の不当な取調べが行われてきたことは事実である。取調べの可視化は、そのような不当な取調べを抑止する目的に限定して行うべきである。録音録画の直接証拠化は、かえって、被疑者、被告人の不利益に働く結果になる恐れもある。

そのような観点も含め、これから進めていかなければならない取調べの可視化をめぐる議論に、今回の事件で事実上決着をつけてしまおうのは、あまりに乱暴ではなかろうか。

本件のマスコミ報道

第三に、本件のマスコミ報道についても触れておこう。

片山被告の逮捕・勾留直後の報道については、前掲ブログでも述べたとおりであり、裁判員制度導入の際の過去の「有罪視報道」への反省はどうなったのか、と思わざるを得ないような状況であった。しかし、その後、弁護側が、再三にわたって記者会見を開き、積極的に情報開示・説明を行ったこともあって、捜査機関、検察官側に偏った一方的な報道は、過去の特捜事件などと比較すると少なかったと見るべきであろう。

そういう意味で、本件は、警察、検察、裁判所の捜査・公判対応、弁護人側の防禦の在り方など、多くの面で、教訓と今後に向けての糧を残した事件と言えるのではなかろうか。

それが、「人質司法」の追い風になるような悪しき結果につながらないようにすることは、我が国の刑事司法の問題を真摯に考えようとする者にとっての責務である。

引用:PC遠隔操作事件を「人質司法」の追い風にしてはならない | 郷原信郎が斬る

近い将来に実現する可能性はなさそうな案ですね。その案でも人質司法的運用はゼロにならないと思いますが。/矢部善朗弁護士