「郷原信郎弁護士」カテゴリーアーカイブ

この戦いの記録である「勝率ゼロへの挑戦」は、検察問題への関心の有無を問わず、すべての市民にとって必読の書/郷原信郎弁護士

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“Title : この戦いの記録である「勝率ゼロへの挑戦」は、検察問題への関心の有無を問わず、すべての市民にとって必読の書/郷原信郎弁護士
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続き)八田氏は、その逆境の中で、「日本最強の捜査機関」と言われる東京地検特捜部と戦い、そして、公判での検察の総力を挙げての攻撃をはねかえし、控訴審で完全無罪を勝ち取った。この戦いの記録である「勝率ゼロへの挑戦」は、検察問題への関心の有無を問わず、すべての市民にとって必読の書。

— 郷原信郎 (@nobuogohara) 2014, 5月 26

[拡散!]【勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか】(八田隆)http:///郷原信郎弁護士

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[拡散!]【勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか】(八田隆)http://t.co/7WwxlSItP4 給与所得者が脱税の嫌疑をかけられ、「源泉徴収済みだと思っていた」と訴えても聞き入れられず、起訴されて刑事被告人とされることがいかに恐ろしいことか(続く

— 郷原信郎 (@nobuogohara) 2014, 5月 26

タイトル部分に半角コロンが含まれていたので全角コロンに変換処理しました。APIでの投稿において不具合が生じるためです。

それが、「人質司法」の追い風になるような悪しき結果につながらないようにすることは、我が国の刑事司法の問題を真摯に考えようとする者にとっての責務である/郷原信郎弁護士

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PC遠隔操作事件を「人質司法」の追い風にしてはならない
投稿日 2014年5月23日 投稿者: nobuogohara

PC遠隔操作事件で、昨年2月の逮捕以来、一貫して犯行を全面否認してきた片山祐輔被告人(以下、「片山被告」)が、別人の真犯人を装うメールを自作自演していたことが明らかになり、弁護人に、起訴事実すべてについて自らの犯行であることを認め、保釈が取消となって、片山被告は収監された。

そして、5月22日の公判で、片山被告は、「全部事実です」と一転して起訴内容を認め、「申し訳ありませんでした」と謝罪した。

一年余りにわたって、捜査、公判での警察・検察側と弁護側との全面対決が大きな注目を集めてきた今回の事件は、これで全面解決に向かうことになるであろう。

この事件をめぐっては、警察、検察及び裁判所の捜査、公判での対応に関して、様々な問題が指摘されてきた。

私は、片山被告が逮捕された後に、【PC遠隔操作事件:反省なき「有罪視報道」の構図】と題して、捜査側の情報のみを一方的に垂れ流すマスコミの「有罪視報道」の問題を指摘したが、それ以降は、当ブログでも、ツイッターでも、この事件についての発言は全く行わなかった。

片山被告が、犯人であるのか否かという点に確証がつかめないこの事件について、刑事司法全般に関わる重要な問題点と関連づけて論評することに躊躇を覚えたからだ。

もちろん、刑事事件の捜査・公判に関して問題があれば、片山被告が真犯人であろうとなかろうと、問題として指摘すべきだという意見も、それはそれで正しい。

しかし、今回の事件は、PC遠隔操作によって罪もない人達を多数誤認逮捕させたという重大な個人犯罪である。真犯人が検挙されなければ、今後も同様の事案が再発する可能性がある。片山被告が犯人であることが、単に「判決で認定された」というだけではなく、本人も認め、客観的な事実として明らかになれば、警察・検察の捜査や裁判所の対応が、基本的には肯定的な評価を受けることになる。そういう結末があり得る事件に関連づけて、捜査・公判をめぐる重要な一般的問題を論じることには、ある種の「危うさ」を感じたというのが、この事件について私が発言を控えてきた理由だった。

片山被告が真犯人であることが明白になった現時点において、この事件で争点とされたことを改めて整理し、刑事司法に関する一般的な問題についての議論への影響を考えてみたい。

「罪証隠滅の恐れ」の拡大と「人質司法」の助長

第一に、今回の事件の刑事手続に関する大きな問題の一つとして、公訴事実を否認しているというだけで「罪証隠滅の恐れ」が拡大解釈され、実際には殆どその恐れがない場合でも、保釈が認められず、長期の身柄拘束が続く「人質司法」の問題がある。

片山被告は、起訴後も、罪証隠滅の恐れがあるとされて、保釈が認められず、身柄拘束が続いた。しかも、弁護側が検察官請求証拠に同意し、証拠が採用された後も、検察官は、保釈に強く反対し、東京地裁も、保釈請求を却下し続けていた。2014年3月4日に、東京高裁が、東京地裁の保釈請求却下決定を取り消し、保釈保証金1,000万円で保釈を許可する決定をしたことで、片山被告は、逮捕から1年1か月近く経って初めて、身柄拘束を解かれた。

片山被告の事件審理を行っていた東京地裁と検察官は、「罪証隠滅の恐れあり」と判断し、東京高裁は、その恐れがないと判断した。結果的には、片山被告が行った「真犯人メール」の自作自演を行ったことが明らかになり、罪証隠滅は現実のものとなった。

これまで、保釈の可否の判断などで想定される「罪証隠滅」というのは、検察官立証で証人尋問が予定されている場合に、その証人と口裏合わせをして自己に有利な証言をさせるというような「検察官立証に妨害する行為」だった。ところが、片山被告が行ったのは、検察官立証とは全く無関係に、真犯人が別にいることを示す証拠を、一からねつ造するという行為だった。

従来は、全面否認している被告人でも、検察官立証が概ね終了すれば、「罪証隠滅の恐れがなくなった」として保釈されるのが一般的だった。しかし、今後、保釈の可否の判断に当たって、片山被告が行ったような、「真犯人が別にいる証拠をねつ造する」という罪証隠滅が行われる可能性を想定しなければならないとすれば、犯人性を否認する被告人については、検察官立証がどこまで進んでいようと、判決が出るまでは「罪証隠滅の恐れ」が常に存在することになる。それを理由に保釈請求が却下されるということになれば、「人質司法」を一層助長する結果を招くことになりかねない。

片山被告が行った余りに身勝手な行動は、今後、無実を訴える被疑者、被告人の長期間の身柄拘束が正当化されることにつながりかねない。それだけに、今回の事件の動機・背景も含め、その特異性が、今後の公判の審理の中で十分に解明されなければならないであろう。

この点に関して重要なことは、片山被告が真犯人であることが明らかになった以上、本件の警察、検察、裁判所の捜査・公判の経過の中で、問題として指摘できる点があったとしても、同被告人を逮捕・起訴して処罰しようとしたという基本的な方向性に間違いはなかったということを認めた上で議論すべきだということである。

PC遠隔操作という特異な事件ではあったが、真犯人の片山被告は、どう悪あがきしようと、最終的には有罪判決を受け、犯した罪に応じた処罰を受けることは避けられなかったと考えられる。

そういう視点で見れば、高裁の保釈許可決定は、決して間違ってはいなかったということになる。今回、片山被告が、保釈後に、露骨な無罪証拠のねつ造を行ったことが、自ら犯人性についての決定的な証拠になった。真犯人であれば、保釈された後に、罪証隠滅を図ろうとしても、結局のところ、自ら墓穴を掘って、自ら犯行を認めざるを得ない状況に追い込まれるだけであり、罪証隠滅など決して成功するものではない、と理解すべきである。

特捜部が起訴した事件などでは、起訴事実を否認する被告人を、関係者と通謀(口裏合わせ)をする「罪証隠滅」の恐れがあるとして長期間身柄拘束をすることが当たり前のように行われてきた。それは、検察が作り上げたストーリーを、供述調書によって立証しようとしているために、そのストーリーが崩される可能性として、関係者との接触、口裏合わせの防止に腐心しないといけないということである。しかし、仮に、そのような口裏合わせによって、公判での立証が妨げられるとすれば、関係者が、供述調書の内容に反する証言が行われ、なおかつ、それが真実に反する「偽証」だった場合であるが、被告人が敢えてそれを画策しようとすれば、「偽証教唆」のリスクを覚悟しなければならない。そういう意味では、「罪証隠滅の恐れ」というのは、実は杞憂に過ぎない場合も多い。

だからこそ、今回の事件での片山被告の行動が、日本の刑事司法に特有の「人質司法」を助長する結果になることがないよう、今後の事件での裁判所の保釈の判断の動向については、注視していかなければならない。片山被告の「真犯人なりすましメール」の自作自演にはやや稚拙な面があり、もう少し上手にやっていたら露見せず、無罪判決を受けていた可能性があると見ることもできないわけではない。しかし、冷静に、合理的に行動できないからこそ「犯罪者」なのである。罪証隠滅の成功の可能性を過大視し、「警察、検察の現状では、真犯人を処罰できない結果に終わった可能性がある」という見方をすることは、警察、検察にさらなる捜査手段を与えるべき、という議論につながり、捜査権限の強化、「人質司法」を助長することになりかねない。

「取調べの可視化」議論と結びつけることの是非

第二は、「取調べの可視化」との関係だ。

本件では、弁護側が被疑者の取調べの可視化を要求し、それが受け入れられないことを理由に取調べを拒絶した。検察官が可視化に応じれば、片山被告も取調べに応じ、そこで、客観的根拠を提示して追及していれば、早期に自白が得られた可能性がある、との見方がある。

しかし、本件で、仮に、弁護側の要求を受け入れて取調べを可視化したとすれば、それ以降、検察は、すべての事件で、弁護側の可視化要求を受け入れることにならざるを得ない。個別の事件で、検察にそのような決定を迫ることが、果たして妥当と言えるであろうか。

私は、取調べの録音録画がすべて刑事公判での直接証拠として使用されるという、現状のままの取調べを全面可視化することには、必ずしも賛成ではない。弁護人も立ち会わず、検察官の質問にさらされる取調べの場での供述と、公判における裁判官、弁護人の前での被告人質問による供述の、どちらを重視すべきなのかは、慎重に検討すべき問題だからである。

私は、検察の在り方検討会議の場でも、取調べの可視化は、録音録画を直接証拠として使用するのではなく、不当な取調べによって供述者の意に反する供述調書が作成されたと弁護側から主張された場合に、供述の任意性、信用性を判断する資料としてのみ使用すべきだということを主張してきた(同会議第10回議事録41ページ以下、郷原委員提出資料)。

推理小説「司法記者」(由良秀之)でも、それを原作とするWOWOWドラマ「トクソウ」でも描かれているように、「検察の暴走」の中において、恫喝、利益誘導等の不当な取調べが行われてきたことは事実である。取調べの可視化は、そのような不当な取調べを抑止する目的に限定して行うべきである。録音録画の直接証拠化は、かえって、被疑者、被告人の不利益に働く結果になる恐れもある。

そのような観点も含め、これから進めていかなければならない取調べの可視化をめぐる議論に、今回の事件で事実上決着をつけてしまおうのは、あまりに乱暴ではなかろうか。

本件のマスコミ報道

第三に、本件のマスコミ報道についても触れておこう。

片山被告の逮捕・勾留直後の報道については、前掲ブログでも述べたとおりであり、裁判員制度導入の際の過去の「有罪視報道」への反省はどうなったのか、と思わざるを得ないような状況であった。しかし、その後、弁護側が、再三にわたって記者会見を開き、積極的に情報開示・説明を行ったこともあって、捜査機関、検察官側に偏った一方的な報道は、過去の特捜事件などと比較すると少なかったと見るべきであろう。

そういう意味で、本件は、警察、検察、裁判所の捜査・公判対応、弁護人側の防禦の在り方など、多くの面で、教訓と今後に向けての糧を残した事件と言えるのではなかろうか。

それが、「人質司法」の追い風になるような悪しき結果につながらないようにすることは、我が国の刑事司法の問題を真摯に考えようとする者にとっての責務である。

引用:PC遠隔操作事件を「人質司法」の追い風にしてはならない | 郷原信郎が斬る

八田隆氏が国家賠償請求訴訟で挑む「検察への『倍返し』」/郷原信郎弁護士

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投稿日 2014年5月16日 投稿者: nobuogohara

東京国税局に告発され、東京地検特捜部に起訴されるという、それまでは有罪率100%だった脱税事件で、一審無罪判決、検察官控訴棄却で無罪確定という全面勝利を勝ち取った元クレディ・スイス証券の八田隆氏が、本日(2014年5月16日)、検察庁と国税局の違法行為に対する損害賠償請求訴訟を提起する。

この国家賠償請求訴訟の代理人弁護団には、捜査段階から一審、控訴審の全過程で弁護人として八田氏の無罪主張を支え続けて見事に無罪を勝ち取った小松正和弁護士、本件では控訴審から弁護人に加わって八田氏の「完全勝利」に貢献した喜田村洋一弁護士(検察審査会の議決によって起訴された小沢一郎氏の政治資金規正法違反事件でも弁護人として無罪判決を勝ち取った)、元検察官で、「検察の在り方検討会議の委員」も務め、一連の特捜検察の不祥事について徹底した検察批判を展開してきた私、そして、元裁判官で、「司法権力の内幕」「教養としての冤罪論」等の著書等を通して裁判所の体質や刑事司法の現実を厳しく批判している森炎弁護士が加わった。
八田氏は、今回の弁護士チームを「ドリーム・チーム」と称している【国家賠償訴訟に関して (2)~代理人ドリーム・チーム結成!】。

八田氏は、2009年12月に、脱税(所得税法違反)で東京国税局に告発されたが、捜査段階から、株式報酬は源泉徴収されていると認識していたもので、脱税の犯意はなかったとして全面否認してきた。同社において税務調査の対象とされた約300人のうち、約100人が株式報酬について無申告であったこと、ゴールドマン・サックス証券会社など、クレディ・スイス証券会社と同様の立場にある外国証券会社では、株式報酬について源泉徴収を行っていたことなどに加え、八田氏には脱税の犯意はなかったことを裏付ける証拠が十分にあり、検察には、弁解を覆せる見込みは全くなかった。
それにもかかわらず、東京地検特捜部は、2011年12月に、八田氏を起訴した。当然の結果として、2013年3月1日 東京地裁刑事8部は、八田氏に対して無罪を言い渡した。
検察官は、この裁判所の当然の無罪判断を受け入れず、東京高裁に控訴を申し立てたが、検察官の証拠請求は、すべて却下され、2014年1月31日 控訴は棄却、検察官は上告をせず、無罪が確定した。

検察官は、起訴不起訴の判断について広範な裁量権を与えられている。その検察官が、起訴の対象を「有罪判決が得られる見込み」で絞り込んでいることが、有罪率99.9%という異常な数字につながっているとの指摘もある。
たとえば、鉄道事故、航空機事故等の業務上過失致死事件等で、被害者・遺族が強く処罰を希望する場合は、有罪判決が得られる見込みが低い事件であっても起訴して、公開の法廷における審理を通して裁判所の判断を仰ぐべきという意見もあり、このような事件では、検察官が起訴した事件が無罪になったからと言って、ただちに、その起訴が不当と評価されるわけではない。
しかし、本件で東京地検特捜部が起訴した八田氏の事件は、そのような「積極的な起訴」が期待される事件とは全く性格を異にする。
まず、本件には、処罰を求める被害者も遺族もいない。国家が個人から税を徴収するに当たって、自ら所得を申告して納税させるという「申告納税制度」の下では、当局による所得の把握を困難にするような仮装・隠ぺい行為が行われると、制度の運用に支障が生じることから、そのような行為を罰することで、納税者の正直な所得申告を確保しようというのが脱税犯処罰の趣旨であり、まさに、税を徴収する側の国の事情による処罰なのである。
そうである以上、脱税による摘発・処罰の対象は、結果的に所得の申告が過少だったという「申告漏れ」ではなく、所得を過少に申告して税を免れようとして意図的に脱税したことが客観的に明らかな場合に限定されなければならない。その点の立証に些かなりと疑念がある場合に起訴を行うことは許されない。
ところが、本件について、八田氏は、脱税の意図は全くなかったと一貫して主張し、それを裏付ける十分な証拠があるのに、東京地検特捜部は、八田氏の弁解を無視して、起訴を行った。
なぜ、検察官が、そのような不当な判断を行ったのか、その背景には、いくつかの特異な事情があったことを想定することができる。

まず、本件告発が行われた2009年12月 22日頃、東京地検の税務事件担当である特捜部が置かれていた状況である。
佐久間達哉特捜部長率いる東京地検特捜部は、2009年3月に、西松建設事件で、当時民主党代表であった小沢一郎氏の秘書を同氏の資金管理団体陸山会にかかる2100万円の政治資金収支報告書虚偽記載の事件で逮捕・起訴し、同年5月に小沢氏を代表辞任に追い込んだ。同事件の捜査については、政権交代の可能性のある総選挙を控えた時期に、従来の基準からは考えられない軽微な違反を立件し強制捜査を行ったことから、検察の政治介入ではないかとの批判があり、検察内部でも、軽微な事件で重大な政治的影響を与えた同事件は、特捜部の重大な失態とされていた。
その後、同年8月末の衆議院議員総選挙で民主党が圧勝し、同党を中心とする連立政権が誕生し、小沢氏が政権与党の民主党の幹事長に就任した。特捜部は、その頃から、小沢氏に政治的ダメージを与えるとともに、西松建設事件の失敗捜査の汚名を晴らすべく、陸山会の世田谷区の土地の取得にかかる政治資金収支報告書虚偽記入事件の内偵捜査を進め、翌2010年1月15日には、現職衆議院議員の石川知裕氏を含む小沢氏の秘書・元秘書3人を同事件で逮捕し、さらに、小沢氏の起訴をめざして、同氏の取調べを行うなどした結果、同年2月4日に、秘書ら3人を公判請求し、小沢氏を不起訴処分にするに至った。
本件告発が行われた2009年12月下旬というのは、このような陸山会事件の捜査が、新聞等でも報道され、内偵捜査は最終段階を迎え、東京地検特捜部が、組織を挙げて、捜査に取り組んでいた時期である。
このような時期に行われたのが本件告発であり、その直前に、検察と国税局との間で「告発要否勘案協議会」が開かれ、そこで、特捜部として、告発を了承する判断が行われたのだ。
なぜ、そのような慌ただしい時期に、告発が行われたのか。なぜ、検察がそれを了承したのか。そこには、当時の佐久間特捜部が置かれていた事情が関係していると考えざるを得ない。
世田谷の不動産取得をめぐる4億円の裏金がゼネコンからの裏献金であることを解明し、小沢氏を起訴して、その政治生命を断つという「妄想」に取りつかれていた特捜部にとっては、国税局との緊密な連携・協力関係を維持することは不可欠だった。そのような状況において、国税局幹部からの、本件の告発を何とかして受けてもらいたいとの強い要請を拒絶することができず、有罪判決を得る十分な見込みがない事件の告発を了承する、という異例の措置につながったのではないか。

そして、本件起訴が行われた2011年12月7日頃というのは、前年秋に、大阪地検の郵便不正事件で、村木厚子氏の無罪判決が出され、その直後に、朝日新聞のスクープで、前田検事による証拠改ざんが発覚したことで、検察が猛烈な社会からの批判にさらされ、2010年11月には、法務大臣の下に「検察の在り方検討会議」が設置されるなど、特捜捜査の在り方を中心に、検察に対する批判的な観点からの議論が盛んに行われていた時期だった。2011年2月28日には、特捜部が取り扱う身柄事件(被疑者を逮捕し又は勾留している事件)等について,起訴又は不起訴の処分を行う場合には,検事正は,あらかじめ検事長の指揮を受けなければならないとされるなど、特捜部の身柄事件に対して、従前より厳しいチェックが行われることになっていた。
一般的に、容疑事実を否認している被疑者に対しては、逮捕・勾留した上で起訴し、長期間の身柄拘束のプレッシャーにさらすことで、公判での無罪主張を封殺する、というのが、検察の常套手段である。特に、八田氏の場合は、カナダ在住で、当時は無職、起訴状の送達ができるか否かも、公判への出頭を確保できるかどうかも定かではない。そのような事件での在宅起訴は、それまでの検察の常識からは、到底考えられない。
しかし、特捜部は、結局、八田氏を逮捕・勾留せず、否認のまま在宅起訴した。
逮捕・勾留が行われなかったのは、当時の検察をめぐる状況の下では、証拠が希薄で有罪判決の十分な見込みのない中で逮捕・勾留することが、検察不祥事・特捜改革との関係で困難だったからだと考えられる。
しかしそうであれば、起訴自体を差し控えるのが当然だ。ところが、そこには、国税当局と検察との間の、かねてからの深い関係があり、「告発要否勘案協議会において検察官が了承した上で国税局が告発した事件について、不起訴にすることは許されない」という「不文律」があった。東京地検特捜部は、有罪判決を得る見込みがほとんどないことを承知の上で起訴する、という「暴挙」に出ざるを得なかった。

そして、本件に関して、違法性・不当性が最も明白で、正当化する余地が全くない、検察の「暴挙」が、一審の無罪判決に対して検察官が控訴を申し立てたことである。
一審で無罪判決を受けた被告人に対して、検察官が控訴を行うことは、米国では許されていない。我が国でも、「無罪判決に対する検察官控訴は許すべきではない」との意見が、かねてから強く主張されてきた。検察においても、検察官側からの控訴は、控訴審で新たな証拠を請求し、採用される可能性がある場合に限定するという「不文律」を守ってきた。
少なくとも、同じ証拠関係の下で、控訴審裁判官に、一審判決とは異なった判断をしてもらうために控訴するというのは、検察に都合の良い裁判官の判断を漁るということに他ならない。不当な有罪判決を言い渡した裁判に対する救済のために被告人の側が控訴するのは当然だが、国の側に、一審の無罪判決を覆す裁判所の判断を求めるためだけの控訴が認められるべきではないのは、これもまた当然なのである。
ところが、新証拠を請求できる見通しは全くなく、一審無罪判決を覆せる可能性も全くなかった八田氏の事件で、検察は控訴した。

何故に、明白に違法な控訴が行われたのか。前記のとおり、八田氏が、有罪を得る見込みがほとんどないのに公判請求されたのと同様に、国税当局と検察とのかねてからの深い関係があったために、告発要否勘案協議会において検察官が了承した上で国税局が告発した事件について、検察が、無罪判決の裁判所の判断を受け入れて確定させることができない、という「不文律」があったからとしか考えられない。

検察官は、単に都合の良い裁判官の判断を求めるだけの検察官控訴は行わないという「不文律」には敢えて従わず、国税と検察との関係に関する「不文律」を優先したのである。
そのような検察官の「暴挙」の当然の帰結として、控訴審での検察官の証拠請求は、すべて却下され、公判は一回で結審、控訴棄却の判決が言い渡された。その判決では、一審判決以上に、検察官の判断の誤りが厳しく指摘されている。

本件の告発・起訴・控訴という3つの違法行為によって、一市民である八田氏は職を失い、長期間にわたって、能力・適性を生かせる仕事につく機会が奪われ、多大な損害を被った。
それらの違法行為は、検察と国税との告発要否勘案協議会等を通じた「不透明な関係と癒着」を背景として、西松建設事件、陸山会事件という「特捜検察の暴走」の大きな流れによって巻き起こされ、現実化した、検察という権力の「もう一つの暴走」である。
今週の日曜日から始まったWOWOWの連続ドラマWシリーズ「トクソウ」(原作「司法記者」由良秀之)では、殺人事件の真相が明らかになるにつれ、「政界捜査における特捜部の暴走」が明らかになる。
八田氏の事件をめぐる特捜検察の暴走の原因とその問題点は、今回の国家賠償請求訴訟の審理の中で、明らかになっていくだろう。

八田氏は、今回の訴訟で賠償金を得ることができたら、個人の懐に入れるのではなく、刑事司法改革の基金を作り、国家権力に狙われた市民が、八田氏のような冤罪に苦しむことのない刑事司法の実現に貢献したいと言っている。
一市民を踏み潰そうとする国税・検察と真っ向から渡り合い、刑事事件の捜査・公判に完全勝利した八田氏の“正義のリベンジ”が、これから始まる。
「やられたらやり返す!倍返しだ!!」

引用:八田隆氏が国家賠償請求訴訟で挑む「検察への『倍返し』」 | 郷原信郎が斬る

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— 非常上告-最高検察庁御中_ツイッター (@s_hirono) 2014, 5月 16