●否認を貫くも起訴
マスメディアにとって、被害者証言で伝える価値があるのは、被害感情を訴える場面だけなのだろうか……。先日のPC遠隔捜査事件の裁判を伝える報道ぶりに、そんな疑問を抱いた。
第12回公判に、大阪府警に誤認逮捕されたAさん(男性、40代)が、検察側証人として出廷した。逮捕を報じられた時のダメージが大きく、その後も一切取材に応じてこなかったAさんの出廷とあって、各メディアの記者が傍聴していた。
改めて説明するまでもなく、この事件では4人が誤認逮捕され、うち2人が虚偽の自白に追い込まれた。
その後逮捕された片山祐輔被告は、当初は否認していたが、保釈後に別の真犯人の存在を偽装するメールを発信したことが発覚し、再収監されてからは、起訴事実を全面的に認めている。Aさんは否認を貫いたが、起訴された。起訴後も保釈されず、勾留が続いた。三重県で誤認逮捕された人のPCが感染したの同じ遠隔操作プログラムの痕跡がAさんのPC内にもあることが分かり、釈放された。
そのAさんの片山被告に対する処罰感情は厳しい。
「一生(刑務所の中に)入っていただきたいが、それは難しそうなので、30年ぐらいは入って反省して欲しい」
この言葉は、各メディアで報じられた。伝えられていないのは、その後の証言だ。
処罰感情についての証言で、検察がAさんに証人に出てもらった目的は達した。だがその後、検察官は「他に、何か言いたいことは」とAさんに発言を促した。おそらくAさん自身が、「証言するからには、どうしても言いたいことがある」と、事前に伝え、この質問をしてもらったのだろう。
Aさんは、次のように述べた。
「私みたいな、本当に間違って入れられている否認者もいると思うんで、否認者が苦しくなるような、苦しい立場になるようなことはやめて欲しいな、と。否認している人は、往生際が悪いとか、保釈すると証拠隠滅するとか、思わないで欲しい」
誤認起訴された後、Aさんは保釈を求めたが、裁判所は「罪証隠滅の恐れがある」などとして認めなかった。拘置所の中で、「自分はPCに詳しくないし、証拠品は全部(警察に)もっていかれていた。証拠隠滅できる方法なんてあるのか…」と考え込んだ、という。
●想像力の欠如した裁判官たち
勾留は、「罪証隠滅のおそれ」や「逃亡のおそれ」がある場合に限られるが、実際には、Aさんのように否認をしていると、そのどちらかの「おそれ」があるとして、検察側が保釈に反対する。検察側が反対すると、裁判所はそれに影響されて、保釈をなかなか認めない。結局、否認している人は、長く身柄拘束される、ということになる。
厚生労働省局長だった村木厚子さん(現在は同省事務次官)が巻き込まれた郵便不正事件もそうだった。逮捕・起訴された関係者の中で、唯一否認していた村木さん1人が、「罪証隠滅のおそれ」「逃亡のおそれ」があるとして長く拘置所に留め置かれた。
実際にニセの証明書を作るなどの不正をした係長や他の関係者は、村木さんが事件に関与したとする検察側のストーリーに沿った調書の作成に協力し、起訴と同時に保釈になった。この係長は、検察側の言う通りに認めないと、いつまでも身柄拘束が続く恐怖から、事実に反する調書作成に協力してしまったのだった。こんな風に、否認していると長期の身柄拘束がなされるという「人質司法」は、しばしば虚偽の供述を生み、冤罪を作り出す。また、村木さんは「裁判も始まらないうちから、罰を受けているようなもの」と指摘する。
ところが、身柄拘束について判断をする裁判所は、この現状を全く問題だと感じていないようだ。
捜査・公判のあり方を検討していた法制審議会「新時代の刑事司法制度特別部会」でも、身柄拘束の問題は話題になったものの、警察・検察だけでなく裁判所を代表している委員の反応は鈍く、現状は「慎重かつ適切な判断がなされている」という認識だった、という。同特別部会がこのほどまとめた答申案でも、身柄拘束については、格別に改善の提言がされることなく終わってしまった。同特別部会の委員を務めた映画監督の周防正行さんは、「身柄を拘束される苦痛について、裁判官の想像力がなさ過ぎる」と嘆く。
現状に問題があるという認識が共有できなければ、改善策を考える段階に至らない。であれば、まずは現在の問題を、ことあるごとにきちんと伝えるのがジャーナリズムの責務というものだろう。なのに、私が見た限り、どこのマスメディアも、Aさんの貴重な証言を伝えていない。これでは、「人質司法」という日本の刑事司法の悪しき慣習について、多くの人が現状を認識することはなく、事態はなかなか改善しないだろう。
被害感情を伝えるだけがジャーナリズムの役割ではない、と思う。【了】
えがわ・しょうこ/1958年、東京都出身。早稲田大学政治経済学部卒。1982年〜87年まで神奈川新聞社に勤務。警察・裁判取材や連載企画などを担当した後、29歳で独立。1989年から本格的にオウム真理教についての取材を開始。現在も、オウム真理教の信者だった菊地直子被告の裁判を取材・傍聴中。「冤罪の構図 やったのはお前だ」(社会思想社、のち現代教養文庫、新風舎文庫)、「オウム真理教追跡2200日」(文藝春秋)、「勇気ってなんだろう」(岩波ジュニア新書)等、著書多数。菊池寛賞受賞。行刑改革会議、検察の在り方検討会議の各委員を経験。オペラ愛好家としても知られる。個人blogに「江川紹子のあれやこれや」(http://bylines.news.yahoo.co.jp/egawashoko/)がある。
引用:【コラム 江川紹子】人質司法が虚偽の供述と冤罪を作り出す – Sakura Financial News | 9999 –
「被害者感情」タグアーカイブ
7人が亡くなった関越道バス事故。各紙が懲役9年6月の判決について、「受け入れるしかない」という遺族が苦渋の中で懸命に理性を働かせてコメント/ジャーナリスト江川紹子
7人が亡くなった関越道バス事故。各紙が懲役9年6月の判決について、「受け入れるしかない」という遺族が苦渋の中で懸命に理性を働かせてコメントしている言葉を見出しにしたのに対し、東京新聞は〈刑期「娘は納得しない」〉と被害者感情を前面に押し立てての大見出し。厳罰化を後押し?
— Shoko Egawa (@amneris84) 2014, 3月 26
キャスターのテリー伊藤は「彼は警察に逮捕されたときに、血の付いた包丁を差し出し、犯行を自供している。でも、裁判が始まると一転無罪を主張した。これをどう考えたらいいのか」と激しく反論する。/長崎ストーカー母・祖母殺人の被告死刑判決…父親手記
「判決が確定するまでは推定無罪。しかも、被告は判決公判当日に判決が不服だとして控訴をしている。これからも裁判は続くわけで、今の段階では犯人と断定するのは間違っている」とコメンテーターの勝谷誠彦(コラムニスト)はムキになって言う。これに対し、キャスターのテリー伊藤は「彼は警察に逮捕されたときに、血の付いた包丁を差し出し、犯行を自供している。でも、裁判が始まると一転無罪を主張した。これをどう考えたらいいのか」と激しく反論する。いつもは笑いに包まれているスタジオが凍りついた。
引用:長崎ストーカー母・祖母殺人の被告死刑判決…父親手記「早く絞首刑にして欲しい」 (1/2) : J-CASTテレビウォッチ
警視庁と東京地検は今回・・・判断。さらに、「錯誤」という刑法上の理論を組み合わせることで、構成要件を満たしたという。・・・捜査当局を動かした遺族の思い
危険運転致死傷罪は、平成11年に東名高速で飲酒運転の大型トラックが乗用車に追突し、女児2人が死亡するなどした事故をきっかけに13年に新設され、死亡させた場合には最長20年の懲役が科せられる重罪。ただ、罪の構成要件が厳しく、適用が断念されることも少なくなかった。
警視庁と東京地検は今回、佐藤容疑者の暴走運転が、同罪を規定した刑法208条の2のうち第2項の「妨害目的の運転」に当たると判断。さらに、「錯誤」という刑法上の理論を組み合わせることで、構成要件を満たしたという。
妨害目的の運転は《人または車の通行を妨害する目的で、走行中の自動車の直前に進入し、通行中の人または車に著しく接近し、かつ、重大な交通の危険を生じさせる速度で自動車を運転し、人を死傷させた》場合を規定している。
佐藤容疑者が腹いせに軽乗用車の前に割り込んだ疑いが強く、妨害目的は問題ないとみられるが、妨害の対象となった軽乗用車は渋谷さんの車とは異なる。
ただ、捜査関係者は「刑法には、Aさんを殺害しようとしてBさんを誤って殺害した場合にも殺意が認められる『錯誤』という理論がある」と指摘する。この理論を当てはめ、「軽乗用車を妨害する目的で、渋谷さんの車に当たって死亡させてしまった」という形で起訴にこぎ着けた。
「あまりにも短絡的な犯行。遺族としては殺人以上に悲しいことかもしれず、危険運転致死罪で立件する意義がある」。捜査関係者はこう強調した。
引用:【衝撃事件の核心】「カチンときた…」暴走トレーラーで男性死亡 危険運転致死罪で起訴 捜査当局を動かした遺族の思い+(3/3ページ) – MSN産経ニュース
弁護活動に対する批判・検討は、被害者側に偏った不十分な情報に基づく感情的 な批判であってはならない<元検弁護士のつぶやき>
刑事弁護士をもっと冤罪防止 “刑事弁護士”をもっと(中日新聞社説 ウェブ魚拓 ボツネタ経由)
裁判員裁判の実施、被疑者国選弁護の拡大を前に、「刑事に強い」弁護士の大量育成が急がれる。冤罪(えんざい)防止のためには、使命感はもとより、豊かな知識と弁護技術を兼ね備えた弁護士が必要だ。
私が、橋下弁護士による懲戒扇動問題を強く批判している大きな理由はここにあります。
豊かな知識と弁護技術を兼ね備えた弁護士は一朝一夕には養成できません。
刑事弁護に熱意をもって取り組む若手弁護士の絶対数が必要です。弁護活動に対する被疑者、被告人の不満はしばしば聞く。日弁連は重く受け止め、弁護活動を客観的にチェックしなければならない。
個々の事件の弁護活動の当否を判断するのはとても難しいのですが、富山県の強姦冤罪事件などを見ますと、問題のある弁護活動の検証作業は必要であろうと思われます。
しかし、弁護活動に対する批判・検討は、被害者側に偏った不十分な情報に基づく感情的な批判であってはならないと考えます。
その意味で、マスコミの報道に触発された市民感情を正当化の根拠とするような懲戒扇動が頻発するような事態が生じるとすれば、弁護活動に対する正当な批判・評価を妨げることになるばかりでなく、刑事弁護に対する無理解と誤解を助長し、これから刑事弁護に取り組んでみようとする若手弁護士の意欲を大きく減殺する結果になることを強く危惧するのです。冤罪を1件でも減らすためには、世間の批判を一身に浴びるかのような被告人にこそ、刑事弁護が最も有効に機能すべきであると思います。
但し、私は弁護人のマスコミ対応が不十分であることをもって懲戒理由と考えることには強く反対しますが、裁判員制度を視野に入れた弁護技術としてマスコミ対策の重要性が増加していることは事実であると感じています。
その点については別に述べてみたいと思います。
モトケン (2007年10月31日 01:11) | コメント(53) このエントリーを含むはてなブックマーク (Top)
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被害者遺族の心情を基点として諸問題を判断した場合には<元検弁護士のつぶやき>
飯野奈津子解説委員の時論公論について「産科事故裁判からの問いかけ」
主として医療側から強く批判されている、大野病院事件判決に関する飯野奈津子解説委員の持論公論が掲載されています。
私から見ても批判すべきところがありますし、傾聴すべきところもありますが、とりあえず一番気になるところをコメントします。
飯野解説委員の主張は、遺族である死亡女性の父親の主張(主張というよりは主として気持ち、思い)と医療側を対置して立論している部分が多いと感じられます。
これは、光市母子殺害事件における、本村洋氏と弁護団を対置させた報道姿勢を思い起こさせます。
いわゆる被害者遺族の心情を基点として諸問題を判断した場合には、その判断を一般化したらどうなるかという視点が欠落してしまう恐れを危惧します。
同様の問題が光市母子殺害事件の報道について指摘されたはずですが、飯野委員はそのような指摘を理解できなかったのでしょうか?
同じ過ちを繰り返しているように思われます。今回、執刀した医師は、手術の前に輸血や子宮摘出の可能性を遺族に説明しており、難しい手術であることは認識していたとみられます。それなのに、輸血血液も十分供給されず、一人しか医師がいない体制で、なぜ、手術に臨んだのか。手術の前に、大きな病院への転院や医師の応援要請を、関係者から助言されたのに断っていたことも、裁判の過程で明らかになりました。医師不足の中でも、医療機関が連携するなど、安全を確保する努力を重ねることが、医療側に求められているのだと思います。
の部分ですが、例えば、問題が生じそうな帝王切開手術全てについて、「手術の前に、大きな病院への転院や医師の応援要請を」したらどうなるか、そんなことが可能なのか、可能とするためにはどうしなければいけないか、という問題点の指摘がありません。
そして「医療側に求められているのだと思います。」と言って、その対応の全てを「医療側」に要求しています。
飯野委員の言う「医療側」とは何なんでしょうか?医療側の皆さんからすれば、本件を「医療事故」と繰り返し書いているところも強い違和感があるところだろうと思います。
しかし、裁判で無罪判決が出たからといって、今回の事故に問題がなかったわけではありません。
飯野委員が無罪判決の論理をどのように理解しているのか、また医療現場における「事故」という言葉をどのように理解しているのか、本件のどの部分をもって「事故」と評価しているのか、などは必ずしも明らかではありません。
全体として、「公論」と言うに値するかどうか疑問です。
モトケン (2008年8月22日 12:01) | コメント(31) | トラックバック(0) このエントリーを含むはてなブックマーク (Top)
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刑事司法には限界、それもとても大きな限界があることを全ての人が理解するべきです<元検弁護士のつぶやき>
死亡女性の父親の不満について死亡女性の父親が会見 「非常に残念」 大野病院事件(産経ニュース)
テレビのニュースでは、「真実を知りたい」ということを強調されていましたので、お父さんが知りたい「真実」というのはなんなんだろうと思っていたのですが
終始固い表情の渡辺さんは「私が本当に知りたいのは、手術中の詳細なやりとりではなく、(加藤医師が)どうして態勢の整った病院に娘を移さなかったのかということだった。裁判では明らかにされず悔しい。
こういうことだったのですね。
しかし、本件の裁判では、これを期待するのは少々無理があったと思います。
なぜかといいますと、加藤医師が別の病院に娘さんを移送しなかったことは過失の内容になっていないからです。
つまり、争点ではないわけですから、少なくとも移送しなかったことをメインテーマにすることはできません。
検察官が、付随事情として被告人質問で聞くことはできたと思いますが、加藤医師がそれなりの答をすればそれで終わりにせざるを得ない問題です。
専門的な言い方をすれば、これは検察官の訴因構成の問題であって、加藤医師の責任ではないことはもちろん、裁判所の責任でもありません。命を預かっている以上、すべての不安を取り除いて臨んでほしかった」と、不満をあらわにした。
お父さんとしては、当然の不満だと思いますが、全ての患者(妊婦)に対して、完璧な医療を提供することは不可能ですから、これも裁判所の判断を左右する事情にはなりえないと思われます。
刑事司法には限界、それもとても大きな限界があることを全ての人が理解するべきです。
その意味で、これを機に、医療も良い方に変わってもらえたら」と理由を説明。また、国が進めている“医療版事故調”設置については「真実を説明してもらえる機関になってもらいたい」と要望した。
という要望には、関係者全てが耳を傾けるべきだと思います。
モトケン (2008年8月20日 22:22) | コメント(101) | トラックバック(0) このエントリーを含むはてなブックマーク (Top)
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