2012年5月24日 (木)
強姦罪弁護の新たな切り札 裁判員裁判
5月23日の朝日新聞が、裁判員裁判の影響で性犯罪の起訴率が下がっていることを報じている。被害者は、一般市民の前で被害を証言することに、耐えられない思いが強いために性犯罪の起訴率が著しく下がっているという趣旨だったと思う。
この記事を読んで、思い出したくない事件の記憶がよみがえった。
公園で遊んでいる知的障害のある20歳の女性に性的いたずらを繰り返したという事件だ(準強制わいせつ)。
本当は、やりたくなかったが、当事者とは、いろんな縁があり、依頼を断ることができなかった。
立派な会社の会社員だったが、仕事や家庭のストレスが暴発したような印象であった。
起訴されて、事件が公になれば、退職を余儀なくされ、もともと事情があって、経済的な余裕がなかった家計は破綻するだろう。
マチベンは、とてもじゃないが、やりたくないと心底思いながら、不起訴(起訴猶予)にしてもらうために、弁護に当たった。
民事事件で認められるより多めの賠償金を用意させた上、被害者の親御さんに連絡を取り、面談し、謝罪した。
あまりにも卑劣な犯行で、絶対に許せない、と言われる親御さんの気持ちが痛いほどわかる。
イヤな役回りで、マチベンにはどこにも正義はない。
結局、この事件は、示談成立、起訴猶予で終わった。
決め手は、親御さんが一番、心配していたことを告知したことだった。
マチベンは言った。
「加害者が言っている内容と知的障害がある娘さんが言っている内容に食い違いがある。
仮に裁判になれば、弁護人としては、本意ではないが、娘さんの証人尋問をせざるを得ない。
忘れたい内容を、詳細にお聞きせざるをえない。
傍聴者もいるかもしれない。
本当にそれが、娘さんが望むことですか。
それでも、加害者を裁きたいですか」
こういうことが言えなくては弁護士ではない。
もっとしれっとして言う弁護士もいるかもしれないし、同様の事案を何度担当しても大丈夫なように、心に殻を付けた弁護士もいるに違いない。むしろ、その方が普通かも知れないとすら思う。
でも、マチベンの心の皮は、やたらにやわだ。
弁護士はそういうものなのだと、わかっていても、やりきれない。もう二度と、同じことはしたくないと、思ってしまう。
さて、冒頭で触れたとおり裁判員裁判の導入で、裁判員の前で証言することを被害者が嫌い、性犯罪の起訴率が激減しているそうだ。(5月23日朝日新聞・但し、うろ覚え)
となれば、殺し文句は、さらに増える。
「一般の市民から選ばれた9人(補助裁判員が3人だとして)が、観ている前で、一から証言しなければならないですよ。
加害者の言い分とずいぶん違うから、細かいことまで微に入り細に穿ってお尋ねしなければなりません。
裁判員には、スケベなオヤジがいないとも限りません。
人の噂が大好きで、興味深々で話を聞く奥様がいるかもしれません。
裁判が終わった後、どこかで顔を合わせるかも知れないですよ。
法廷で証言した内容は秘密ではありませんから、口の軽い裁判員がいたっておかしくありません。
あなたは、それでも、加害者を裁きたいですか」
強姦致傷にならなければ、裁判員裁判にはならないのだが、そんなことは無視。強姦は極めて重罪なのだから、当然、裁判員裁判になるような顔をして被害者に迫ることになるのだろう。
想像するに、裁判員裁判は、強姦犯の起訴前の弁護の新たな切り札になっているようである。
引用:強姦罪弁護の新たな切り札 裁判員裁判: 街の弁護士日記 SINCE1992at名古屋