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そのような刑事司法に対して、マスコミは、これまで十分に批判的機能を果たしてきたであろうか。過去に、過激派等に対する公安捜査の実情に関する問題を指摘した報道がどれだけあったであろうか。「人質司法」など、刑事司法の問題点について、どれだけ指摘してきたであろうか。/郷原信郎弁護士

日本の刑事司法は、事実を否認する被疑者を長期的に身柄拘束する「人質司法」、検察官による証拠の独占など、検察官にあらゆる権限が集中している。そして、検察は、第一次捜査機関の警察とは極めて近い関係にある。

このような刑事司法の実情を考えた時、私は、「刑事司法への信頼」を前提に、特定秘密保護法に問題がないとする意見には、賛成できない。

特定秘密保護法案に関して問題なのは、法案の中身自体というより、むしろ、現行の刑事司法の運用の下で、このような法律が成立し、誤った方向に濫用された場合に、司法の力でそれを抑制することが期待できないということである。

そのような刑事司法に対して、マスコミは、これまで十分に批判的機能を果たしてきたであろうか。過去に、過激派等に対する公安捜査の実情に関する問題を指摘した報道がどれだけあったであろうか。「人質司法」など、刑事司法の問題点について、どれだけ指摘してきたであろうか。直近では、検察の一部が、虚偽の捜査報告書で検察審査会を騙して政治的目的を遂げようとした陸山会事件での「特捜部の暴走」に対して、民主主義を危うくするものとして徹底した批判が行われたであろうか。

検察や警察との「もたれ合い」的な関係によって、刑事司法の歪みを温存してきたという点からは、責任の一端はマスコミにもあるのではなかろうか。そういうマスコミが、「知る権利」「報道の自由」を振りかざして、法案に反対していることに対して、若干の違和感を覚えざるを得ない。

しかも、日本の官僚、行政組織と親密な関係を維持してきた自民党が、昨年12月の衆議院選挙で圧勝して政権に復帰し、今年7月の参議院選挙でも圧勝して、衆参両院において安定的な勢力を維持する政治状況になったことから、行政権限の肥大化、官僚組織による情報の独占に向けて立法が行われることも、ある意味では当然の趨勢と言うべきであろう。

このような政治状況を招いてしまった最大の原因は、昨年12月まで政権の座にあった民主党が事実上崩壊してしまったことにある。それは、第一次的には、民主党の自業自得だ。しかし、政権交代直後から、民主党が「政治とカネ」の問題をめぐる党内抗争に明け暮れる状況になったことには、マスコミも深く関わっている。

その結果できあがった、「単一の価値観に支配される政治状況」の下で、今、行政組織の権限の更なる強化に向けての特定秘密保護法が成立しようとしているのである。

いかに少数野党が抵抗しようと、マスコミがこぞって批判しようと、多くの知識人、文化人が反対しようと、特定秘密保護法が今国会で成立することを阻止することは避けられないであろう。

そういう政治の現実を、重く受け止めるべきではなかろうか。

引用:特定秘密保護法 刑事司法は濫用を抑制する機能を果たせるのか | 郷原信郎が斬る

日本の刑事司法は、事実を否認する被疑者を長期的に身柄拘束する「人質司法」、検察官による証拠の独占など、検察官にあらゆる権限が集中している。そして、検察は、第一次捜査機関の警察とは極めて近い関係にある。/郷原信郎弁護士

ここで言っている「免状不実記載」「転び公妨」で逮捕されても、ほとんど起訴されることはない。要は、20日間余りの身柄拘束のネタに使われるというのが実態だった。

犯人の処罰に向けての刑事事件の手続という面から考えると、そのような事実で身柄拘束をする必要性は、実際にはない。そのことは、検察官も裁判官もわかっているはずだ。しかし、公安事件で、「非公然活動家」が逮捕され、送致されてきた事件で、検察官が勾留請求をしないということはほとんどなかったし、裁判官が勾留請求を却下した例も少なかった。

このようなことは、「刑事司法に対する一般的な認識」としては考え難いことであろう。しかし、それも、テロなどの軍事活動を標榜する過激派の取締りという目的の下では、刑事司法の現場で実際に起こり得るのである。

特定秘密保護法の罰則が、そのような目的で使われる恐れがあるのかどうかは、何とも言えない。しかし、刑事司法が、常に適切に、法の目的に沿って運用されているという前提で考えることは危険である。

捜査機関が法の本来の趣旨に反する権限行使を行おうとした時、刑事訴訟法上、それを抑制する多くの手段が定められている。検察官が勾留請求するかどうかという判断、裁判所が勾留請求を認めるかどうかの判断、最終的な判決における事実認定などを通して、適切な判断が行われるというのが、刑事訴訟法の建前だが、ひとたび国家が一定の方向に動き始めたときは、それらの手段によって抑制できるとは限らないのである。

前出の阪田元法制局長官が、「特定秘密保護法案には法律として構造的な問題はない」とする理由として、「もし、不当に特定秘密に指定された事項に関して、刑事事件が立件され起訴された場合には、裁判所が適切に判断するはずだ」と述べている。それは、「刑事司法に対する一般的な認識」に基づく見解としては正しいであろう。しかし、実際に、公安事件も含め、刑事司法の現場が、すべて、そのような認識通りに運用されているかといえば、必ずしもそうではないのである。

日本の刑事司法は、事実を否認する被疑者を長期的に身柄拘束する「人質司法」、検察官による証拠の独占など、検察官にあらゆる権限が集中している。そして、検察は、第一次捜査機関の警察とは極めて近い関係にある。

このような刑事司法の実情を考えた時、私は、「刑事司法への信頼」を前提に、特定秘密保護法に問題がないとする意見には、賛成できない。

引用:特定秘密保護法 刑事司法は濫用を抑制する機能を果たせるのか | 郷原信郎が斬る

官僚組織である検察に権限が集中し、しかも、マスコミも、それに対して批判機能を果たせない日本の刑事司法の現状の下では、その法律に基づく権限の濫用を抑制することが困難だという、刑事司法の実情の方に問題がある。/郷原信郎弁護士

特定秘密保護法案が、少数の野党の反発やマスコミなどの強い反対を押し切って、今日、参議院で採決され、成立する見通しだと報じられている。

私も、このような行政への一層の権限集中を招く立法が行われることには反対である。しかし、それは、法案自体に問題があるということではない。むしろ、官僚組織である検察に権限が集中し、しかも、マスコミも、それに対して批判機能を果たせない日本の刑事司法の現状の下では、その法律に基づく権限の濫用を抑制することが困難だという、刑事司法の実情の方に問題がある。検察出身の法律実務家の立場から、その点を中心に、私の見解を述べてみることにしたい。

引用:特定秘密保護法 刑事司法は濫用を抑制する機能を果たせるのか | 郷原信郎が斬る

確かに、かつての我が国では、性犯罪に対する量刑が諸外国と比較して異常に低かったが、10年程前から量刑の水準は相当厳しくなっている。/郷原信郎弁護士

投稿日 2013年5月20日 投稿者: nobuogohara

2009年に検事退官後、「元東京地検特捜部副部長」などの肩書で、テレビニュースやバラエティ番組のコメンテーターなどでメディアに露出することが多い若狭勝弁護士が、自民党公認で参議院議員比例区に立候補することを正式に表明した。

公人たる参議院議員に立候補する若狭勝氏(同期任官の間柄でもあるので、以下、「若狭」と略称する。)の人となりについて、選挙での有権者の選択の参考に供するため、記憶をたどりつつ、できるだけ客観的に、書いてみようと思う。

同期の検事同士だった頃の若狭は、私にとって悪い印象・記憶は殆どない。理科系出身という「変わり種」で2年年長だった私に対して、若狭は、それなりに敬意を払ってくれており、同期会の際などにはいろいろ親しく話をした記憶がある。

1990年4月、私は、公正取引委員会に出向し、若狭は、東京法務局に訟務検事(国に対して提起された国家賠償訴訟や行政訴訟で国の代理人として訴訟を担当する)として出向した。その頃の同期会で、私は、「訟務検事は、訴訟で国を勝たせることばかりを考えるのではなく、行政の対応についての指導的機能を果たすべきではないか。」ということを、公取委の行政に関する問題意識を踏まえて話したことがあった。若狭は、「そういうことは考えたことがなかった。訟務にもそういう観点は必要だ。」と私の意見に全面的に賛成してくれた。当時の彼には、人の話を素直に受け入れる柔軟性があったと思う。

1993年春、私は、公正取引委員会から東京地検に戻り、特捜部に配属された。その年の夏から、特捜部が手掛けたのがゼネコン汚職事件だった。私が、別の事件で逮捕した被疑者を小菅の東京拘置所で取調べていた時、刑事部からの応援でゼネコン汚職事件の被疑者を取調べるため、同じ東京拘置所に来ていたのが若狭だった。身柄を拘束した事件の取調べを担当する検事は、朝から晩まで東京拘置所での取調べを行う毎日が続き、食事も昼夜の二食は拘置所の職員食堂で一緒にとる。同期だった彼とは話をする機会も多かった。

このゼネコン汚職事件の内実がいかにひどいものであったのかは、拙著【検察が危ない】(ベスト新書:2010年)の第三章「世論に煽られ、世論を煽る」に書いてあり、それをモデルにした推理小説【司法記者】(講談社:2011年)もペンネーム「由良秀之」で出版してある。

私は、ゼネコン業界の談合構造を解明することなく、古典的な贈収賄ストーリーに沿った供述調書をとるために手段を選ばないという特捜部のやり方に、疑問を感じていた。しかし、若狭は、特捜部の捜査に批判的なことは一切言わなかったし、捜査方針を丸ごと受け入れ、上司や主任検事の指示どおりに仕事をしていた。特捜部の捜査に幻滅し、二度とこのようなところで仕事をしたくない、と思っていた私とは、全く正反対の考え方だった。

ある時、彼が、私に本音を語ってくれた。「自分は、今、刑事部から応援に来て、特捜部に試されているところだ。何とか評価されて特捜部の正検事として仕事をしたい。」恰好をつけず、そういう本音を語る、ある種の率直さが、彼にはあった。

翌年度から、彼は、希望どおり、特捜部の正検事となった。一方、私は、ゼネコン事件の捜査の最終段階で検事辞職を決意し、最終的には慰留されて検察にとどまったものの、その時から特捜部とは訣別した(拙著【検察の正義】(ちくま新書):2009年、第一章「私が見てきた検察」)。その後、私は、広島、長崎などの地方の検察庁での独自捜査、法務総合研究所での企業犯罪に関する研究など独自の世界を歩み、特捜部中心の人事コースに乗った若狭と、仕事上の関わりを持つことは殆どなかった。

長崎地検次席検事として捜査を指揮した自民党長崎県連事件で、自民党地方組織の公共事業をめぐる集金構造を解明し、地方での検察独自捜査の新たな世界を切り開いた私は、2003年春に、東京地検に異動になった(前掲拙著【検察の正義】終章「長崎の奇跡」)。

地方の中小地検が東京地検特捜部から応援までとって政界捜査を行ったことで、特捜部や検察幹部から反感を買ったためか、公判部(捜査担当ではなく裁判担当)の班長として窓際で仕事をさせられていたころ、特捜部の直告班の班長の若狭が捜査し起訴した背任事件の公判を担当したことがあった。

特捜部が政界捜査への展開をめざし、「入り口事件」として大企業に強制捜査を行ったものの、政界捜査は不発に終わり、残渣のような事件が公判部に回ってきたものだった。証拠を検討してみると、関係者の供述の内容に重大な矛盾があることがわかった。その経緯などについて説明を受けた上で公判立証を行う必要があると考え、特捜部の若狭の部屋を訪れて協議を行った。私としては、淡々と問題点を指摘したつもりだったが、若狭は怒り出した。「特捜部が検事正、次席の決裁をもらい、最高検まで了承を受けて起訴した事件に問題があると言うのか。公判部がそういうことを言ってきたと、検事正に報告する。」

そこで見た姿は、私の記憶の中にある、謙虚さをもっていた同期の検事の若狭とは全く違うものだった。私は検察部内の評判や出世など全く気にしていなかったので、そのようなことを言われても動じなかった。しかし、他の公判担当検事であれば、そもそも特捜部が起訴した事件について、問題点を指摘することなどできないだろうし、指摘したとしてもこのような対応をされれば、自分の出世を考えてその後口を閉ざしてしまうだろう。

後々、検察をめぐる不祥事が相次ぎ、検察改革の中で、「引き返す勇気」という言葉が使われた。しかし、少なくとも、特捜事件に関しては、公判部の担当検事が問題に気付いても「引き返す」提案をすることは、到底できないというのが実情だった。若狭の態度は、まさに、そういう「特捜至上主義」を象徴するものだった。

その後、私は、検察の現場勤務の傍ら、大学の特任教授を兼職し、独占禁止法をベースとする経済法令の制裁制度論の研究を行った。それを、コンプライアンスの研究という独自の分野に展開させ、2006年に検事を退官して弁護士登録、コンプライアンスの専門家としての活動を本格化させた。特捜部の副部長となり、その後も、検察の現場の中枢で仕事をしていた若狭との接点は全くなくなった。

2009年春、若狭が、東京地検公安部長を最後に、検事を辞めたことを聞いた。「裁判員制度が始まり、冤罪を防ぐためには弁護士の役割がより大きくなるため、裁判員裁判の法廷に立ちたい。」というのが理由とのことだったが、その意味はよくわからなかった。その後、彼が、実際に裁判員裁判の法廷に立ったという話も聞かない。

そして、久々に若狭と再会したのが、2010年1月、陸山会事件での検察の小沢一郎氏への捜査が行われていた最中の、テレビ朝日の番組「朝まで生テレビ」だった。特捜捜査を徹底批判する私と、検察の捜査を正当化し、その言い分を代弁する若狭とは全く正反対の立場だった。

そして、今年の春になって、若狭が参議院議員選挙比例区に、自民党公認で立候補するという話を聞き、正直なところ、「まさか」と思った。

特捜検察は、政治権力と対峙・対決してきた存在だ。若狭は、その特捜の世界をめざし、その中枢で、班長、副部長を務めた人間だ。その政治権力の座をずっと占めてきたのが自民党であった。若狭も、特捜部副部長として、日歯連事件など自民党政治家をターゲットとする捜査に関わってきた。

そして、検事退官後は、テレビのニュースやバラエティ番組に多数出演してきたが、それは、特捜部副部長経験者としてキャリアによるものであり、そういう意味では、現職時代も、退官後も、まさに「特捜部の看板」で仕事をしてきた、というのに近いのではなかろうか。

そういう若狭が、自民党の総裁から公認証書を受け取り、自民党候補として、自民党への支持を訴える選挙活動を行っていくことには、彼のこれまでを知る人間であれば、誰しも違和感を持つであろう。

そのような違和感を持たれてまで、彼が、国会議員になろうとする理由は何なのか。

「わかさ勝」のオフィシャルサイトの「決意と政策」には、「法律のプロとして、社会の基盤である法律を正しく整備して社会の崩壊を防ぎ、豊かな日本を築きます。」と書かれている。「不合理、不平等な規定」の具体例として、「強盗が懲役5年以上の刑罰なのに対し、女性に精神的・肉体的苦痛を与える強姦は懲役3年以上の刑罰にすぎません。明治時代に制定された刑法は、財物より女性の貞操を軽視していましたが、未だにその影響が残っているのです。」と述べている。

確かに、同じ「暴行」「脅迫」を手段とする犯罪なのに、財物を取得する強盗は、「5年以上」、貞操を奪う強姦は「3年以上」という法定刑の違いが不合理だというのは、性犯罪被害が女性にもたらす肉体的、精神的苦痛の重大さ、深刻さを思えば、女性の側の心情としては理解できる。

しかし、両者の法定刑の「下限」が異なることを、「女性の貞操の軽視」の影響と、単純に言ってしまって良いのであろうか。

暴行、脅迫を手段して財物を取得する犯罪として、強盗罪のほかに恐喝罪がある。強盗罪と恐喝罪は、暴行、脅迫が「被害者の犯行を抑圧する程度」か否かで区別される。つまり、強盗罪は、暴行、脅迫の程度が著しいものに限られる。しかも、強盗も強姦も法定刑の上限は同じ「有期懲役」であり、悪質・重大な犯罪に対しては、その悪質・重大性を十分に立証することで、上限一杯まで厳しい量刑をすることも可能だ。果たして、刑法が、財物との比較で貞操を軽視しているという見方が適切であろうか

また、刑事事件の実務の観点からは、強姦事件の中には、犯人と被害者との間にもともと男女関係があり、関係のもつれが告訴につながった場合などのように「和姦」かどうかが微妙な場合、また、被害者側の行動が犯行の引き金になった場合など、暴行、脅迫と姦淫の因果関係は否定できないので、形式上、強姦罪の成立は否定できないが、厳罰を求めることには躊躇を覚えるという事案もあり得る。2004年に2年から3年に引き上げられた強姦罪の法定刑の下限をさらに引き上げることで、そのような事件の処分が適切に行えなくなることを懸念するのが、検察の現場経験に基づく実務家的発想ではなかろうか。

確かに、かつての我が国では、性犯罪に対する量刑が諸外国と比較して異常に低かったが、10年程前から量刑の水準は相当厳しくなっている。それは2004年の法定刑の引き上げだけではなく、性犯罪被害の実態を刑事処分や公判立証に反映させ厳しい処罰を求めることに関して、警察や検察の現場の姿勢が大きく変化し、地道な努力が行われてきたことによるところが大きいのではなかろうか。

私も悪質な性犯罪に対する量刑をさらに厳しくすることの必要性を決して否定するつもりはない。「女性の尊厳を害する強姦は殺人に等しい」という女性の側の悲痛な訴えがあることも十分に理解できる。しかし、「法律のプロ」が国会議員に必要であることの理由として、強盗と強姦の法定刑の下限の違いが不合理・不平等であることを真っ先に挙げるというのは、実務家の感覚としてはは理解できない。

ここ数年相次いだ不祥事によって、かつては「最強の捜査機関」と言われた特捜部の看板は大きく傷つき、信頼は地に墜ちている。私は、そういう特捜検察の捜査のやり方を一貫して批判し、特捜検察が、政治権力に対抗する政治的影響力を及ぼすことの問題を指摘してきた(拙著【検察崩壊 失われた正義】毎日新聞社:2012年)。そういう私ですら、つい数年前まで特捜部の現場で政界捜査を率いていた特捜幹部OBの、「特捜幹部経験者としてのテレビ出演から更に政権与党の国会議員への転身」には違和感がある。かつて捜査を共に行った部下の検事達や、その捜査を取材していた司法関係の記者達の違和感は一層大きなものであろう。それでもなお、彼が国会議員になろうとする理由は、私には、どうしてもわからない。

長年特捜部に勤務し、「特捜の看板」を背負う中で、その謙虚さ、素直さを失ってしまったように思えた若狭は、テレビコメンテーターから政治家への転身の中で、法律実務家としての魂すらも売り渡してしまったのだろうか。

今回の若狭の参議院議員選挙への出馬は、「特捜検察の凋落」を象徴する出来事のように思える。その当事者である若狭が、参議院議員選挙でどのような選挙活動を行い、有権者がどのように評価・判断するのか、注目したい。

引用:参議院選出馬の若狭勝弁護士、「法律実務家としての魂」はどこに? | 郷原信郎が斬る

「法令遵守」がここまで極端に「悪弊化」するとは、私にも想像の範囲外です。本当に「世も末」という感じですね。/郷原信郎弁護士

私も同様の印象を持っています。本来、国が行うべきことを民間に協力させているに過ぎないのに、どうしてこういう事態になるのか。/郷原信郎弁護士

私は、一貫して、コンプライアンスを「法令遵守」ではなく「社会的要請に応えること」ととらえています。【「法令遵守」が日本を滅ぼす】/郷原信郎弁護士


大坪・佐賀断罪のために「検察の正義」を丸裸にした控訴審判決/郷原信郎弁護士

9月25日、大坪弘道元大阪地検特捜部長の犯人隠避事件の控訴審判決が言い渡された。

主文は、「控訴棄却」だった。

大坪氏が特捜部長として指揮した郵便不正事件・村木氏事件での検察の捜査・公判を厳しく批判してきた私が、なぜ一審有罪判決に対して控訴した大坪氏の弁護人という立場での活動を行うに至ったのか。

それは、部下の特捜部主任検察官による証拠改ざんという問題に対する危機管理対応において、長年所属してきた「検察の論理」に従い、組織防衛のために行った大坪氏を、独占する公訴権の「刃」で斬り捨てた検察のやり方が、あまりに理不尽かつ不当なものだと考えたからだった。そのようなやり方は、検察の歴史に重大な禍根を残すだけではなく、検察不祥事の本質から目をそむけ、検察の抜本改革を妨げるものでしかないと考え、私は、大坪氏の弁護人として、検察の「不当な組織防衛」を追及する側に立った。

ところが、判決は、控訴趣意書・補充書での弁護人としての私の主張をことごとく退け、大坪・佐賀両氏を逮捕・起訴した検察の主張と一審判決を、丸ごと容認した。その結論だけを見ると、判決は、大坪・佐賀両氏の「組織防衛」のみを断罪し、検察組織の「組織防衛」を丸ごと許したかのように見える。

しかし、判決書を熟読すると、そのような結論を導き出すために判決が示した判断には、検察組織に対して重大な影響を生じさせる論理が含まれていることがわかる。

検察が行った両氏の逮捕・起訴、それを丸呑みした一審判決は、明らかに無理筋だった。それが無理筋であることを指摘する控訴趣意書の主張を排斥するために、控訴審判決が用いた論理は、検察組織、検察実務に対して、猛毒となるものだった。

引用:大坪・佐賀断罪のために「検察の正義」を丸裸にした控訴審判決 | 郷原信郎が斬る

落合弁護士、検察に対してかなり荒れている。/郷原信郎弁護士


論外というか、本当に情けない。「正義の検察」が、ここまで羞恥心のない/郷原信郎弁護士