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<志布志事件>捜査は違法…国と県に賠償命令 鹿児島地裁 http

– 投稿者:yjochi(落合洋司 Yoji Ochiai) 日時:2015/05/15 15:27 ツイート: https://twitter.com/yjochi/status/599098714775359488

タイトル部分に半角コロンが含まれていたので全角コロンに変換処理しました。APIでの投稿において不具合が生じるためです。

選挙違反捜査では、検察庁は一般事件とは異なり、必ず強制捜査の前から警察からの相談を受け、起訴までは請合いませんが、身柄事件として進めるのであればそこも含め了承するのが通例で、供述調書を作成するにあたっても、「PS立証」といって(「PS」というのは検察官調書の実務における略称です)、警察調書(KS)は公判で使わないことを前提に、逐一、PS化することになっています。選挙違反捜査が民主主義の根幹に関わるものだけに、そういった特別な取り扱いがなされているものといって良いと思います

その意味で、上記のように、「全被告が否認に転じても公判を継続した点を問題視し、注意義務違反を認定した。」というのは、本件のあまりにも問題が多い捜査に照らして考えると、私としては中途半端な印象がありますが、裁判所としては、そういった捜査の問題を踏まえつつ、固いところで、手堅く、検察庁の注意義務違反を認定したものなのかもしれません。判決文を読んでみる必要がありそうです。

選挙違反捜査は、失敗例も少なくなく、本件はその中でも特にひどい失敗例だと思います。こういうことにならないように、捜査関係者は、この事件から多くの教訓を導いて今後の適正捜査へと生かさなければならないでしょう。

引用:2015-05-15 – 弁護士 落合洋司 (東京弁護士会) の 日々是好日

司法取引導入 冤罪を生む温床にするな – 弁護士 落合洋司 (東京弁護士会) の 日々是好日 (id

「他人」の犯罪についての供述は、共犯者についてよく指摘されますが、「引っ張り込みの危険」といって虚偽が語られ冤罪が生じやすいもので、上記の記事中の「米国の司法取引でも冤罪が露見し問題となっているケース」にもそういうものはあります。司法取引では、そういう引っ張り込みがあっても、引っ張りこんだほうは責任が軽減されたり免れたりするわけで、それだけに危険なものがあるでしょう。

そういった供述の信用性評価にあたっては、従来以上に「供述経過」の検証が強く求められることになるべきですが、上記の記事にもあるように、可視化が全面的でない上、特に悩ましいのは供述者が弁護人と対応を協議している部分は秘密交通権の保障もあり闇の中(供述経過の検討上は、という意味でですが)で、そこで、嘘をついても自分は逃げ切ろう的な話がされていれば信用性評価の上で検討できないということです(弁護人には守秘義務があり語らないし語れないでしょう)。そこは、弁護人の倫理的な対応も求められると思いますし、例えば、強く否認していたものが一転して認める、その経緯に不審がある、といったケースでは裁判所が問題意識を持って臨むことも強く求められるところです(弁護士だから常に適切にアドバイスしていると即断すべきではありません)。

新たな制度が導入されることで、従来は特に問題視されてこなかったような部分に、新たに光を当てて、より慎重かつ十分な供述の信用性評価を心がけることが必要になると思います。

引用:2015-05-09 – 弁護士 落合洋司 (東京弁護士会) の 日々是好日

加害者からの示談申入れに応じないと・・・ | 碁法の谷の庵にて – 楽天ブログ/囲碁好き&一応弁護士

015年03月20日
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加害者からの示談申入れに応じないと・・・
カテゴリ:事件・裁判から法制度を考える

 弁護士と被害者の示談交渉が、最近しばしば問題になっています。
 

 まず、被害者には示談交渉に「応じる義務がある」わけではそもそもありません。
 交渉なんか一切合切突っぱねたい、法的に出るとこ出て解決します、あるいは、加害者からの金なんか一切受けとりたくないというのは被害者の自己決定として尊重されるべきことであり、それ自体は特に非難されるようなことではありません。
 このことをまず大前提として確認しておきます。

 その上で、びた一文貰いたくない、それで生活が苦しくなろうと、被害回復が遅れようと構わない(あるいは保険などの別口でもう回復されている)というのであれば、一切合切拒否するというのは一つの手でしょう。
 それを加害者やその弁護人が非難する資格はありません。

 しかし、「やはり金銭は欲しい」という結論の場合もありえます。治療代や当座の生活費に追われてしまうケースだって少なくないはずです。
 例え最初はいらないと思っていても後からそうした費用に追われ出してしまい、やはり欲しいという結論になる場合もあるでしょう。
 その場合には、示談交渉に応じないという選択肢はリスキーな場合が多いです。

 損害賠償の請求権は、示談に応じる応じないにかかわらず存在するでしょう。
 しかし、請求権を現実の金銭に代えるのは一苦労です。
 債権回収のプロでさえ不良債権に苦しんでいる昨今ですが、交通事故のような保険が整っているものを除けば、犯罪被害に伴う債権は不良債権の筆頭とも言うべきもので、金銭に代えるには並々ならぬ負担が必要なのが現状である、という認識は持っておく必要があります。
 

 その上で、示談に応じるかどうかを考えるにあたっては、下記の事実を知っておくと良いと思います。
 下記の事実を踏まえた上で、示談交渉に応じるかどうかは決めるのがよいでしょう。
 加害者弁護人としての立場ではなく、被害者側として相談に乗るケースであっても、私は下記のことを伝えて判断するように言います。(経験もあります)

一、手続は面倒orお金が掛かる!!
 示談交渉を使わない場合、相手から金銭を回収するためには、民事訴訟手続などの法的手続を使用しなければなりません。
 別途弁護士を頼むのでなければ、その手続は面倒なことになります。
 手続の面倒については弁護士を別途頼むということは考えられますが、弁護士も無償では仕事は受けられませんし、法テラスの支援による弁護士の依頼も全くの無償ではない(減免制度はありますが)ので、ケースによっては「素直にもらっておいた方が弁護士費用がかからない分得策」ということもあります。
 なお、かかった弁護士費用を相手方から全額取り立てることは現行実務上は難しいと言わざるを得ません。

二、例え裁判に勝っても回収できない!!
 仮に、民事訴訟や損害賠償命令等の制度を使って勝ったとしても、それで強制的に財産にできるのは、加害者個人の財産だけです。
 未成年者で親権者に監督責任などが問えるケースでなければ、「加害者の親族等の財産は取れない」のです。加害者自身に金銭や不動産などの換金可能な財産がなければ、どんな判決も紙切れです(一部自治体では、その辺支援する条例もあるようですが...)。
 仮に預貯金があったとしても、加害者自身の口座を調べるのも一苦労です(個人が心当たりのある銀行に照会しても、「個人情報」の一言で突っぱねられますし、弁護士会照会でも応じない銀行は多いです)し、調べたところでそもそも財産がある保証はどこにもないのです。

三、家族のお金を受け取れるのは示談交渉だけ!!
 二と重なりますが、示談交渉の際には流石に弁護士は原資を準備した上で交渉に臨み確実に受け取れるようにしますが、その金銭の出処は加害者自身というケースは少なく(ありえないわけではありませんが)、「家族が処罰されるのは忍びないから」という理由で家族などが出しているのが通例です(私が過去に持った被害弁償で加害者自身のお金から出した、というのは万引き事件だけでした)。
 当然、刑事裁判が終われば家族の処罰を軽くするという目的は達した、あるいは達しないことはもう確定してしまった以上、家族は原資を引き上げてしまう可能性は高くなります。道義的責任を感じているとかで原資を引き上げない家族もいるかもしれませんが、引き上げない義務があるわけではない以上、期待はできません。
 二で書いた通り家族の財産は強制執行できないので、もらえるものをもらっておかなかったばかりに手遅れということは普通に考えられるのです。
 なお、いくら被害者でも、監督責任を問える可能性があるケースでもない限り、「家族だから払ってもらいたい」などという交渉をすることは許されないでしょう。金融業者がやれば貸金業法違反、弁護士がそんな交渉をすれば懲戒です。

四、弁護士が間に入るのも示談交渉だけ!!
 裁判が終わってしまうと、弁護人は権限を失ってしまいます。
 弁護人が裁判をやっている間示談交渉の窓口に立つことができたのは、弁護人としての権限があったからです。
 権限をなくして元弁護人になってしまえば、「元弁護人には勝手に示談に応じる権限はない」のです。
 勝手に代理権があるかのように振舞って、結局払うのは嫌だね、と言われてしまえば空振り。
 そうさせてしまえば、弁護士は懲戒を食らっても文句は言えませんから、当然もう応じられませんというにべもない対応しかできないことになります。
 そもそも示談金の準備には弁護士も家族と交渉してなんとかもう少し出せませんか?という対応をしていることも少なくありません。弁護士から権限がなくなった状態にするのは危険なのです。

五、示談に応じなくても加害者の量刑上酌量される!!
 示談に応じなければ、犯人の処分が軽くなると言えるか。
 受け取らなければ量刑は重いまま、という理解をしている方は多いようですが、実際は微妙です。
 というのも、加害者が適正な金額で被害弁償や示談の申し入れをしているのであれば、おそらく加害者の代理人は預かった金銭を法務局に供託するか、少なくとも裁判所に示談交渉の経緯を報告するはずです(私もやっています)。
 そうすると、裁判所は「示談交渉のための基本的な努力をした」ということで、被告人にとって酌むべき量刑の事情として解釈するのが通例です。
 現に受け取るに至るのと比べれば多少の差はあるかもしれませんが、量刑が劇的に変わるようなことはとても望めません。効果はあったとしても「裁判官が迷った時に重い方に振れやすくなる」程度だと考えておくべきところです。

引用:加害者からの示談申入れに応じないと・・・ | 碁法の谷の庵にて – 楽天ブログ

弁護士による告訴取り下げ強要!?|走る物書き弁護士のブログ!/法坂一広(筆名)

弁護士による告訴取り下げ強要!?
2015-01-19 21:50:23
テーマ:法律関係(??)

http://mainichi.jp/select/news/20150117k0000m040155000c.html

この記事を読んで、みなさん、どういう感想をお持ちになったでしょうか。

ツイッターやらフェイスブックを見る限り、弁護士は依頼者のためなら何でもやるんか~!という人が多数。
まあ、一般の方なら仕方ないと思います。

ただ、普段は「裁判や事件の報道は一面的だ。信用できない」と言う弁護士の皆さんが、こんな弁護士はひどい、品位を害する、懲戒だ~!と声高に叫んでいるのを見ると、何だかねえと思わざるを得ません。

中身をちゃんと読んでるのだろうか。
これで「懲戒しろ~!」なんて、少なくともネットに向かって吠えてる人は、橋下さんの懲戒煽りと同じことやってると思いますよ。
ってか、騒ぐんだったら、自分で申し立てればいいじゃん。

まずは最後の「否認している」という部分を見落としているんじゃないでしょうか。
「否認」である以上、現場「ビデオ」はかなり重要な証拠になる場合があります。
じゃあ、これを警察・検察に渡せばいいかというと、弁護戦略上、必ずしもそうとは言えない。
なので、このまま裁判になれば、法廷に提出することもあり得ますというのはそのとおりでしょう。

次は、「被害者」の言葉は「代理人(=弁護士)」を通しての伝聞であるという点です。
「伝聞」供述の信用性が低いというのは刑事訴訟法の基礎中の基礎ではないのでしょうか。
被害者の代理人弁護士が、弁護人の言葉に腹を立てて、大げさに伝えてしまったということもあり得るはずです。

弁護人の立場として、当該映像に被告人にとって有利な部分が含まれている(=「被害者」が嘘を言っている)と考えた場合に、代理人に対して「実は『犯行現場』を撮影したビデオがある。見た限り、『被害者』に不利な映像で、このまま裁判になれば法廷に出す必要がある。ここは穏便に取り下げてもらえないだろうか」と言うくらいのことはあり得ると思うのです。
弁護人が「選択肢の一つとして示した」とコメントしているわけですから、このくらいのニュアンスではないのでしょうか。

というか、弁護人は「告訴を取り下げてくれ」と言っているだけで、「示談金はゼロ」というのは、否認しているから示談金は払えないと言ったものと聞くべきでしょう。

記事の見出しとして「取下強要」というならまだしも、どうしてこれが「示談強要」になるのかもよく分かりません。不正確と思います。

それで、取り下げてもらったら事件として終了するわけですから、基本的には「証拠隠滅」にはならないわけで、逆に、弁護人としては証拠隠滅と言われる危険を冒して、「被害者」のために映像を処分すると言ってるわけじゃないですか。
ここが批判される意味も分かりません。

まあ、一般の方はともかく、弁護士がこの件について弁護人を批判するのであれば「被害者の証言のとおりなら」という一言を付け加えるべきでしょうね。
でないと、一般の方々の誤解を煽り、弁護士の品位を害することになりかねません。

引用:弁護士による告訴取り下げ強要!?|走る物書き弁護士のブログ!

宮崎の事件の弁護士批判キャンペーンに弁護士が参加しない理由。本当は弁護士も人前で怒りたいけれど。:弁護士の机の上:So-netブログ

宮崎の事件の弁護士批判キャンペーンに弁護士が参加しない理由。本当は弁護士も人前で怒りたいけれど。 [刑事事件]
昨日の私の記事は、
いかにも歯切れの悪い文章でした。
うまく伝えられないからやめちまおうかとも思いましたが、
それではこのブログを続けている意味もないので、
もう少し、努力してみることにします。

弁護士も、家では
ネットやテレビ、新聞のニュースで、
瞬発的に怒りまくって、
罰しなくてはいけないなんて息巻いているわけです。
職業を離れた私は、
人権感覚よりも処罰感情が強いという自覚もあります。

また、弁護士同士が約束事が通じる中で、
素に戻って、ありゃだめだ許せないなんてことを言うこともあります。

しかし、対外的に、弁護士以外の人に対して、
弁護士だとわかられて発言するときは、
自分の感情をぐっとこらえて(今は自然にそうなるのですが)
言わなくてはいけないことを言い、
言ってはいけないことを言わないということなのです。

特に、自分が担当していない事件についてや
裁判のあり方については徹底しなければならないと思っています。

頑張って理由を述べます。
では、

<無罪推定と人権感覚>
裁判で有罪とならないうちは
無罪かもしれないということで扱わなければなりません。
初めから有罪だという扱いをしてしまったことによって、
無実の罪をきせられた人がいたので、
このように、無実なのに、何年も刑務所に入れられたり
死刑になるということを避けるためには
無罪推定の原則はどうしても必要な原則です。

本件のキャンペーンで
被告人が有罪であることを前提に
キャンペーンが行われているとしたら、
法に触れるというわけではありませんが、
無罪推定の原則には反しますので、
弁護士はできないのです。

無実の人に対する誤審は、
いかにも有罪らしいということから生まれます。

「そんなこと言ったって被害者がかわいそうだ
重大な人権侵害があるじゃないか。」
というご意見はあると思うのです。
でも、裁判にかかわる弁護士は
無罪原則を貫かなければならないと思います。

「人権感覚」という言葉あります。
かわいそうな人をかわいそうだと言って
救済するのも人権感覚でしょう。
とても大事なことだと思います。
悪い人を悪いという正義感も必要です。

でも、弁護士だけは
このようなメジャーな感覚では
職業として成り立ちません。

みんながこいつは悪い、どうにでもしろ
と世間が大合唱しているときに、
自分だけは弁護するというのが、
弁護士という職業に求められているからです。

ある意味、被告人、特に真犯人である被告人は、
究極のマイノリティーかもしれません。
究極のマイノリティーに職業として寄り添うのが
弁護士としての「人権感覚」なのです。

このような刑事弁護は、弁護士だけが行う仕事で
弁護士資格のない人はやることができません。
弁護士は、特に責任が重いということにもなります。

悪いことを悪いといえる検察官が
とてもまぶしく感じることがあるわけです。

おそらく、再審無罪となった刑事事件で、
被告人が罪を認めないという報道があったら
人を殺しておいて罪を認めないなんて
なんて悪逆非道な奴だという批判があったのでしょう。
そのときインターネットがあれば、
キャンペーンも行われたのでしょう。

治安維持法下における弾圧事件も同じでしょう。

みんなが石を投げる事件でこそ
弁護士としての人権感覚が試されているわけです。

<報道は真実を伝えないことがある>

刑事事件をやらない弁護士でも、
マスコミ報道によって
依頼者が苦しめられたという経験をしているはずです。

一方的な視点で書かれて、
それが真実のように世間から思われてしまう。
ますます依頼者が孤立していく。
社会的信用を
必要以上に失っていく
ということを経験しています。

人間同士の紛争ですから、
どちらかに肩入れしたならば
どちらかの落ち度が際立っていくことになるのは
当たり前のことなのに、
一方に肩入れしすぎてしまう
ということもある程度あるわけです。

こういうときもマイノリティーが作られてしまうわけです。

また、
弁護士は証人尋問をして、その証言が
確かなのかを吟味することが職業として求められています。
その人から出た言葉なのですが、
それが正確であることはなかなか難しいわけです。

その人は体験したことを話すだけなのですが
まず、そもそもきちんと見聞きしたのか
変な思い込みはないか。
覚えているときにほかのことと一緒になってしまっていないか。
記憶通りに話しているのか
言葉の使い方を間違って別の意味のことを言っていないか
等を確かめる訓練を受けるわけです。

人から聞くのと、また別の人から聞くのでは
同じ事実でも全く違った風景になることもあります。
ましてや、被害者サイドに立ったマスコミ報道で
それを鵜呑みにするということは
職業的にありえないことなのです。

(家のワイドショーを見てぶつくさ言っている
素の人間に戻る時間は、そんなこともないのです。
あくまでも対外的な話ですよ。)

だから、弁護士は、
ほかの弁護士の事件について評価することはあまりありません。
事件というものはたいてい複雑で、
1時間程度話を聞いても全貌がわからない
ということがほとんどだと思っています。
何カ月も、何年も事件と向き合った担当弁護士とは
情報量が違いすぎます。
ある部分だけを取り出して
従前担当していた弁護士を批判するということは
慎むべきだと思うからです。
弁護士のセカンドオピニオンが難しい理由があります。

事実に謙虚であれ
それを肝に銘じない法律家は
大変危険な存在ということになります。

<被害感情と第三者の存在>

実際、刑事弁護に示談はつきものです。
相手は被害者ですし、こちらは加害者の弁護人です。

おそらく多くの国民は、
弁護人というのは、こずるい方法で
被告人の刑をまけてもらう値切りのプロだと
思われているのかもしれません。

実際は、そんな被告人の利益を前面に出して
示談が成立するということはあまりないのではないでしょうか。

被害にあわれた方の被害をおもんばかり、
少しでも被害回復していただく
刑が軽くなるのはあくまでも結果ということでなければ
うまくいかないのではないかと考えています。

弁護人だから示談するわけですが、
被害者の利益にもなるように動くわけです。
これはとても良い仕事になることがあります。
加害者側として被害者に寄り添うわけです。
実際に被害者とのやりとりで
人情の機微に触れたり、勉強させてもらうことも
多くあります。

ただ、被害者の方は被害にあわれているわけで、
多くは、加害者に怒りをお持ちです。
さらに、再び被害にあうかもしれないという
危機感があるだけでなく、
被害にあったことを責められたりして、
自尊感情が低下していることもあります。

弁護士がフランクに接しているつもりでも
相当注意しなければ、
危機意識を活性化させ、
怒りが増幅するだけでなく、
その怒りが弁護士に向かうことも
ありうることです。

私は丁寧に丁寧に接するべきだと思うのですが、
いろいろな考えの弁護士はいるでしょう。

また、気を付けなければならないのは、
一対一で話しているとき、
ああ、いい感触だなと話を勧めていても、
被害者の方は、相手が弁護士だからということで
遠慮してあわせていただいているということもありうることです。

さらに、その時はいい感じで話していても
あとから、あの言葉何なんだと抗議されることもあります。
依頼者との関係でもありうることです。
事件の種類によっては、
気分が変調することが当たり前ということもあるし、
その時のやり取りを忘れてしまうということも実際あるわけです。

だから、私は、
微妙な事件の場合、
一対一で会うことをなるべく避けて、
被害者の方に同行していただく方と
一緒にあうようにすることもあります。

ところが、一番その必要性の高い
性犯罪の被害者の方は、
お身内にも事実を話せないということが
普通によくあります。

こちらが最善の注意を払って時間もかけて
相手方を傷つけないようにお話し合いをしても、
誰かとの電話一本で
コロッと結論が変わることもよくあります。
あるのです。

その場にいたら、
なんということもない話が、
第三者からすれば気に食わない
「あなたそればかにされているわよ
もっと主張しなさいよ。」
の一言で変わってしまうのです。

普通の弁護士ならば
そんな経験山ほどあるでしょう。

今回の宮崎のケースは
真実がわかりませんので、
弁護士は、論評を避けているはずです。

もしかしたらキャンペーンの言うように
高圧的に、告訴を取り下げるように脅かしたのかもしれません。

しかし、一般的には、以下のようなやり取りがあった
可能性もあるわけです。

弁護士「現在、あなたは告訴をしていらっしゃいますね。
でも、被疑者は合意があったと主張しているんです。
あなたの言っていることを疑っているわけではないとしても、
そうなると立場上私も、無罪主張しなければならないし、
無罪を裏付ける可能性のある証拠を提出しなければ
ならないのです。ビデオテープです。
これが、裁判官や検察官もビデオテープを見ることになります。」
被害者「傍聴人も見るのですか」
弁護士「ならないかもしれませんが、裁判官が判断することなので」
弁護士「告訴を取り下げていただけるならば、
このビデオを証拠で出す必要がなくなります。
私が責任を持って処分します。」

これが、被害者が第三者にこれこれこうだったと話すわけです。
第三者「じゃあ、ビデオを証拠で出さないから
告訴を取り下げろってことなんじゃないの。
示談金についてはいくらって言ったの?
被害者「示談金の話はされていなかった。」
第三者「金も出さないで告訴を取り下げろってことなの?」

そうすると、確かにそうだなと被害者の方は思われるわけです。
客観的な事実だけをつなぎ合わせると
実際そうなるのでしょう。
被害者の方も、「弁護士に自分が疑われていたのかもしれない。
声を上げることも否定されたのか。」と
そういう側面を強調して考えていくようになるでしょう。

第三者の方に悪意があったわけではないのですが、
その場にいないことで話が変わっていくことがある
ということを言いたいのです。

また、あくまでもそういう可能性があることを
弁護士は考慮しなければならないということを言いたいだけです。
宮崎の事件についてこうだったのではないかということを言いたいのではありません。

事実に謙虚であるということは
一つの視点で決めつけないということだと思います。

わたしならば、こういうケースは
被害者の方と一対一で会わず、
この第三者の方に付き添ってもらうことを
提案するでしょう。

このような体験をしているはずの弁護士は
事実を確認する方法もないにもかかわらず、
本体の刑事裁判の結果が出ていないにもかかわらず
キャンペーンに参加しないのは
こういう理由があるからなんです。
ということを、
賛成していただかなくても
そういう考えもあるかもしれないと
思っていただければ
とても幸せです。

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引用:宮崎の事件の弁護士批判キャンペーンに弁護士が参加しない理由。本当は弁護士も人前で怒りたいけれど。:弁護士の机の上:So-netブログ

辛坊さんを襲った9年前の「自己責任論」 – 弁護士 落合洋司 (東京弁護士会) の 日々是好日/落合洋司弁護士

奥村徹(大阪弁護士会)の弁護士業務と研究活動/弁護士奥村徹

弁護士 奥村 徹 Toru Okumura
attorney at law

奥村&田中法律事務所
http://www.okumura-tanaka-law.com/www/top.htm
530-0047 大阪市北区西天満4-2-2 ODI法律ビル203
TEL 06-6363-2151 FAX 06-6363-2161
hp@okumura-tanaka-law.com
Skype:okumura_law

 奥村徹(大阪弁護士会)の弁護士業務と研究活動(不正アクセス禁止法・児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律 青少年健全育成条例、強制わいせつ罪、強姦罪)、児童福祉法、児童に対する性的虐待・性犯罪、著作権法、信用毀損、名誉毀損、わいせつ図画公然陳列、電子計算機損壊等業務妨害、その他サイバー犯罪、プロバイダ責任制限法などが中心です。)の一片を御紹介しています。専門分野は御覧の通りです。
 福祉犯や児童に対する性犯罪の弁護経験は裁判所に係属した事件だけで150件を超えました。
 休日や遠方の御相談も受け付けます。全国どこの事件でも受任可能です。
 よくある質問はFAQにまとめていますから御一読下さい。
 電話・メールでの問い合わせや簡単なご相談に対しては可能な範囲で無料で回答しています。とりあえず電話・メールでご連絡下さい。遠方の場合でも受任可能ですが、地元の弁護士に情報提供・共同受任するという形や近くの弁護士を紹介するという形で協力可能な場合もあります。留守番電話・メール・FAXは弁護士が随時チェックして対応しています。
弁護士費用については報酬基準を公開していますので御確認下さい。
http://www.okumura-tanaka-law.com/www/business/business_02.htm#
 相談を通して、委任契約の内容(依頼内容と費用)について話し合って、委任契約書を結んでから受任することになります。費用の見積もりは無料です。

引用:奥村徹弁護士の見解(06-6363-2151 hp@okumura-tanaka-law.com)

日本の検察が国民の福祉よりも自分たちの面目を保つ方が重要だと考えていることを示している。そして、それは、裁判員裁判の健全な発展にとって大きな障害物になる可能性がある

検察庁法によれば、検察官の仕事は「公益の代表者」として「公訴を行い、裁判所に法の正当な適用を請求[する]」ことである(検察庁法4条)。刑事手続における検察官の目標は、裁判に勝つこと(有罪判決を獲得すること)ではなく、正義を実現することである。国民は彼らの自意識やメンツのために税金を払っているのではない。当事者主義の訴訟を通して真実に根ざした正義が行われ、その営為を通じて自由と秩序が保たれることを期待して、高度の能力をもった専門家を雇っているのである。

われわれはこれから数年間の検察統計と司法統計に着目すべきである。裁判員対象事件の起訴率と他の事件の起訴率の変化に特に注意しよう。もしも、裁判員対象事件の起訴率が、他の事件と比較して、有意に減少したとしたら、それは、日本の検察が国民の福祉よりも自分たちの面目を保つ方が重要だと考えていることを示している。そして、それは、裁判員裁判の健全な発展にとって大きな障害物になる可能性がある。

引用:刑事裁判を考える:高野隆@ブログ:日本の検察はヘタレなのか?

江戸時代の武士の作法からすれば、私の背後に無言で近付いた瞬間に私に切り捨てられても申し開きは許されまい。現代の法廷において弁護人は

東京地裁の法廷の弁護人席で裁判官の登場を待っていると、スーツ姿の見知らぬ男女5名が法廷に入ってきて、そのうちの2人が傍聴席のバーを越えて、私の後ろに入り込んできた。残りの3人は法廷の反対側、検察官席に向かった。ジャケットの襟に司法修習生のバッジをつけている。私の後ろには長テーブルがあり、私のコートとカバンが置いてある。修習生が躊躇している姿に気付いた裁判所書記官は迷いもせずに、私のカバンとコートをどけて、修習生のための席を整えた。修習生は私に何の挨拶もなく、無言で私の背後のテーブルに着席し、もっともらしく三省堂模範六法の適当な頁を繰って目を落としているふりをした。

私の内部ではめらめらと怒りの炎が燃え盛った。が、今日は判決言渡しだけなので、依頼人のためにも我慢しようとした。そしてちゃんと我慢できた。

これほど失礼な、無神経な、無礼極まりない振る舞いがあるだろうか。無言で勝手に他人の所持品をどかして、挨拶もなく人の背後に陣取るなどということが許されるだろうか。江戸時代の武士の作法からすれば、私の背後に無言で近付いた瞬間に私に切り捨てられても申し開きは許されまい。現代の法廷において弁護人は訴訟記録や尋問メモを弁護人席において、法廷活動をする。ときには依頼人と小声でコミュニケーションをする。そのときに、背後に見ず知らずの他人がいるなどということはおよそ想定外である。そのような状態で十分な弁護活動ができるわけはない。

彼らは裁判官の下で実務修習をしているのであり、弁護人である私の下で修習しているのではない。私は彼らの名前もしらない。彼らは全くの赤の他人である。しかし、裁判員や傍聴人はそれを知らないだろう。私の後ろにいる以上、弁護人か少なくとも弁護人の関係者だと思うだろう。彼らが証人尋問中に鼻くそをほじっていたらどうだろう。被告人質問中に居眠りしていたらどうだろう。「被害者」の意見陳述の間に今晩の飲み会の打ち合わせをひそひそにやにやしていたらどうだろう。私や私の依頼人には彼らを管理できないのに、彼らの不始末の不利益はわれわれが負うことになる。

これは最近の東京地裁で頻繁に行われるようになったことである。私の1回だけの体験ではない。すなわち、東京地裁の裁判官たちは話し合いのうえで、組織的に修習生を当事者席に座らせることを決定したのだ。これほど不躾なことを事前に何の連絡もなく、さも当然のように一糸乱れず遂行できる裁判所というのは、一体どんなところなんだろう。それを指揮した裁判官という人たちはどういう人間なんだろう。少なくとも、彼らは、弁護人の法廷における仕事が秘密や自由を扱うセンシティブなものであることを理解していない。弁護士というのは、その背後わずか40センチの範囲を犯されても何も感じない人間だと思っている。それだけは確かである。

私が修習生をしていた30年前には、弁護修習中の修習生は弁護人席に座り、検察修習中の修習生は検察官席に座り、そして、裁判修習中の修習生は法壇の上の裁判官席に座ったのである。最近になって、裁判所は修習生を法壇から追い出した。それでも弁護人席に勝手に座らせることはなかった。法壇の横に修習生を座らせた。今回の動きは、おそらく裁判員裁判の法廷の構造が原因であろう。裁判員法廷の法壇は非常に大きい。そのために、法壇のうえ以外に修習生を置いておくスペースがない。現代の裁判官は司法修習生を法壇に置く勇気などない。弁護人席なら問題ないだろう。この小役人根性と弁護人を見くびる姿勢が今回の出来事の背景にある。

弁護士は、このような理不尽に対して黙っていてはいけない。依頼人のためにもまた刑事弁護のためにも毅然とした態度をとるべきである。その場で声をあげ、自分の背後から不逞の輩を追い払おう。そうでなければ、法廷における弁護の地位はますます矮小なものにされていくだろう。全国の同志よ。立ちあがれ!怒れ!

引用:刑事裁判を考える:高野隆@ブログ:弁護士は誰とでもすぐに仲良くなれるとは限らない