「裁判員制度はいらないインコ」タグアーカイブ

利権を守るに必死な口だけ番長と,幼稚園の先生を比べるのは失礼ですよ (・∀・#) RT @nosaibaninko 幼稚園のPRみたいw/(深澤諭史)

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裁判員PTSD国賠訴訟傍聴記を読んで 国が大嘘の答弁/猪野亨弁護士

今年3月、裁判員として動員され、殺人の写真を見せられた女性がPTSDを発症、その責任を国に問うべき国賠訴訟が提起されました。
 その第1回の口頭弁論期日が、9月24日に開催されています。
「奇っ怪な国の答弁 裁判員の辞退を認めている?」

 私自身は、報道でしかその内容を知り得ませんが、裁判員制度はいらないインコのウェブ大運動のホームページに傍聴記が掲載されています。

「ストレス障害国賠訴訟はじまる その1 ―公判傍聴記」
「ストレス障害国賠訴訟はじまる その2 ―第1回口頭弁論期日のやりとり」
「ストレス障害国賠訴訟はじまる その3 ―原告本人の意見陳述―」

 この傍聴記の中では、被害者の方の心情などがとても詳しく記載されているので、是非、ご一読ください。

 私が気になるのは、やはり国側の答弁ですが、下記の部分が非常に重大です。

「(裁判員法の立法理由、立法過程、立法内容を説明した上で)「国民の感覚が裁判内容に反映されることで、司法に対する国民の理解や支持が深まり、司法がより国民的な基盤を獲得できるようになる…」という司法制度改革審議会の提言(注:2001年6月)を受けて、国会では十分審議された。」

 国会では衆参ともにろくな審議もなされていません。国は大嘘つきです。
 これだけの重要法案が何故か全会一致で、しかも短期間ですんなりと成立してしまったのです。
 そこでは全く国民不在でした。国民的な議論もなく、成立してしまったことが問題でしたが、とにかく国会はろくな審議はしていない、これはだけはっきりしています。

 そして、本来、人権保障の立場に立たなければならない日弁連が翼賛的にこの裁判員制度に迎合したことが一番の問題です。

 裁判員制度が実施間際(2008年末には、候補者30万人に一斉に通知が送付されることになっていました。)になった2008年8月、共産党、社民党が国民的合意ができていないことを理由に実施の延期を主張したのです。

 これに慌てたのが日弁連執行部ですが、一番、見苦しい醜態をさらしていました。

 私たち北海道裁判員制度を考える会では、2009年8月に各党を招き、裁判員制度に関するシンポジウムを開催しました。

「本音で語ろう裁判員制度 各党に問う」
 衆議院選挙の前でしたが、政党としては、新党大地、共産党、社民党が制度の凍結に賛同してくれ、民主党議員も個人として賛同してくれていました。
(自民党は文書回答のみでシンポジウムには欠席。公明党、欠席。)

 これは何よりも国民的議論がなく、裁判員制度が国民が求めたものではなかったことの何よりの証拠です。

 最高裁の意識調査によってもそれが裏付けられています。
 義務であっても参加したくない41.1%
 義務であれば参加せざるを得ない42.3%
 何と83.4%もの国民が拒否反応を示しているのです。

最高裁意識調査

 国の主張は、形ばかりの国会での審議を楯にとり、ウソを強弁するものであり、断じて許されるものではありません。

 国にとっては国民不在は別に裁判員制度の問題に限ったことではなく、どうでもよいことなのかもしれませんが、この裁判員制度についていえば、国自身が司法審意見書の「国民の感覚が裁判内容に反映されることで、司法に対する国民の理解や支持が深まり、司法がより国民的な基盤を獲得できるようになる…」の部分を引用していますが、要は、司法の中に国民を取り込んで国民を教育してやるという思想なのですから、最初から国民は不在だったのです。
 それを国自身が認めたといえます。

 ちなみに司法審意見書では、以下のように記載されています。

「21世紀の我が国社会において、国民は、これまでの統治客体意識に伴う国家への過度の依存体質から脱却し、自らのうちに公共意識を醸成し、公共的事柄に対する能動的姿勢を強めていくことが求められている。国民主権に基づく統治構造の一翼を担う司法の分野においても、国民が、自律性と責任感を持ちつつ、広くその運用全般について、多様な形で参加することが期待される。国民が法曹とともに司法の運営に広く関与するようになれば、司法と国民との接地面が太く広くなり、司法に対する国民の理解が進み、司法ないし裁判の過程が国民に分かりやすくなる。その結果、司法の国民的基盤はより強固なものとして確立されることになる。」 

 重要なのは、この部分です。

「国民は、これまでの統治客体意識に伴う国家への過度の依存体質から脱却し、自らのうちに公共意識を醸成し、公共的事柄に対する能動的姿勢を強めていくことが求められている。」

 だから裁判員として責任を果たせというのが裁判員制度なのです。
 裁判員制度は、非常に恐ろしい制度なのです。

引用:裁判員PTSD国賠訴訟傍聴記を読んで 国が大嘘の答弁

そして「証拠と供述が矛盾していようと,自供がある。2人殺害して放火したので死刑で」となる市民感覚に期待しているということになる/裁判員制度はいらないインコのウェヴ大運動

富山市で2010年4月,会社役員夫婦が殺害され,住宅に放火される事件が起き,元警部補が殺人と現住建造物等放火の容疑で2012年12月に逮捕された。
「逮捕に踏み切ったのは刑事の勘」(捜査幹部)であり,「警官が自供しているのに逮捕しなかったら『身内に甘い』と非難される」(警視庁幹部)から逮捕した。

だが,殺害方法も事件前後の足取りも現場の状況とことごとく食い違うという。
自供があるからと証拠の積み上げを怠り,矛盾を突き崩すこともしなかった警察。これは,「証拠がなくても自供さえとれば犯人にできる」という姿勢の裏返しだろう。

結果,富山地検は7月24日「客観的証拠と供述が矛盾している」として嫌疑不十分で不起訴とした。

これに対し,遺族は「警察・検察には失望の連続。裁判員裁判の下,市民の感覚で裁かれるべきだ」として今月中にも検察審査会に審査を申し立てると記者会見で表明した。

つまり,「市民の感覚なら,『自分がやったと言っているのだから犯人だ』と言ってくれるはず」ということである。そして「証拠と供述が矛盾していようと,自供がある。2人殺害して放火したので死刑で」となる市民感覚に期待しているということになる。

「検察審査会」は,裁判員制度と同じ「市民感覚を司法に生かす」という「司法改革」の一環であるが,そもそも,「無実」ではなさそうだから裁判で白黒つけようというのは,推定無罪から逸脱しているだろう。
刑事裁判は,「無実」を争うものではなく,検察の有罪証拠が疑いなきまでに立証されているかどうかを判断するものだからだ。

検察の持つ絶大なシステムは,長期にわたる勾留における秘密の取り調べでの脅し,不利な証拠の未開示=無罪証拠の隠蔽など様々な問題をはらみ,数多くのえん罪を生み出してきた。
それをもってしても起訴できないと判断した者を,「市民感覚からしたらそれはおかしい」という程度で刑事裁判ができるというシステム自体が間違っている。

「検察審査会」も裁判員制度同様,いらない!inko_A4-1

引用:元警部補 不起訴と検察審査会の問題|トピックス|裁判員制度はいらないインコのウェヴ大運動