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具体的事件における弁護方針についての弁護人の説明義務がないことは繰り<元 検弁護士のつぶやき>



説明の義務と説明の必要性

 説明責任に関連して、説明の義務と説明の必要性というものが議論されているようですが、どうも説明の対象について混乱が見られます。

 刑事司法の仕組みや弁護人の役割についての説明と、具体的事件における弁護方針などの説明は峻別すべきものと考えます。

 前者については、一般市民(法律の素人)に対する説明の必要性を強く感じます。
 これまで関係機関(弁護士会、裁判所、法務省等)の説明は極めて不十分であったと思いますし、根本的には教育の欠陥であるとも思っています(既出です)。
 その意味で、裁判員制度の実施を間近に控え、説明の必要性は極めて大きいと思います。

 しかし、具体的事件における弁護方針についての弁護人の説明義務がないことは繰り返し述べています。
 その意味で、弁護人の説明の必要性も原則としてないと言えます。
 「原則として」と言ったのは例外もあるという意味であり、場合によっては説明の必要性が生じる場合もあると思います。
 例外の典型的な場合は、弁護人が記者会見などで説明を始めてしまった場合です。
 その場合は、記者会見などでいわゆる世間に対して発信を始めてしまった以上、説明が不十分また誤解が生じた場合は、説明を補足し、誤解を解く努力を求められる場合がありうると思います。
 つまり、中途半端はいけないだろう、ということです。
 刑法理論的な例えで言えば、先行行為に基づく作為義務が生じる場合です。

 しかし、その場合も弁護人としては、被告人の利益を最大限に考えなければならないのであり、いかなる場合でも被告人に不利益になる可能性がある説明は避けなければならないと考えます。

 具体例を指摘しますと、被告人の供述の変遷が生じた場合、当然その変遷の理由が裁判において重要な争点になるのですから、法廷で被告人が変遷の理由を語る以前に、弁護人がマスコミ等に対して法廷外で変遷の理由を語ることは被告人に重大な不利益を与える可能性のある行為として、弁護人としては絶対に避けるべきです。

 被告人が法廷で語る前にマスコミや被害者遺族などに変遷の理由を語るべきであるというようなことを弁護士が言ったとすれば、その弁護士は刑事弁護を全くわかっていないと言わざるを得ません。
モトケン (2007年10月 3日 23:38) | コメント(111) このエントリーを含むはてなブックマーク  (Top)

引用:説明の義務と説明の必要性 – 元検弁護士のつぶやき

送信者 元検弁護士のつぶやき

送信者 元検弁護士のつぶやき

マスコミの報道に触発された市民感情を正当化の根拠とするような懲戒扇動が頻 発<元検弁護士のつぶやき>



刑事弁護士をもっと

冤罪防止 “刑事弁護士”をもっと(中日新聞社説 ウェブ魚拓 ボツネタ経由)

 裁判員裁判の実施、被疑者国選弁護の拡大を前に、「刑事に強い」弁護士の大量育成が急がれる。冤罪(えんざい)防止のためには、使命感はもとより、豊かな知識と弁護技術を兼ね備えた弁護士が必要だ。

 私が、橋下弁護士による懲戒扇動問題を強く批判している大きな理由はここにあります。
 豊かな知識と弁護技術を兼ね備えた弁護士は一朝一夕には養成できません。
 刑事弁護に熱意をもって取り組む若手弁護士の絶対数が必要です。

 弁護活動に対する被疑者、被告人の不満はしばしば聞く。日弁連は重く受け止め、弁護活動を客観的にチェックしなければならない。

 個々の事件の弁護活動の当否を判断するのはとても難しいのですが、富山県の強姦冤罪事件などを見ますと、問題のある弁護活動の検証作業は必要であろうと思われます。

 しかし、弁護活動に対する批判・検討は、被害者側に偏った不十分な情報に基づく感情的な批判であってはならないと考えます。
 その意味で、マスコミの報道に触発された市民感情を正当化の根拠とするような懲戒扇動が頻発するような事態が生じるとすれば、弁護活動に対する正当な批判・評価を妨げることになるばかりでなく、刑事弁護に対する無理解と誤解を助長し、これから刑事弁護に取り組んでみようとする若手弁護士の意欲を大きく減殺する結果になることを強く危惧するのです。

 冤罪を1件でも減らすためには、世間の批判を一身に浴びるかのような被告人にこそ、刑事弁護が最も有効に機能すべきであると思います。

 但し、私は弁護人のマスコミ対応が不十分であることをもって懲戒理由と考えることには強く反対しますが、裁判員制度を視野に入れた弁護技術としてマスコミ対策の重要性が増加していることは事実であると感じています。
 その点については別に述べてみたいと思います。
モトケン (2007年10月31日 01:11) | コメント(53) このエントリーを含むはてなブックマーク  (Top)

引用:刑事弁護士をもっと – 元検弁護士のつぶやき

送信者 元検弁護士のつぶやき

送信者 元検弁護士のつぶやき

最大最悪の問題は、両紙とも警察発表を鵜呑みにして自分の頭で考えることを放棄<元検弁護士のつぶやき>

 両紙とも、山本容疑者(元時津風親方)が、「制裁」の目的ないし意味を「否認」していると報じています。  毎日に至っては、「犯意を依然否認」とまで言っています。  いくつかの問題を指摘できるのですが、最大最悪の問題は、両紙とも警察発表を鵜呑みにして自分の頭で考えることを放棄しているのではないか、と思われることです。 

 「制裁目的」を「否認」という言い方は、  本件の真相は制裁目的なのだが、元親方はそれを否認して責任逃れをしようとしている  という意味に読めてしまいます(私の深読みまたは読み過ぎでしょうか?)。  私の深読みを前提にして話を進めますが、少なくとも現時点においては「制裁目的」とういのは警察が想定した事件の構図に過ぎないように思います。

引用:力士暴行死報道で気になること – 元検弁護士のつぶやき

余裕があるからするのでは人権活動と呼ぶには値しないのか?<元検弁護士のつぶやき>


余裕があるからするのでは人権活動と呼ぶには値しないのか?

ろーやーずくらぶ経由東京新聞の社説です。
日弁連新会長 改革後退は許されない
 
 以前は東京新聞の特報をかなり高く評価していたときもあるんですが、この社説を見るとあまり読み気が起きなくなりました。

 いろいろ無知、無理解、誤解がありますが、極めつけはろーやずくらぶのエントリタイトルにもなっている

「生存競争が激化し、人権擁護に目が届かなくなる」-こんな声も聞こえるが、余裕があるからするのでは人権活動と呼ぶには値しない。

 この部分でしょうね。

 この社説を書いた人間に「人権活動」の定義を聞いてみたい。
 何かの修行みたいなものと勘違いしてないかな。
 じゃあ、あんた何か人権活動してんの?

参考ブログエントリ
小倉弁護士のla_causette
 東京新聞の論説委員は、自らの号令によって、どれだけの数の弁護士が、人権活動のために人生を捧げると予想しているのでしょうか。

PINE’s page
すごいね、東京新聞も頑張るね。
モトケン (2008年2月14日 21:12) | コメント(32) このエントリーを含むはてなブックマーク  (Top)

引用:余裕があるからするのでは人権活動と呼ぶには値しないのか? – 元検弁護士のつぶやき

送信者 元検弁護士のつぶやき-2013

送信者 元検弁護士のつぶやき-2013

このような発信力は単なる権威(中身のない権威)を崩壊させる力も持ち得るようです<元検弁護士のつぶやき>


逆転現象

 Matimulogから blog:柳美里の件

 タイトルは「柳美里の件」ですが、批判対象は週刊誌などのマスメディア、さらには権威一般です。

 少なくとも、新聞記者にせよ週刊誌記者にせよテレビ記者にせよ、その取材方法から対応まで、取材対象から逆に監視され公開されることは覚悟しておいた方がよい。

 個人の情報発信力はまだまだマスメディアに及ばないと思いますが、一矢を報いる程度の力はあるように思います。
 もちろん、相手と場合によっては一矢を報いると100万本くらい返って来る可能性がありますが、腹を決めればマスメディアだって全くの無傷というわけにはいかないと思いますので、インターネットの発信力は一つのチェックアンドバランスの機能を果たすようになってきているのかも知れません。

 そして、このような発信力は単なる権威(中身のない権威)を崩壊させる力も持ち得るようです。

 そのような監視され公開されるリスクは、今まで相手にメディアがなくて泣き寝入りを強いてきたあらゆる職業(専門家とか教師とか)にいえることでもある。

 もちろん、弁護士、検事、裁判官にもいえることですね。
モトケン (2008年2月16日 00:52) | コメント(7) このエントリーを含むはてなブックマーク  (Top)

引用:逆転現象 – 元検弁護士のつぶやき

コメント欄から


No.4 廣野秀樹 さん | 2008年2月16日 19:16

 エントリのタイトルと内容にギャップを感じましたが、なるほどという気がしてきました。
 「窮鼠、猫を噛む」という言葉を思い浮かべましたが、リンク先の情報を読んだところ、猛女という印象で、日本にもやはりこいう人がいるのかと感じました。
 検察官の取調べ状況を録音して、反撃に使った例も出ていますが、情報機器、情報通信の発達は、確かにこの先も世の中を変えていくのかもしれません。
 諸刃の剣ということもありそうです。

 こちらのブログでも度々取り上げられている志布志冤罪事件でも、マスコミ関係者が取材対象の人に、台本のようなメモを渡し、そのまま読み上げるように指示したと、以前どこかのブログで見た覚えがあります。もう2年近く前かもしれません。

 いろいろ参考になる問題です。

引用:逆転現象 – 元検弁護士のつぶやき

送信者 元検弁護士のつぶやき-2013

送信者 元検弁護士のつぶやき-2013

送信者 元検弁護士のつぶやき-2013

殺人事件や死刑の執行をニュースのネタ程度にしか考えていなかったのでは<元検弁護士のつぶやき>


犯罪被害者・遺族も抗議

朝日「死に神」報道、あすの会が抗議(産経ニュース)

 「全国犯罪被害者の会」(あすの会)は25日、「犯罪被害者や遺族をも侮辱する内容」だとして、朝日新聞社に「抗議および質問」と題する文書を送付した。

 文書は「確定死刑囚の1日も早い死刑執行を待ち望んできた犯罪被害者遺族は、法相と同様に死に神ということになり、死刑を望むことすら悪いことだというメッセージを国民に与えかねない」などとしている。また、死刑執行の数がどうして問題になるのか-など4項目の質問に、1週間以内に回答するよう求めた。

 私の感覚によれば、こういう反応がでてきて当然だと思います。
 素粒子の筆者(及び編集者)に想像力が欠落しているのだと思います。政治家としての鳩山法相しか見えていなかったのでしょう。
 制度論については一通りの知識があるのかも知れませんが、1件の死刑の執行をめぐる多くの関係者の思いとその思いの重さ、深刻さというものを全く考えてなかったのでしょうか。

 要するに、命の重さを考えていなかったと言わざるを得ません。
 殺人事件や死刑の執行をニュースのネタ程度にしか考えていなかったのではないかとさえ思えます。

 朝日新聞社広報部は「いただいた『抗議および質問』を真摯(しんし)に受け止め、速やかにお答えする」とコメントを出した。

 コメントを待つことにします。
モトケン (2008年6月25日 21:56) | コメント(357) | トラックバック(1) このエントリーを含むはてなブックマーク  (Top)

引用:犯罪被害者・遺族も抗議 – 元検弁護士のつぶやき

送信者 元検弁護士のつぶやき-2013

送信者 元検弁護士のつぶやき-2013

ネット情報によってマスコミ業界の人間のどはずれた無神経さに反吐が出そうになっていたの<元検弁護士のつぶやき>


想像力の欠如

 プライベートのリンク集で久し振りに江川紹子ジャーナルを覗いてみましたら、運良く今日付の新作記事がアップされてました。

 ある犯罪被害者批判について

 詳細は、江川さんのサイトで読んでいただくことにして、ここで引用したいのは、以下の一文です。

この森という人は、被害者の置かれている状況について、あまりに想像力が欠けている。というより、実は被害者には(死刑に反対してくれる人以外)興味がないのだろう。

 実は、昨日、あるネット情報によってマスコミ業界の人間のどはずれた無神経さに反吐が出そうになっていたのですが、ここでも似たような感じを受けます。

 森達也氏の原文を読んでいませんし、江川さんが引用した文に対する論評には若干筆が滑っているのではないかと思えるところもありますが、「この感性が、やはり私には、どうしても理解できない。」という江川さんの感性のほうに共感します。
モトケン (2008年8月 8日 18:41) | コメント(55) このエントリーを含むはてなブックマーク  (Top)

引用:想像力の欠如 – 元検弁護士のつぶやき

送信者 元検弁護士のつぶやき-2013

視野狭窄あるいは客観視の欠落<元検弁護士のつぶやき>


視野狭窄あるいは客観視の欠落

 トラックバック元で見つけた毎日の記事なんですが、最初にお断りしておきますが、取材対象者を批判する意図は毛頭ありません。
 63歳の高齢と言っていい女性です。
 ピンボケな話をしても責めるのは酷というものです。
 批判されるべきは、文章が他人(読者)にどう読まれるかを最も意識すべき職業であるのに、何にも考えずに書いてしまう馬鹿な記者です。
 署名記事なんだから責任をとりなさい。毎日の遠山和宏君!

 http://mainichi.jp/area/kumamoto/news/20080824ddlk43040245000c.html

 --知的障害のある人を取り巻く環境は変わりましたか。

 ◆まだまだ厳しいです。先日、羽田空港から飛行機に乗った時、娘がシートベルトを付けるのを嫌がりました。私が上から抑えていたので問題はないと思うのですが、しっかり締めずに声を出していたこともあってか「シートベルトをしていない人を乗せることはできない」と、降ろされました。別の便に乗って帰りました。

 言うまでもないと思いますが、航空会社の対応は当然というべきで何ら問題はないと思います。

 案の定、2ちゃん方面では取材対象者に対する読むに耐えないバッシングです。
 この記者は、自分の思い入れだけで記事を書いてますね。
 自分が思っていること感じていることは、(どんな文章であっても)読者に伝わる、読者は自分と同じ気持ちになってくれる、と信じているんでしょう。
 このような思い込みがどれほど有害な結果を生じるか、分かってない。

 これはもう毎日の体質と言うべきなんでしょうか?
 いまさら疑問符もないだろうという声が聞こえてきますが。
モトケン (2008年8月25日 10:55) | コメント(159) このエントリーを含むはてなブックマーク  (Top)

引用:視野狭窄あるいは客観視の欠落 – 元検弁護士のつぶやき

送信者 元検弁護士のつぶやき-2013

マスコミは他人の人生を食い物にすることによって利益を得ていると<元検弁護士のつぶやき>

実名報道問題

判決記事 裁判官が“注文”/実名報道訴訟 高裁那覇支部が文書(沖縄タイムス ウェブ魚拓)

 「実名報道→不起訴」で、福田 出さんが紹介してくださったニュースです。

 判決理由では報道側に「逮捕された事実を報道しておきながら、起訴猶予処分とされた事実などについて、もはやニュースバリューがないとして、これを報道しない姿勢にも、報道機関の在り方として考えるべき点があるように思われる」などとしている。

 刑事裁判の起訴状には、「公訴を提起する。」と書かれています。
 公訴つまり公の訴えです。
 公益性の存在が必要なわけです。
 
 起訴に対して不起訴は、起訴できない、または起訴すべきでない、または起訴するまでもない、という判断の結果として不起訴になるわけです。
 代表的な不起訴理由として、嫌疑不十分があります。言い換えれば証拠不十分です。
 灰色ということになりますが、刑事司法では灰色は無罪です。
 灰色の中には、限りなく白に近い灰色から限りなく黒に近い灰色までありますが、それは部外者にはわかりません。
 憶測で判断できないということです。
 いずれにしても、起訴すべきでない事案であり、被疑者は反公益性による非難を受けるべきではないのが原則であるはずです。
 公人たる立場で、疑われること自体が批判の対象になるような人もいると思いますが、多くの一般市民は捜査が終われば元の生活に戻れなければいけないはずです。

 起訴猶予というのは、犯罪行為の存在は認められるが起訴するまでもないという場合であり、最も典型的には軽微な交通事故で被害者との間に示談が成立したような場合ですが、本件のような場合も典型事例の一つです。
 要するに、当事者同士で紛争が解決されれば、公のものとして起訴するまでもない事件という判断に基づく不起訴であり、他人(当然マスコミも含む)がとやかく言うべきでないと認められたものです。
 つまり、起訴猶予も公の非難の対象にするべきでない事案ということになって、被疑者は再び日常に戻ることができるべきであり、刑事政策上もそのことが期待されます。

 しかし、逮捕時点での実名報道は、それだけで社会復帰の可能性を吹き飛ばす破壊力があります。
 刑事司法上では失う必要がない被疑者(その家族も含む)の人生が、マスコミの報道によってぶち壊されることになります。

 本当に実名を報道しなければならないのか?
 今報道しなければならないのか?

 マスコミの皆さんは真剣に考えていただきたいと思います。
 そうでないと、マスコミは他人の人生を食い物にすることによって利益を得ていると言われるべきことになります。

 
 ところで

 河邉裁判長は各報道機関に「御連絡」と題した文書を配り、「『教諭が過去に…の容疑で逮捕された』という事実だけでなく、『その後、起訴猶予処分(または不起訴処分)になった』という事実を盛り込んでいただけないものか、ご検討下さい」などと、異例の要請をした。

 これはまさしく異例であり、裁判所の中でもこのような裁判官の行為が許容されるかについて異論があるかも知れませんが、報道被害に対する深い憂慮の表れとして支持します。
 判決理由中で書くわけにはいかなかったのかという気もしますが、異例の方法をとることによってインパクトを狙ったのかも知れません。
 ひょっとして河邉裁判長は定年間近なのかしら(←これは憶測)
モトケン (2008年10月29日 17:32) | コメント(9) このエントリーを含むはてなブックマーク  (Top) 引用:実名報道問題 – 元検弁護士のつぶやき

では、なんのために一般市民やマスコミの理解が必要なのか<元検弁護士のつぶやき>

モトケンが言いたかったこと

(冒頭追記)
 このエントリは撤回します。

 これまでの私の気持ちとしてはこのエントリで述べたとおりですが、今後の方針は変更します。
 「医療問題に関する最終決定」をお読みください。

(冒頭追記終わり)

 前言に反するようで恥ずかしいですが

 ここは医師だけが集まっているm3のようなところではありません。
 医師が運営している医師ブログでもありません。
 弁護士が種々雑多のテーマの中で、医療崩壊問題に首を突っ込んでしまったブログです。
 何が言いたいかというと、いろんな人が、つまり医療問題にそれほど関心はないかも知れないがついでに見る人も含めていろんな人が見るブログです。

 そういう場所で医療問題を語るときに私が望んだことの一つに、医療自体には詳しくない一般の人に医療崩壊問題に関する理解を深めてほしいということがありました。
 言い方を変えれば、医療側の皆さんには、一般の市民の理解が得られるような発言を期待したのです。

 なぜ、一般市民の理解が必要かと言えば、草の根的にでも理解が広まっていけば、マスコミの論調にも影響することが期待されたからです。

 では、なんのために一般市民やマスコミの理解が必要なのか?

 いろいろありますが、法律家ブログ的視点で言えば、将来的に必ず提起されるであろう(医療側から見ての)民事不当訴訟に備えるためです。
 典型的な例を予測すれば、救急搬送の受け入れ先がなかなか見つからず、なんとかしなければと思って受け入れた病院が最善を尽くしたにもかかわらず不幸な結果に終わった場合に起こされた民事訴訟などが考えられます。
 医療に100%はありません。
 となれば、99%の手を尽くしたとしても1%の不手際を理由として訴訟を起こされる可能性はあるのです。
 そのとき被告となった医師や病院はどうするのか?
 私は、大野病院事件の民事訴訟版と考えるべきだと思います。

 現職裁判官のcuriousjudge さんは

 裁判官は、その判断が及ぼす社会的影響に対して、無自覚であってはならないでしょう。

と言われています。

 つまり、裁判官は世論の空気を読むのです。
 となれば、上記のような訴訟が起こされた場合は、医師界をあげて被告を支援しなければなりません。
 そして、マスコミや市民の支持を勝ち取らなければなりません。
 
 そのためには、医師が常に(金のためでも保身のためでもなく)患者のための医療行為を追求しているという信頼を得なければなりません。

 その上で、医療の不確実性と限界を主張しないと説得力がないと思われるのです。

 私の、「誠実な医療の重要性」は、以上のような視点から、医療側にエールを送ったつもりのエントリでしたが趣旨が理解されたとは思えないコメント欄でした。

 「東京の妊婦死亡事故」でも、医療側からの問題点の指摘と改善に対する考え方でも出てくるかなと期待したんですが、責任回避論や用語問題にかこつけた責任否定論が目につくことになりました。

 そういう主張をしている人は、それが医療を守ることになると思っているのかも知れません。
 しかし、私の認識は逆です。
 医師は自分のことしか考えていない。患者のことなんか二の次だ。
 と感じる人のほうが多いのではないかと危惧します。
 「どうして医者は聞く耳をもたない(ように見える)のか」で裁判官ブログを紹介した人がいました。
 裁判官を非難するコメント群を紹介することによって自説の根拠を示そうとしたようです。
 しかし、あのコメント欄を読んだ非医療者がどういう印象を受けるか、については全く無神経というほかありません。

 モトケンはミクロを論じているのかマクロを論じているのかわからないという指摘がありました。
 あえて言えば超マクロです。
 私は、個々の医療制度を問題にしていたのではないのです。
 医療製度を語る姿勢や考え方を問題にしていたのです。
 もちろん、それぞれの医師の姿勢や考え方を問題にしたのです。
 (私にではなく)一般市民に対するコミュニケーションを考えてほしかったのです。

 医療ブログではなくて、このブログでこそできることとして。

 大野病院事件判決は、医療側に大きな追い風になる判決でした。
 その追い風を最大限に生かすことが大事だと思っていろいろ書いてきました。
 しかし、私の思いは裏切られ続けました。
 一部理解してくださった医師の皆さんはおられますが、そういう医師の皆さんはたぶん私が何も言わなくても同じく理解してくださっただろうと思います。
 そうでない皆さんは、私が何を言っても無駄のように思われました。
 医師の皆さんの中にもそう思った人がいます。

 「どうして医者は聞く耳をもたない(ように見える)のか」は、ある医師のリクエストによって立てたエントリです。

 このエントリで私は、医師に対して一般市民を含めた相互理解を目指すべきだと言っているのですが
 このエントリに共感してくださる医師は何人おられますか?
 (追記 もうこれに答えていただかなくてけっこうです。)

 それによって、このエントリは相互理解に挫折したエントリ群の墓標にも再出発のきっかけにもなります。

 コメント欄の様子を見て考えます。

追記
 態度を決めました。
 もうこのエントリは無視してもらっていいです。
モトケン (2008年11月 7日 15:43) | コメント(29) | トラックバック(0) このエントリーを含むはてなブックマーク  (Top) 引用:モトケンが言いたかったこと – 元検弁護士のつぶやき