この記事を読んで、私も、かつては「役人」でしたから、確かに、そういうところがあったな、と思い当たるものがありましたね。
検事も、同質性の高い、閉鎖的な特殊社会として小集団を形成し、そこにいればいるほど独善的になり孤立する傾向がかなりあって、私は11年余りで脱出できましたが、あのまま15年、20年、30年と居続けた場合のことを考えると、恐ろしくなります。弁護士になり、法曹界の底辺に近いところで、しがなく細々と暮らすようになり既に12年余りが経過して、その間、良いことはほとんどなく、辛いことや苦しいことの方が数多くありましたが、底辺近くでいろいろな経験をすることで、独善的になることは避けられ、物事を多面的に見る、少なくともそういう見方をしようとする、そういう人生が送れるようになった気がします。
こういう状態になっても、それを社会のために大きくお返しできないのが残念なところですが、できることをしっかりやって、微々たるものでしかありませんが、できるだけ世の中のお役に立ちたいとは思っています。
「検事」タグアーカイブ
いわば泣き寝入りをしている弁護士は多いと思います<元検弁護士のつぶやき>
取調べ中の弁護批判に国賠請求取り調べ中の副検事が弁護士批判、違法の判決 横浜地裁(asahi.com 2008年10月24日22時26分)
判決によると、元課長は接見した妹尾弁護士らに「話していない内容が含まれた供述調書に署名した」と説明。この時、そういう調書に署名しないよう助言されたのを受けて元課長はその後、自分の考えと違う調書への署名を拒否した。これに対し、副検事は「弁護過誤だ」「弁護士を信じても最後には弁護士は責任を取ってくれない」などと発言した。
似たようなことを言う検察官(検事、副検事を問わず)はそれほど珍しくないのではないかな、と想像しています。
警察官はもっと直截な物言いをするかも知れません。
しかし、損害賠償請求をする弁護士は多くないと思います。
これは皮肉ではありません。
よくやった、という賞賛です。
認容額は10万円ですよね。
民事訴訟については、いわば泣き寝入りをしている弁護士は多いと思います。
当該刑事事件の法廷では思いっきり検察官を非難しているかも分かりませんが。
そういうなかで、妹尾弁護士らが民事提訴しまだ一審とはいえ勝訴したことは大きな意義があったと思います。自分の言っていないことが書いてある調書に署名してはいけない。
これは、私が弁護士になってから、被疑者との初回接見のときに必ず言う言葉です。
たぶん、私や妹尾弁護士らだけでなくほとんどの弁護士が同じことを言っていると思います。
要するに、刑事弁護のイロハのイです。
それに対して「弁護過誤だ。」は恐れ入りました(^^)
この副検事は、普通に被疑者が言ってないことを調書に書いているんでしょうか?私も綺麗事を言うつもりはありませんが、検事当時に、少なくとも、被疑者から「検事さん、私そんなこと言ってませんよ。」と言われて、「お前の弁護士は弁護過誤だ。」と言った覚えはありません。
但し、語弊を恐れずに綺麗事を言わないついでに言いますと、検事当時に、「弁護士は責任を取ってくれない。」というようなことは言ったかも知れません。(被疑者が真実を供述していないと思われたときのことだと思いますが。)
本当の意味での弁護過誤がない限り、弁護士が責任を負わないというのは事実だからです。
少なくとも、「話した覚えのない調書に署名するな。」と言ったことによる責任は生じません。
ですから、弁護士としての私としても、警察官や検察官が私のクライアントである被疑者に対して、「弁護士を信じても最後には弁護士は責任を取ってくれない」と言ったとしても、たいして怒る気にはなりません。
クライアントが接見の際に、「検事からこんなこと言われました。」と言ったとしても、私としては「それはそのとおりだよ。」と答えます。
「判決を受けるのはあなたであって私じゃない。」ということも言います。
クライアントも納得します。
その上で弁護方針を相談します。
あとは、その被疑者が私を信頼するか、検事を信頼するかの勝負だと思っています。
モトケン (2008年10月24日 23:58) | コメント(1) このエントリーを含むはてなブックマーク (Top) 引用:取調べ中の弁護批判に国賠請求 – 元検弁護士のつぶやき
コメントが1件のみというのも気になりますが、このブログ(元検弁護士のつぶやき)において過去に何度か見かけたことのある現象というか反応ではあります。
そういう検事は落合弁護士のブログを読んで「人間力」というのはどういうこと なのかということを自分で考えていただきたい<元検弁護士のつぶやき>
初めて読んだ記事のように思いました。コメント禁止にされる前のエントリのはずですが、自分のコメントもないようです。
検察側が自白調書撤回これまで何度か紹介していますが、有力な弁護士ブロガーの一人の落合弁護士は私と同じヤメ検ですので、特に刑事事件については感覚に似たようなところがあります。
今回取り上げるのは、「夫バラバラ殺人、検察側が自白調書撤回 東京地裁 歌織被告は任意性否定 」です。落合弁護士は中日新聞の記事を以下のように引用されています。
検察側は「犯罪事実は被告人質問で十分立証できた」として、証拠請求していた捜査段階の被告の自白調書などを撤回した。検察側が被告の供述調書の請求を取り下げるのは極めて異例。裁判員制度を意識し、裁判の迅速化を図る目的とみられ、今後、同様のケースが続くとみられる。 一方、歌織被告は被告人質問で「警察官や検察官の取り調べで、怒鳴られたり脅されたりして、不本意な調書を作られた」と述べ、供述が任意ではなかったと主張。取り調べの際に検察官から「風俗で働いていた。犬畜生と同じだ。おまえの事件なんて、どうせ男とカネなんだろ」などとののしられたと述べた。検察官の作成した調書の内容を否定し続けると、以前中絶した時の胎児のエコー写真を机の上に並べられて「法廷でこの写真を出していいのかと脅された」と訴えた。
検事の取調べ状況に関する被告人の供述に関するさらに詳細な報道として産経ニュースがあります。
歌織被告「検事は『風俗なんかで働いていた汚い奴め、お前は犬畜生と一緒で生きている価値がない。お前の刑を決めるのはおれだ。おれの前で頭を下げてみろ』と、そういうことを言われ続けた。それに対し、私が『違う』とずっと言い続けていると、終いには私が以前に堕ろした子供のエコー写真を並べて、『法廷でこの写真を出されてもいいのか。法廷でマスコミの前に出してやるからな』と言われた」
産経ニュースを流し読みした限りにおいて、検察官はこの被告人の供述に対して何の反対質問もしないで被告人質問を終わらせています。
そうなりますと
自白調書の任意性を争われ、その理由を具体的に述べられた後に、検察官が請求を撤回すれば、やはり任意性に問題がある自白調書だったから、という印象を裁判所に与える可能性が高いように思います。(落合ブログ)
となるのは自然な流れだろうと思います。
私も、被告人が言うような取調べを検事がした可能性が高いな、と思います。
落合弁護士は「裁判所に」と書いていますが、裁判員裁判が始まれば当然「裁判所」の中には裁判員が含まれてきます。
産経のような法廷のやりとりを詳細に報じるメディアによって、国民の多くにも同様の印象を与える可能性が生じてくるでしょう。
そしてその中から別の事件の裁判の裁判員が選任されてくることになります。
検察はその点をどう考えているのでしょうか。最近、公判担当の検事(公判部の検事)と話をしますと、裁判員裁判に向けての準備やトレーニングをかなりやっている感じがします。
しかし、捜査部(刑事部など)の検事がどう考えているのかについて、今回の被告人質問ははなはだ疑問を抱かせます。はっきり言いまして、取り調べ検事が報道されたような言動を実際にしたのであれば、検事の取調べとして最低です。
検事としての適格性がないと言ってもいいです。
被疑者を侮辱し、恫喝することによって真実を語らせることができると思っているとしたら、極めて危険なことです。
そのような検事は冤罪の山を築く可能性があります。取調室というのは密室です。今のところは。
検事と立会事務官と被疑者しかいません。
被疑者を連れてくる警察官もいるのが普通ですが、検事が指示すれば退席させることも可能なはずです。
いずれにしても被告人から見て味方はいないという状況です。こういう部屋で取り調べをしていますと、「俺が一番偉いんだ。俺はこの部屋では何を言ってもかまわないんだ。俺が想定している事実を語らせればいいんだ。俺の書く調書に署名させればいいんだ。」と思ってしまう検事がいても不思議はありません。
被告人の供述の中の検事はまさしくそういう検事です。もちろん、被告人を取り調べた検事が被告人が供述したような取調べをしたのかどうかについては断定することができる資料を持っていません。
上司は担当検事本人に問いただしているかも知れませんが。しかし、問題は、裁判官、裁判員、報道を読んだ国民(裁判員予備軍)が被告人の話を信用するかどうかです。(※)
さて、産経の記事を読んだ皆さんはどう思われたでしょうか。
こういう調べが行われた可能性はあるな、と思った人がかなりいるのではないかと想像しています。つまり、取調べ検事としては、自分が取り調べた被疑者に、法廷でこんなこと(一般論的には任意性や信用性に疑問を生じさせるような内容)を口にさせるような取調べをしてはいけないのです。
取調室は密室かも知れません。
しかし、検事が取調室で発した言葉は、すべて被告人の口によって法廷で語られる可能性があるのです。
ですから、こんな取調べは絶対にしてはいけないのです。
ここまでひどくなくても、被告人に誇張されたり揚げ足をとられるような調べをしてはいけないのです。
このように言うと、一部の若手検事から、「じゃあ、どうすればいいんだ。」という声が聞こえてきそうですが、そういう検事は落合弁護士のブログを読んで「人間力」というのはどういうことなのかということを自分で考えていただきたいと思います。
私が任官した直後に、厳しい取調べをすることで有名な検事ほど任意性を争われない、という話を聞いたことがあります。
これだけ書くと誤解が生じそうですが、要するに、検事に被疑者を納得させる力があるかどうかだと思います。(※)
まったく任意性に問題がない取調べをしたとしても、被告人が嘘八百をでっちあげて任意性を争う可能性はあります。
今回の事件で検察官が被告人調書の請求を撤回したことを知った別事件の被告人の中には、ともかくひどい取調べを受けたと法廷で言えば自白調書をちゃらにできると考える者が出てきても不思議はありません。
そうなると、取調べの可視化が一気に加速するのではないでしょうか。
いずれにしても、まともな調べをすることが大前提ですが。
モトケン (2008年2月14日 17:22) | コメント(30) このエントリーを含むはてなブックマーク (Top)
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私も、被告人が言うような取調べを検事がした可能性が高いな、と思います<元検弁護士のつぶやき>
初めて読んだ記事のように思いました。コメント禁止にされる前のエントリのはずですが、自分のコメントもないようです。
検察側が自白調書撤回これまで何度か紹介していますが、有力な弁護士ブロガーの一人の落合弁護士は私と同じヤメ検ですので、特に刑事事件については感覚に似たようなところがあります。
今回取り上げるのは、「夫バラバラ殺人、検察側が自白調書撤回 東京地裁 歌織被告は任意性否定 」です。落合弁護士は中日新聞の記事を以下のように引用されています。
検察側は「犯罪事実は被告人質問で十分立証できた」として、証拠請求していた捜査段階の被告の自白調書などを撤回した。検察側が被告の供述調書の請求を取り下げるのは極めて異例。裁判員制度を意識し、裁判の迅速化を図る目的とみられ、今後、同様のケースが続くとみられる。 一方、歌織被告は被告人質問で「警察官や検察官の取り調べで、怒鳴られたり脅されたりして、不本意な調書を作られた」と述べ、供述が任意ではなかったと主張。取り調べの際に検察官から「風俗で働いていた。犬畜生と同じだ。おまえの事件なんて、どうせ男とカネなんだろ」などとののしられたと述べた。検察官の作成した調書の内容を否定し続けると、以前中絶した時の胎児のエコー写真を机の上に並べられて「法廷でこの写真を出していいのかと脅された」と訴えた。
検事の取調べ状況に関する被告人の供述に関するさらに詳細な報道として産経ニュースがあります。
歌織被告「検事は『風俗なんかで働いていた汚い奴め、お前は犬畜生と一緒で生きている価値がない。お前の刑を決めるのはおれだ。おれの前で頭を下げてみろ』と、そういうことを言われ続けた。それに対し、私が『違う』とずっと言い続けていると、終いには私が以前に堕ろした子供のエコー写真を並べて、『法廷でこの写真を出されてもいいのか。法廷でマスコミの前に出してやるからな』と言われた」
産経ニュースを流し読みした限りにおいて、検察官はこの被告人の供述に対して何の反対質問もしないで被告人質問を終わらせています。
そうなりますと
自白調書の任意性を争われ、その理由を具体的に述べられた後に、検察官が請求を撤回すれば、やはり任意性に問題がある自白調書だったから、という印象を裁判所に与える可能性が高いように思います。(落合ブログ)
となるのは自然な流れだろうと思います。
私も、被告人が言うような取調べを検事がした可能性が高いな、と思います。
落合弁護士は「裁判所に」と書いていますが、裁判員裁判が始まれば当然「裁判所」の中には裁判員が含まれてきます。
産経のような法廷のやりとりを詳細に報じるメディアによって、国民の多くにも同様の印象を与える可能性が生じてくるでしょう。
そしてその中から別の事件の裁判の裁判員が選任されてくることになります。
検察はその点をどう考えているのでしょうか。最近、公判担当の検事(公判部の検事)と話をしますと、裁判員裁判に向けての準備やトレーニングをかなりやっている感じがします。
しかし、捜査部(刑事部など)の検事がどう考えているのかについて、今回の被告人質問ははなはだ疑問を抱かせます。はっきり言いまして、取り調べ検事が報道されたような言動を実際にしたのであれば、検事の取調べとして最低です。
検事としての適格性がないと言ってもいいです。
被疑者を侮辱し、恫喝することによって真実を語らせることができると思っているとしたら、極めて危険なことです。
そのような検事は冤罪の山を築く可能性があります。取調室というのは密室です。今のところは。
検事と立会事務官と被疑者しかいません。
被疑者を連れてくる警察官もいるのが普通ですが、検事が指示すれば退席させることも可能なはずです。
いずれにしても被告人から見て味方はいないという状況です。こういう部屋で取り調べをしていますと、「俺が一番偉いんだ。俺はこの部屋では何を言ってもかまわないんだ。俺が想定している事実を語らせればいいんだ。俺の書く調書に署名させればいいんだ。」と思ってしまう検事がいても不思議はありません。
被告人の供述の中の検事はまさしくそういう検事です。もちろん、被告人を取り調べた検事が被告人が供述したような取調べをしたのかどうかについては断定することができる資料を持っていません。
上司は担当検事本人に問いただしているかも知れませんが。しかし、問題は、裁判官、裁判員、報道を読んだ国民(裁判員予備軍)が被告人の話を信用するかどうかです。(※)
さて、産経の記事を読んだ皆さんはどう思われたでしょうか。
こういう調べが行われた可能性はあるな、と思った人がかなりいるのではないかと想像しています。つまり、取調べ検事としては、自分が取り調べた被疑者に、法廷でこんなこと(一般論的には任意性や信用性に疑問を生じさせるような内容)を口にさせるような取調べをしてはいけないのです。
取調室は密室かも知れません。
しかし、検事が取調室で発した言葉は、すべて被告人の口によって法廷で語られる可能性があるのです。
ですから、こんな取調べは絶対にしてはいけないのです。
ここまでひどくなくても、被告人に誇張されたり揚げ足をとられるような調べをしてはいけないのです。
このように言うと、一部の若手検事から、「じゃあ、どうすればいいんだ。」という声が聞こえてきそうですが、そういう検事は落合弁護士のブログを読んで「人間力」というのはどういうことなのかということを自分で考えていただきたいと思います。
私が任官した直後に、厳しい取調べをすることで有名な検事ほど任意性を争われない、という話を聞いたことがあります。
これだけ書くと誤解が生じそうですが、要するに、検事に被疑者を納得させる力があるかどうかだと思います。(※)
まったく任意性に問題がない取調べをしたとしても、被告人が嘘八百をでっちあげて任意性を争う可能性はあります。
今回の事件で検察官が被告人調書の請求を撤回したことを知った別事件の被告人の中には、ともかくひどい取調べを受けたと法廷で言えば自白調書をちゃらにできると考える者が出てきても不思議はありません。
そうなると、取調べの可視化が一気に加速するのではないでしょうか。
いずれにしても、まともな調べをすることが大前提ですが。
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