弁護人としては、このような弁明をさせてはいけないでしょうね<元検弁護士のつぶやき>

自分本位な被告人ですが

【法廷から】「結婚考えていた」と“言い訳” 14歳少女を性の対象にした43歳男(産経ニュース)

 罪状認否では起訴事実を認めたようですが

 43歳という「いい大人」でありながら、女子中学生を性の対象にした被告。被害者と正式に付き合い、結婚願望を持っていたと“弁明”したが、検察官と裁判官の態度は非常に厳しかった。

 被告人の心の片隅には、そのような願望がほんの少しはあったかも知れません。
 しかし、弁護人としては、このような弁明をさせてはいけないでしょうね。
 自己中ばればれとしか言いようがありません。
 もっとも、弁護人としても被告人を全てコントロールできませんからどうしようもなかったかも知れませんが。

 言い訳がましい被告人に同情する必要はないとしても

 母親によると、「事件後、(人を)いたわることのできる息子になった」という被告。それを証明するかのように、傍聴席に戻る母親がつまずくのを見て、すかさず手を差し伸べた。

 もう少し早く、母親へのその思いやりを持つことはできなかったのか。被告が3歳のときに父親が蒸発し、女手一つで被告とその弟を育ててきたという背中は丸く、小さかった。被告は、その後ろ姿を見て育ったはずなのに、道を踏み外してしまった。

 わが子がどんなに悪質な罪を犯しても、子供のために証言台に立つ親の心を垣間見たような気がした。

 このお母さんの気持ちを想像すると、一度チャンスを与えてもいいかな、と思います。

 自分のことしか考えていない被告人が、ただ1人だけだとしても自分以外の人の気持ちを考えるならばですが。
モトケン (2008年10月 9日 19:12) | コメント(7) このエントリーを含むはてなブックマーク  (Top) 引用:自分本位な被告人ですが – 元検弁護士のつぶやき

欠陥を有する人間なのだろうという認識からの予測です。<元検弁護士のつぶやき>

強姦累犯者

11歳女児乱暴で懲役10年の判決 東京地裁(産経ニュース)

 11歳の女児2人に対する強姦(ごうかん)致傷と強制わいせつの罪に問われた東矢恭幸被告(37)の判決公判が9日、東京地裁で開かれた。井口修裁判長は「自己中心的で卑劣。くむべき点はない。計画的で狡猾(こうかつ)な犯行だ」として、懲役10年(求刑懲役12年)を言い渡した。

ということなんですけど

 井口裁判長は、東矢被告がこれまでに強姦罪などで2度服役していた上、出所後の半年間で再び事件を起こした点を指摘。「規範意識が著しく鈍麻している」と断罪した。

 子の親としての立場込みで言いますが、このような前科を考慮すると、求刑も判決も軽すぎるのではないかと思ってしまいます。
 再犯の危険性は極めて大です。
 本音で言えば、出てくればまたやるな、という感じです。
 これは非難とか憎悪からではなく、そういうタイプまたは欠陥を有する人間なのだろうという認識からの予測です。
 となると本来は無期懲役相当の事案ですが、社会隔離には法定刑の限界がありますので、それに代わる対策が絶対必要な犯罪類型だと思います。

 
モトケン (2008年10月 9日 18:56) | コメント(24) このエントリーを含むはてなブックマーク  (Top) 引用:強姦累犯者 – 元検弁護士のつぶやき

市民感覚、素人感覚のコメントをいただけるとうれしいです<元検弁護士のつぶやき>

コメント欄今昔

 最近、うちのロースクール生に読んでもらえるような過去ログがないかと思って読みなおしていましたら、こんなエントリがありました。

ちょっとした悩み
 拙文ばかりのわがブログですが、毎日そこそこの人数の方にご訪問いただきありがたく思っています。
 でも、コメントをくださる方が少ないんですよね。
 やっぱり弁護士のブログというのは敷居が高いんでしょうか。
 ましてヤメ検だし(^^;
 決して噛みついたりしませんので、市民感覚、素人感覚のコメントをいただけるとうれしいです。

 始めたばかりの2005年9月25日のエントリです。

 今とは隔世の感があります(^^)

 しかし、コメンテイターの多くの方がその道のプロですので、結局敷居が高くなっているような気もします(^^;
 コメントを投稿するに勇気がいるという声も何度か聞きました。
 ここはやはり原点に帰って

 市民感覚、素人感覚のコメントをいただけるとうれしいです。

という気持ちを再確認したいと思います。

 でも聞く耳はもってくださいね m(_ _)m
モトケン (2008年10月 4日 20:55) | コメント(7) このエントリーを含むはてなブックマーク  (Top) 引用:コメント欄今昔 – 元検弁護士のつぶやき

なんといってもここがポイントでしょう-橋下弁護士VS光市弁護団判決<元検弁護士のつぶやき>

橋下弁護士 vs 光市弁護団 判決

 ここではやっぱり橋下知事ではなく、橋下弁護士ですね。

 橋下知事:「光母子弁護団懲戒」TV発言で賠償命令
 毎日新聞 2008年10月2日 10時21分(最終更新 10月2日 12時25分 ウェブ魚拓

◆懲戒制度の趣旨
 弁護士は少数派の基本的人権を保護すべき使命も有する。多数から批判されたことをもって、懲戒されることがあってはならない。

 なんといってもここがポイントでしょう。

 橋下知事ら関係者のコメント
 ここではやっぱり知事としての顔が前面に出てるみたい。
 http://www.asahi.com/national/update/1002/OSK200810020032.html(ウェブ魚拓)
モトケン (2008年10月 2日 13:01) | コメント(107) このエントリーを含むはてなブックマーク  (Top) 引用:橋下弁護士 vs 光市弁護団 判決 – 元検弁護士のつぶやき

志布志事件が影響・・・常識的な判断だと<元検弁護士のつぶやき>

取り調べメモ開示命令

取り調べメモ、私費購入のノートも開示対象 最高裁決定(asahi.com 2008年10月1日20時14分)
警察官が自宅保管の取り調べメモ、最高裁で開示命令が確定(2008年10月1日20時31分 読売新聞)

 志布志事件が影響していると見るのは気のせいかしら。
 常識的な判断だと思いますが。
モトケン (2008年10月 1日 22:40) | コメント(8) このエントリーを含むはてなブックマーク  (Top) 引用:取り調べメモ開示命令 – 元検弁護士のつぶやき

主催した裁判所においては、この点についての分析検討を行って<元検弁護士のつぶやき>

模擬裁判で結論が分かれることについて

「模擬」判決分かれる(毎日新聞 2008年9月30日 21時37分)

 正当防衛や過剰防衛が認められるかどうかが争われた架空の傷害致死事件を題材にした裁判員制度の模擬裁判が29、30の両日、東京地裁で実施された。4グループに分かれて審理した結果、3グループは正当防衛や過剰防衛を認めなかったが、1グループだけが過剰防衛が成立するとして刑を減軽し、判断が分かれた。

 上記が毎日の記事の冒頭の一文であり、見出しも「判決分かれる」としていますから、記者(及び編集者)が、判決が分かれたことに注目していることは分かりますが、この記事だけからは、その点についてどう評価しているかはよく分かりません。

 素人の皆さんから見れば、同じ事件の判決が裁判所の構成メンバーが変わることによって結論が異なることについて、かなりの違和感があるかも知れないなと想像しています。
 法律家的には、それ自体が当然の現象であるとまでは言うべきではないかも知れませんが(判断の客観性に問題があることになります)、司法制度としては、当然想定している事態(現実問題として完全な客観性を確保することが困難)であると考えています。
 ということを認めてしまいますと、裁判所の構成メンバーを選べない被告人としては、運不運によって量刑が変わることがあることを認めることになってしまうわけですが、運不運の要素は否定できないとしても、できる限り少ないほうがよいことは間違いないだろうと思います。

 そうすると、この模擬裁判で判決内容がことなる結果になった要因としてはどのようなものがあるのだろうか、ということが気になってきます。
 模擬裁判を主催した裁判所においては、この点についての分析検討を行っているのでしょうか?
 仮にの話ですが、評議における裁判長の誘導に原因があったりしたら、少なくとも裁判員制度を採用した趣旨からすれば問題があることになるのではなかろうかと思います。
 他の要因があるとしたら、それが望ましいものか望ましくないものかを検討して、望ましくないのであれば改善の必要が生じます。
モトケン (2008年10月 1日 09:34) | コメント(10) | トラックバック(1) このエントリーを含むはてなブックマーク  (Top) 引用:模擬裁判で結論が分かれることについて – 元検弁護士のつぶやき

検挙された1件に対して厳罰をもって望むことは十分合理性があります<元検弁護士のつぶやき>

掲示板のおふざけ殺害予告に懲役1年6月求刑は重いか?

「小女子焼き殺す」殺害予告で懲役1年6月求刑(ヤフーニュース 9月24日16時44分配信 産経新聞 ウェブ魚拓)

 被告人の真意はタイトルどおり「おふざけ」だったと思いますが、被告人質問のやりとりからするとかなり人格的に問題がありそうです。

 それはともかく

 私が興味を引かれたのはこのニュースについてのはてなブックマークのコメントです。

 http://b.hatena.ne.jp/entry/http%3a//headlines.yahoo.co.jp/hl%3fa=20080924-00000553-san-soci

 標準的はてなユーザーと標準的裁判員候補者の感覚的違いがどの程度あるかはよく分かりませんが、そういう観点で見るとなかなか興味深いです。
 個人的には実刑でもいいと思いますが。

 ちなみに、はてブに引用されている被告人による掲示板の書き込みの内容は以下のとおりです。
 http://mimizun.com/search/perl/dattohtml.pl?http://mimizun.com/log/2ch/heaven4vip/yutori.2ch.net/heaven4vip/kako/1214/12147/1214732232.dat

 参考サイトをもう一つ
 http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1177501.html

追記
 はてブコメントに

 一罰百戒なんて言葉を民主主義社会で軽軽しく使うな

というのがありましたが、一罰百戒という言葉をどう理解しいるんでしょう?

 たぶん、コメントした人は今回の事件をものすごく軽々しく考えてるんじゃないかな、と思います。

 ちなみに、過去にこんなエントリを書いています。
 「ライブドア摘発と一罰百戒」

 100件(1000件でも10000件でも同じ)の殺人予告のうち、1件でも実行されたら、実行されない全ての殺人予告も、現実的危険性のある殺人予告としての意味を持ちます。
 つまり、深刻な不安感や恐怖感の原因となります。
 秋葉原事件によって、すでに1件実行されてます。
 一罰百戒の逆の現象が生じていることになります。

 そのような状況で同種事犯の防止効果を最大限に発揮させるためには、検挙された1件に対して厳罰をもって望むことは十分合理性がありますし、それを強調して周知させることが必要です。
 民主主義社会においてもです。
モトケン (2008年9月28日 13:54) | コメント(176) | トラックバック(2) このエントリーを含むはてなブックマーク  (Top) 引用:掲示板のおふざけ殺害予告に懲役1年6月求刑は重いか? – 元検弁護士のつぶやき

本当はもっと本質的な背景事情を明らかにする必要があると<元検弁護士のつぶやき>

福岡小1殺害事件続報

「もうどうでもいいやと犯行」 福岡・男児殺害容疑の母(asahi.com 2008年9月27日20時1分)

 弁護人からの情報のようですが、今回は弁護人のマスコミ対応についてというような観点は横に置いて書きます。

 県警も、薫容疑者が弁護人に話した内容をほぼ調べで把握している。が、薫容疑者の供述にはあいまいな点もあるという。公園に行って間もないうちに殺害したとみられることから、計画性の有無について慎重に調べている。

 県警の言う「計画性の有無」というのは、要するに殺意の発生時期のことです。
 殺意が公園に行く前に発生していたら計画性があったと言って妨げないと思いますが、しかし本件のような経緯の事件について、数時間または数日間というスパンで事前の殺意の発生を論じても意味がないように思います。

 同じような事件が起きないようにするためには、本当はもっと本質的な背景事情を明らかにする必要があると思うのですが、事件当時の状況を中心に取調べによって供述を得てその裏付けを取るという警察捜査の基本的なやり方としては限界があるだろうと思います(この種の事案の検察捜査としても変わりませんけど)。

 しかし、マスコミとしては警察情報におんぶにだっこでその限界の中で報道しなければならないということはないはずです。
 もっとも、この記事は弁護人情報に基づいて事件の性格をかなり出そうとしているようですが、
 毎度おなじみの「計画性の有無について慎重に調べている。」というような紋切り型報道じゃなくて、もう少し記者独自の視点があってもいいんじゃないかと思います。

 しかし

 薫容疑者は弁護人に、家族3人で昨年、沖縄に旅行した思い出などを語った。「弘輝の声が聞こえる。弘輝のところにいかないと」

 これには涙が出ました。

 ですが、最後にここで弁護人視点を持ち出しますと、裁判員制度における弁護人のマスコミ対応というものを考えさせられる弁護人からの情報提供事例ではあります。
 この記事によって、真相に近いか遠いか分からない予断を抱いている自分が自覚されます。
モトケン (2008年9月28日 12:31) | コメント(26) このエントリーを含むはてなブックマーク  (Top) 引用:福岡小1殺害事件続報 – 元検弁護士のつぶやき

裁判員制度になっちゃったので、司法関係者がみんなびっくりしているわけです<元検弁護士のつぶやき>

「裁判員制度についての司法関係者の本音」というタイトルのエントリ
 某ルートを辿って寄り道して見つけた裁判員制度についてのシビアな認識を紹介したブログエントリです。
 裁判員制度についての司法関係者の本音(弁護士のため息)
 概ね同感ですが、特に
 一部の弁護士が「市民が参加すればとにかく良くなる」という幻想を頂いていることは確かだ。
に禿同です。
 一部だから陪審制とか参審制なんか採用されないだろうと思ってたら、どういうはずみか裁判員制度になっちゃったので、司法関係者がみんなびっくりしているわけです。
モトケン (2008年9月26日 16:02) | コメント(24) このエントリーを含むはてなブックマーク  (Top) 引用:「裁判員制度についての司法関係者の本音」というタイトルのエントリ – 元検弁護士のつぶやき

法律ないし司法制度に対する無知・無理解と言ってしまえばそれまでですが<元検弁護士のつぶやき>

医師はどうすれば安心するのか?

 このエントリは、「医療事故書類送検報道」の 内科の医者 さんのコメントへの横レスですが、内科の医者さん個人宛というわけではありません。

 内科の医者さんの不安感というものは多くの医師の皆さんが感じておられるだろうと思われますので、たたき台として使わせていただきました。
 ただし、若干の皮肉混じりのエントリになりそうですので、そのつもりで読んでください。

 やはり、大臣コメントでは何を言っているかわからない、というのが正直な気持ちです。

 たぶんそうだろうと思って私なりに解説してみたのですが、ほとんど理解されない、というか信用されなかったみたいです。
 法務・検察と警察の両首脳が相次いで、異例のタイミングと異例の内容のコメント、しかも歩調を合わせるかの同趣旨のコメントをしたわけですから、いずれも思いつきや失言の類ではなく、周到に検討を重ねてタイミングを図った上での発言であることが、明確な根拠をもって言えるわけですが、医師の皆さんはどうしても「法律」というものの保障が欲しいようです。

 謙抑的とはどういうことかを法律にしてもらわないと、今までと変わらず医療現場での患者死亡が警察の捜査の対象になる条件がわからないままです。

 言葉の意味の誤解(言い換えれば私の説明力不足)と法律ないし司法制度に対する無知・無理解と言ってしまえばそれまでですが、

 まず、法律で、過失犯の処罰範囲について、医師の皆さんが安心できるような文章表現でその限界を画することは、至難の業です。
 過失犯規定そのものが、犯罪の成立要件としては本来具体的であるべきであるにもかかわらず、抽象的にしか規定し得ていないのです。
 できるものならとっくにやっている、ということです。

 医師の皆さんが望んでいることは、法律ではなく、裁判所による法律適用によって明らかにされるべきもので、大野病院事件判決はまさしく医師の皆さんの期待に応えたものだと思うのですが、そして私ほか数名の法律家は何度もそう言ったつもりですが、「所詮地裁の判決だ」ということであまり安心の根拠にはなっていないようです。
 不信感のサングラスで見れば、仮に高裁の判決が出たとしても、「所詮高裁の判決だ」ということになったでしょうし、仮に最高裁の判決が出たとしても「いつ判例変更があるかわからない」ということになったのではないかと想像します。
 
 また、医師の皆さんから見れば、裁判所は裁判所、警察は警察(ついでに検察は検察)ということで、警察の捜査を法律で縛る方法がない限り、安心できないということなのでしょう。
 この点についても、裁判所の判断は、その手続的上流に位置する検察や警察の行動に大きく影響するという指摘を何度もしてきましたが、それも医師の皆さんに対してはあまり説得力がないようです。

 ということで、立法の問題になるわけですが、

 やはり謙抑的な捜査や告訴がどのようなものか法律で決めてもらわないと、ある種の医療行為は常に業過致死の捜査対象であり続けることは解決すべき問題と立法府に感じてほしいと思います。

と内科の医者 さん(たぶん、他の多くの医師の皆さんも)はおっしゃるわけですが、医師の皆さんは「立法府」というものをどのように認識されているのでしょうか?
 具体的には、国会議員です。多くの国会議員は医療についてはど素人でしょう。
 そして、国会議員の行動は、有権者の意向に強く影響されます。ここで問題になる有権者のほとんども医療についてはど素人でしょう。
 つまり、医師の皆さんが安心できるような法律を作ろうとすれば、まず、医療ど素人の有権者や国会議員の医療に対する理解、医療に対する信頼を得る必要があることになります。
 専門性の高い医療についての理解を求めることは容易ではありませんから、実質的に重要なのは医療ないし医師に対する信頼であることになります。
 私は、常識的な感覚として、信頼の最大の根拠は誠実さであるとの考えのもとに、いくつかのエントリで医療側に対して「誠実さ」や「信頼」の重要性を訴えました。
 ところが、それに対しては、司法は医療に誠実さを要求するが自らはどうなんだ、というような否定的なないし反論的な反応が多く返ってきました。
 しかし、敢えてもう一度言います。
 大野病院事件判決は医師の医療行為に対する信頼を前提にしていると思われます。
 検察は、その判決に対して控訴しないという行動で裁判所の判断を受け入れる意思を表明しました。その意思表明の中には、医師に対する基本的信頼があるものと思われます。
 モトケンが勝手に思っているだけだろうという意見があることは承知の上で言っています。
 安全調(事故調)の議論も、医師に対する基本的信頼がなければ成り立たないものだろうと思います。
 法務・検察や警察の首脳の「医療事故に対する慎重姿勢」の発言も、事故調の議論を踏まえたものと理解出来ます。
 つまり、今は医療界にとって追い風が吹いていると言ってもいいのです。

 しか~~~~~~~~~~し、
 
 もし、今、病院の倫理規定を無視して功名心に走ったとしか見えない(本人の気持ちはともかくそうとしか見えない)医療事故が起こったらどうなりますか? 
 そして、 もし、今、医療事故についてカルテの改ざんや口裏合わせがあったらどうなりますか? 
 そして、そのような医療事故やカルテの改ざんに対して医療界が目に見える具体的な自浄行動に出なかったらどうなりますか?

 医療界や医師に対する基本的な信頼というものは吹っ飛ぶでしょうね。

 医師のお手盛り審査機関になんか任せておられない。
 やっぱり警察にしっかりしてもらわないといけない。
 あやしい事故はみんな告訴だ。

というような事態が現実的に想定されます。

 ちょっと極端な例を挙げましたけど、要するに私が言いたいのは、

 医師の皆さんは医師以外の患者、患者予備軍、国民、国会議員、裁判所、警察、検察を味方につけないと医師の皆さんが一番望む法改正なんか夢のまた夢じゃないんですか?
 そして、味方につける唯一最大の、そして医師として可能な行動は、医師としての誠実な医療なんじゃないんですか?

ということだったんですけど、あんまり通じなかったみたいですね。
 このブログおいてすら、自分の発言が医師以外の人が読んだらどう読めてしまうか、という意識が希薄なコメントが散見されたように思います。
 たしか、医師の皆さんに、「このブログで何のためにコメントされているのですか?」という問いかけをした覚えもありますが、どこに書いたか忘れました。

 それはともかくとして、可能な立法措置について若干述べてみようかと思いましたが、長くなりましたので、ポイントだけ書きます。

 まず、謙抑的な告訴を規定する法律は無理です。
 告訴は私人足る被害者の行為ですから、法律で告訴権を認めながら、それを慎重に行使しろ、とかできるだけ行使するなというような法律は非現実的です。
 患者側の告訴を抑止する最大の要因は、医療側の患者側に対する対応です。
 ここでも「誠実さ」はキーワードです。

 刑事司法権力に対する謙抑性を強調する立法としては二つ考えられます。

 刑事司法の謙抑性というのは、私の理解では、制度運用における権力側の原則的姿勢という意味合いが強いと思っているのですが、それを立法化するとなると、どこかの法律に「医師に対する捜査や起訴は慎重に行うべし。」と言うような規定を盛り込むことが考えられます。
 しかし、こんな抽象的な規定は、訓示規定または努力目標的な意味しか持ち得ませんから、はっきり言って気休めです。
 これで医師の皆さんが安心してくれるならこれほど安上がりなことはありませんが(それでも医療に対する信頼がないと絶対立法されない)、現状に鑑み、医師の皆さんはそれほどお人好しじゃないでしょう。

 より実効性のある立法となると、制度的ないし手続的変更が必要になります。
 最も極端な立法として、医師に対する完全刑事免責(これは謙抑性という言葉の範囲を超えると思いますが)があります。
 そこまでいかなくても、過失犯の親告罪化も議論の俎上にのぼります。
 実は、事故調の議論もその一貫です。
 しかし、「医師に対する完全刑事免責」を除いて、医師の皆さんが完全に安心できる法制度は実現不可能です。
 
 医療側から見れば、医療現場における刑事司法権力の介入はほとんど冤罪だと理解することが可能だと思われます。
 犯罪でない行為に対して、犯罪として捜査が行われたり起訴されたりしていることが納得できない、という主張はそう理解できます。
 しかし、冤罪のリスクを完全に排除することは不可能なのです。
 満員電車で通勤しているサラリーマンは、医師以上に冤罪リスク(痴漢行為)を負っていると言えます。

 理想を求めるのは大事なことですが、理想的な制度でなければ嫌だ、というのであれば現状を変えるチャンスをみすみす逃すことになるでしょう。
 その結果、医師の皆さんの不安感は、これまでと変わりません。
 少しでも改善できれば、すこしは安心できるかも知れませんが。

追記
 書きそびれていた結論めいたものをコメント欄に書きました。
 No.19 モトケン さん | 2008年9月26日 19:14 |
モトケン (2008年9月26日 09:12) | コメント(279) | トラックバック(0) このエントリーを含むはてなブックマーク  (Top) 引用:医師はどうすれば安心するのか? – 元検弁護士のつぶやき