大谷昭宏氏の大野病院判決批判について<元検弁護士のつぶやき>


大谷昭宏氏の大野病院判決批判について

 curiousjudgeのつぶやき経由で知りました。

 傲慢裁判官よ、畏れを抱け(大谷昭宏事務所)

 一読した印象として、

 これが有名なジャーナリストの裁判制度についての理解なのか!?

 という驚きを感じるとともに、

 これほど見事なブーメランも最近珍しい。

 と思っています。

 ちなみに、このエントリのカテゴリは、マスコミ問題にしました。

すぐに追記

だからと言って、プロが何十年と培ってきた知識や技術を2年半で理解するというのは土台無理な話なのだ。

 要するに、大谷氏は、医療事故に対しては、警察や被害者側弁護士を含めて司法は口を出すな、と言っているように読めます。

 そもそも患者の脈や血圧を計った経験のある判事は一体、何人いるのか。

 噴き出すのぐっとこらえて、人を殺したことのない裁判官は殺人事件の審理をしてはいけないのだろうか?という疑問を呈するのは揚げ足取りだろうか?
モトケン (2008年9月13日 17:29) | コメント(51) このエントリーを含むはてなブックマーク  (Top)

引用:大谷昭宏氏の大野病院判決批判について – 元検弁護士のつぶやき

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まとめサイト立ち上げの提案(協力者募集)<元検弁護士のつぶやき>


まとめサイト立ち上げの提案(協力者募集)

 このブログの膨大な過去ログについて、FAQやまとめサイトの必要性が以前から指摘されてきたところです。

 大野病院事件判決関連のエントリを契機として新しい読者が増えてきたように感じていますが、その分、過去ログを読んでほしいなと思うことが多くなった気もしています。
 そこでこれを機会に一念発起してまとめサイトを立ち上げようか、と頭の片隅に浮かびはしたものの、そんなこと一人でできるはずがないという現実あるわけです(^^;

 そこでまずお尋ねいたしますが、もしまとめサイトを立ち上げるとした場合、協力していただける方はありますでしょうか?

 今私の頭の中にプランとしては、システム的にはMovable Type しか知りませんので(つまりウィキはほとんど知らない)MTを前提にしますが、

 ウェブから利用できるMTの検索機能としては、
   Google を利用した全文検索
   PHPを利用したデータベース(MySQL)への直接アクセス
   (これはすべてのデータにアクセス可能)
が利用可能です。

 インデックス機能としては
   カテゴリ検索
   タグ検索
   キーワード検索
   カスタムフィールド検索(たぶんできると思われ^^;)
が利用可能だろうと思います。
 実際には、カテゴリとタグしか使ったことがありません。

 ブラウザのページ内検索を使うという手もありそうです。

 そこで、まず何人かのコアメンバーを決定し、ブログの管理権限を付与します。
 管理権限を付与しますので、コアメンバーは私には実名を明らかにしていただく必要があると考えています。
 そして、コアメンバーによって、カテゴリやタグとして使う文言を決定していただきます。
 
 その上で、さらに何人かのボランティアの皆様に、ブログへの投稿権限を付与して重要なコメントの収集や分類をしていく。

 というようなことを考えているのですが、コアメンバーまたはデータ収集ボランティアとして協力してもいいという方がおられましたら、このエントリのコメント欄に申し出ていただけませんでしょうか。
 その他、まとめサイトに関するご意見、ご提案などありましたらそれも投稿願います。
モトケン (2008年9月11日 12:56) | コメント(38) このエントリーを含むはてなブックマーク  (Top)

引用:まとめサイト立ち上げの提案(協力者募集) – 元検弁護士のつぶやき

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被告人(医療側)が弁護人に医療の実情というものをきちんと説明し<元検弁護士のつぶやき>


医療側→司法側

 大野病院事件の判決を読んでみると、裁判所は、医療の不確実性や本来的危険性というものをきちんと理解していることが読み取れます。

 このことは、被告人(医療側)が弁護人に医療の実情というものをきちんと説明し、その説明を弁護人(司法側)が理解し、弁護人は自らが理解した医療の不確実性や本来的危険性を裁判官(司法の主体)に向けて説明・説得に努め、それが成功したことを意味します。

 言い方を変えれば、司法側は医療側の主張や説明に耳を傾け、それを理解したと言えるのであり、医療側から司法側に向けたコミュニケーションが成立した事例と見ることができます。

 それに対して、司法側から医療側に対して司法制度を説明してきたこのブログの「司法側→医療側」のコミュニケーションは、絶望的に失敗しているように感じる今日この頃です。
モトケン (2008年9月10日 12:07) | コメント(62) | トラックバック(0) このエントリーを含むはてなブックマーク  (Top)

引用:医療側→司法側 – 元検弁護士のつぶやき

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医師の皆さんは誠実さを求められることがお嫌ですか?<元検弁護士のつぶやき>


医師の皆さんは誠実さを求められることがお嫌ですか?

 このエントリは、峰村健司氏のコメント(刑事司法の介入と業界に対する信頼感No.15 以下)を契機とするものです。

  最初にいくつか確認しておきます。

 私のここ最近(大野病院事件判決の前日から)の発言は、いずれも大野病院事件の判決とそれに対する検察の不控訴決定を踏まえてのものです。
 以前の青戸病院事件判決や割り箸事件判決について言及する場合はその旨明示しているはずですし、多くの民事医療過誤事件判決は考慮に入れていません。
 民事と刑事の過失判断理念が違うからです。
 過去の民事のトンデモ判決(と医療側が理解している判決)を前提に大野病院判決を理解しようとすると色眼鏡で見ることになります。

 次に、「誠実」という言葉についてですが、大野病院判決の要旨には「誠実」という言葉はありません。
 つまり、要旨で見る限り、大野病院判決の論理の中には、誠実な医療行為という概念はないでのであり、当然のこととして大野病院判決が医師に対して「誠実な医療」を要求していません。
 判決の論理自体は、誠実とは無関係に無罪を導いています。

 このブログで、「誠実」ということが議論されるようになった原因は、私の「誠実な医療の重要性」にあるのですが、このエントリは、すでに説明したつもりですが、大野病院判決を医療側から見てどう受け止めるべきか、という観点で書いたものです。
 つまり、医師の側において、誠実さを重視することの重要性を指摘したものに過ぎず、司法の論理として「誠実さ」が重視されていることを言いたかったのではありません。
 峰村氏の「私の言うところの「そういう司法」は,その直前に記した『「誠実さ」を重視する判断手法』を行使する司法,の意味であり,モトケンさんが言われるところの「信頼感」によって判断する司法であります。」というコメントは誤解です。
 大野病院判決jの論理(この論理というところが重要です)そのものは、「信頼感」によって判断しているわけではありません。

 なぜ、医師の側からの受け止め方を問題にしたかというと、医師が感じている訴訟リスクが問題だと思っているからです。
 私のこのような視点は、これまでのこのブログにおける2年以上にわたる議論の中での私の発言をお読みになっている方には当然のことと思っていたわけですが、今回の峰村氏のコメントはその意味で、私にとっては最も衝撃的な発言でした。

 繰り返して確認しますが、大野病院判決は、医療行為が誠実なものであったかどうかは判断していませんし、誠実な医療行為を要求しているわけでもありません。
 大野病院判決の論理としては、誠実な医療だったから無罪にしたのではありませんし、不誠実な医療だったら有罪になったとは限りません。
 そもそも、誠実さなどという曖昧な基準で有罪無罪を決することはできません。

 次に「誠実」という言葉の意味ですが、私の理解で、誠実という言葉は、人の能力や技能レベルと無関係の概念であると考えています。
 つまり、「誠実な医療」というのは、「理想的な医療」でも「完璧な医療」でも「最良の医療」でも「最高の医療」でも「最新の医療」でも「最適な医療」でも「人を死亡させない医療」でもありません。
 ヤフー辞書によれば、類語または関連後として「真面目」「正直」「真心」があげられています。
 要するに、与えられた状況に応じて最善を目指す医療と言っていいのではないかと思います。
 具体的な医療行為の内容が、誠実という基準で一義的に決まるものではないということも当然の前提です。

 私は、大野病院事件の論理の前提にある医療というものに対する裁判所の理解として、「誠実な医療」であるならば、それに対する刑事司法の発動(処罰)は謙抑的でなければならないという判断を読み取ったのです。
 私が、そう読み取ったのです。
 つまり、福島地裁の裁判官の医療行為に対する認識と、医療側が理解してほしいと思っている医療の実情との間に大きな乖離はないと、私は理解しました。
 そして、私は、そこに裁判所の加藤医師の誠実さに対する信頼を感じ取ったのです。
 そうなると、今後の医療側の課題としては、福島地裁が加藤医師に抱いた信頼を、他の裁判所と他の医師との間に広げ深めていくことが大事なのではなかろうか、というのが私の「誠実な医療の重要性」であったわけです。
 つまり、「誠実な医療の重要性」で指摘した「誠実な医療」とは、司法の論理としてのそれではなく、医療の論理としての「誠実な医療」であったわけです。

 さて、ここまで書いて、同じようなことを何度も書いたような気がするなと思っておりますが、いくら言葉を重ねても理解できない人には理解できないようです。
 私の文章力の拙さによるところもあるかと思いますが、最初から対立構造で見られたらお手上げだなという気もしています。

 しかし、どの程度の人が理解してくれているのかな、という点はとても関心のある事柄です。
 そこで、本エントリのタイトルです。
 別に、裁判所が誠実さを求めているわけではないことは、ここで述べたとおりです。
 しかし、裁判所が誠実さを求めていると誤解してそれに対する反発を示す医療側の発言も少なくないと思われます。
 そこで、あらためて聞いてみたいと思いました。

 医師の皆さんは誠実さを求められることがお嫌ですか?
モトケン (2008年9月10日 09:31) | コメント(84) | トラックバック(1) このエントリーを含むはてなブックマーク  (Top)

引用:医師の皆さんは誠実さを求められることがお嫌ですか? – 元検弁護士のつぶやき

送信者 元検弁護士のつぶやき-2013

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ご自身の名誉というものについてどうお考えなのかよくわかりません


セクハラ癖認定に対するコメント

植草氏の「セクハラ癖」を地裁が認定 サンデー毎日訴訟(asahi.com 2008年9月9日8時5分)

 この判決については、Matimulog でも言及されており(植草元教授のセクハラ癖)、判決の論理については、私も町村先生と同様に釈然としないところがあるのですが、ここでは、この判決に対する植草氏のコメントを指摘します。

 判決について、植草元教授は「『セクハラ癖』が存在したと認定した点に不満が残るが、妥当な判断が示されたと考えている」などとするコメントを出した。

 認容額は少額ですが、一応(一部)勝訴判決ではあります。
 しかし、現在、その後の痴漢事件について上告中の植草氏としては、セクハラ癖を認定した判決に対して、不満を述べつつも「妥当な判断」という感覚が理解できません。
 この裁判では、植草氏のセクハラ癖の有無こそが植草氏にとっては最も重大な争点だったのではないかと思うですが、ご本人としてはそうではないようです。

 不可解です。
 ともかく訴訟に勝てばいいんでしょうか?
 たしかに、訴訟法的には、訴訟は結果が全てであり、判決理由中の判断(セクハラ癖認定など)は極論すればどうでもいいんですけど、世間的にはそうじゃないんじゃないでしょうか。
 ご自身の名誉というものについてどうお考えなのかよくわかりません。
モトケン (2008年9月 9日 09:31) | コメント(1) このエントリーを含むはてなブックマーク  (Top)

引用:セクハラ癖認定に対するコメント – 元検弁護士のつぶやき

送信者 元検弁護士のつぶやき-2013

私(およびこのブログの常連の法曹のみなさん。以下同じ)は


再び医療側のみなさまへ

 3度目か4度目かも知れませんけどね。
 このブログで医療問題を取り上げているのは明確な意図があってのことです。
 患者または患者予備軍として、将来もちゃんとした医療を受けたいということです。
 そして、そのためにはお医者さんたちにやる気をもって安心して存分に医師としての能力を発揮してもらいたいのです。

 ところが、議論を始めてみると、「医療崩壊」だ「逃散」だという話になっていることが分かってきました。
 ともかく何が問題なのか医療側の皆さんに教えてもらわなければいけないと思って、私(およびこのブログの常連の法曹のみなさん。以下同じ)は、医療側の訴えに耳を傾けてきたつもりです。
 その結果、医療の不確実性等の医療の本質に係わる問題や、不確実性を理解しない司法への不信、それによる深刻な訴訟リスクなども理解できるようになったと思います。
 
 医療崩壊の原因は非常に多様であって、一言ではまとめきれないと思いますが、その中の大きな要素として訴訟リスクというものがあることはわかりました。
 そしてここは元検弁護士のブログです。
 そこで、私は法律家の観点から司法の仕組み、訴訟リスクの実態等の説明を試みました。
 それによって訴訟リスクの範囲と程度を医療側の皆さんにできるだけ理解してほしいと思ったからです。

 これが、私が何度も強調してきました司法側と医療側の相互理解であったわけです。
 しかし、司法が患者側の働きかけで起動するものである(民事では患者側原告による提訴、刑事では患者側による告訴等)ことからしますと、相互理解は、司法側と医療側にとどまるべきものではなく、患者側、患者予備軍たる多くの一般市民と司法および医療との相互理解が最も重要であるはずです。
 一般市民から理解されない医療は、市民側からの故なき批判にさらされることになり、医療側の士気と誇りはスポイルされ続けるでしょう。

 このブログは、司法・医療・市民の相互理解を目指す場でありたいと思っています。

 そういう問題意識を持たずに、自らの不平不満を述べたいだけの人は、あえてこのブログで発言する必要はありませんし、そのような発言は有害ですらあります。
 不平不満だけなら、ほかに吐き出す場所がいくらでもあるでしょう。

 何度言ってもわからないなら、ほんとに切れますよ!!!
 わざわざ有害情報を提供するために医療問題エントリを立てても仕方がありません!

2008年8月27日10:41am付け追記
 昨日、このエントリを非公開としましたが、事情により再公開します。
 なお、上記事情は医療側の皆さんとは関係のない事情です。
モトケン (2008年8月26日 12:03) | コメント(9) | トラックバック(0) このエントリーを含むはてなブックマーク  (Top)

引用:再び医療側のみなさまへ – 元検弁護士のつぶやき

送信者 元検弁護士のつぶやき-2013

送信者 元検弁護士のつぶやき-2013

死刑制度に対する理解が深まらないのは、マスコミの責任が大きいと思う。連中 は遺族の感情論〜モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)

死刑制度に対する理解が深まらないのは、マスコミの責任が大きいと思う。連中は遺族の感情論でしか死刑を考えていない。

— モトケンさん (@motoken_tw) 2012年11月1日


モトケン モトケン ‏@motoken_tw

死刑制度に対する理解が深まらないのは、マスコミの責任が大きいと思う。連中は遺族の感情論でしか死刑を考えていない。

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とる しまやとかきゅるぺぽ☆とかいうひと 春夏秋冬巡 みかげ 桂木裕(かつらぎ・ゆう) さっちゃん 特急「ヲタフク」@精神不安定 Koichi Hosomi ✿_鬼亥_✿

16:17 – 2012年11月1日

引用:Twitter / motoken_tw: 死刑制度に対する理解が深まらないのは、マスコミの責任 …

送信者 motoken_tw-2012

安全神話は感情論じゃないと思います。もっと悪質な欺瞞。〜モトケンこと矢部 善朗弁護士(京都弁護士会)

安全神話は感情論じゃないと思います。もっと悪質な欺瞞。RT @antimulti: 論理的思考や科学的根拠とか無く、感情論だけで原発の安全性を主張していたからあの大事故が起こったんです。@motoken_tw @cubic_aikey @herobridge

— モトケンさん (@motoken_tw) 2013年1月5日


モトケン モトケン ‏@motoken_tw

安全神話は感情論じゃないと思います。もっと悪質な欺瞞。RT @antiMulti: 論理的思考や科学的根拠とか無く、感情論だけで原発の安全性を主張していたからあの大事故が起こったんです。@motoken_tw @cubic_aikey @herobridge

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告発-金沢地方検察庁御中_ツイッター

2:17 – 2013年1月5日

引用:Twitter / motoken_tw: 安全神話は感情論じゃないと思います。もっと悪質な欺瞞 …

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ど素人が安田弁護士を批判するのはまあ仕方がないとして、マスコミは〜モトケ ンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)


モトケン モトケン ‏@motoken_tw

ど素人が安田弁護士を批判するのはまあ仕方がないとして、マスコミはもうちっと刑事弁護を勉強したほうがいいんでないかな。プロから見ればそれなりに批判はあるけど、マスコミの批判の殆どは的外れというか刑事弁護制度に対する攻撃と言うべきものがある。

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稗田阿斗@ヮ<)ノ hayohater 隆大 kamohook 細川啓%求職中 ken1_nakamura 桂木裕(かつらぎ・ゆう) 蒼 きぐつ

19:15 – 2012年6月27日

引用:Twitter / motoken_tw: ど素人が安田弁護士を批判するのはまあ仕方がないとして …

ど素人が安田弁護士を批判するのはまあ仕方がないとして、マスコミはもうちっと刑事弁護を勉強したほうがいいんでないかな。プロから見ればそれなりに批判はあるけど、マスコミの批判の殆どは的外れというか刑事弁護制度に対する攻撃と言うべきものがある。

— モトケンさん (@motoken_tw) 2012年6月28日

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国民の法感情というのはど素人の感覚だと思いますが。〜モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)

国民の法感情というのはど素人の感覚だと思いますが。RT @shokun_ebi: @motoken_tw うちの教授で、…なぜなら実務をしてないあなた方学生はそのようなこと分かるはずないから、と仰られます。…同じように国民の法感情など僕らには分からない気も…

— モトケンさん (@motoken_tw) 2013年1月17日



国民の法感情というのはど素人の感覚だと思いますが。RT @shokun_ebi: @motoken_tw うちの教授で、…なぜなら実務をしてないあなた方学生はそのようなこと分かるはずないから、と仰られます。…同じように国民の法感情など僕らには分からない気も…

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みるひ こうじ@がんばらない にちぼつ(オクムラタクマ) ちゃーはん

8:30 – 2013年1月17日

引用:Twitter / motoken_tw: 国民の法感情というのはど素人の感覚だと思いますが。R …

送信者 motoken_tw-2013