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死刑求刑事件の弁護をしたことはありません。死刑求刑なら2件してますけど。 <元検弁護士のつぶやき>



No.8 モトケン さん | 2008年5月 5日 23:16

 死刑求刑事件の弁護をしたことはありません。
 死刑求刑なら2件してますけど。

引用:安田弁護士らの主張の検討>だめだこりゃ – 元検弁護士のつぶやき

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安田弁護士は、「刑事弁護は死んだ。」とものたまっているようですが、〜廣野 秀樹



No.25 廣野秀樹 さん | 2007年9月 6日 00:02 | 返信  (Top)

 安田弁護団の主張ですが、検察の不手際を指摘した合理的なものもあるそうですが、なぜ荒唐無稽な精神病を前面に押し出し、奥に引っ込めているのか、まったくもって不可解です。確かに、説明責任を果たしているとは到底思えませんし、驕りや、狷介さを感じないわけにはいきません。
 安田弁護士は、「刑事弁護は死んだ。」とものたまっているようですが、仮に裁判所が「理由あり」と認めた場合、刑事弁護は生き返ったことになり、巧妙が訪れるのか?、それで国民は納得するのでしょうか?
 利益を得るのは、弁護士商売だけのような気がしますし、希有の被害を被る被害者および親族も増えることでしょう。まっとうに生きている、生きようとしている人が、ばかをみるだけという気がしますが、いかがなものでしょう。
 いずれ、そう遠くない将来に、推定有罪の原則が一般化し、過酷で過大な負担が、強いられるような予感がします。
 弁護士というのも、一人の人間なのですよ、大きな限界があるはずなのに、のぼせ上がって、専門かぶっている、最低の職種と考えています。
 金沢地方検察庁は、スーパーマンじゃありません、と私に言っていましたが、真摯で謙虚、立脚点に立ち返っているとは、感じました。
 弁護士が、どれほどのものか、それはいずれ、私のブログの方で、具体的に述べる予定でいます。弁護士というインチキ商売と低劣さに、憤りを通り越し、呆れ果ててはいますが、パソコンと一緒で、頼らざる得ない状況も、起こりうるでしょう。
 幻想的な期待や、信頼が前提にあるから、他人事として、脳天気にいられるのでしょう。私自身、最近までは甘い見通しがあったと、痛感しています。大本営に匹敵するぐらい、悪質ですよ。馬鹿丸出しで。勉強のしすぎで、頭の中が偏りすぎているのかもしれません。大傑作な出来損ないです。
 それこそ、病院に行ってください!、ですが、そんな救いようのない、連中が、とやかく言っていると思いますね。
 警察も、検察も買いかぶっているか、救いようのない馬鹿だと思っているから、間違いもしでかすような気がします。
 反論があるなら、私のブログにトラックバックをおくってくださいよ、検察に突きつけてあげますから。自信がないから出来ない、資料に目を通していないから云々という、子供だましは通用しません、とは言っておきます。
 コメント欄は荒れていますが、トラックバックの内容には、返礼します。見ておわかりだと思いますが、ここ一年以内でも、3万件ほどの、意味不明のコメントが押し寄せています。誰かがやっているはずで、それなりの意味はあるのでしょう。

引用:母子殺害弁護団に懲戒請求3900件 – 元検弁護士のつぶやき

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弁護士よさらば。軽蔑の念しかありません。<元検弁護士のつぶやき・コメント >



No.47 弁護士よさらば さん | 2007年9月30日 00:47 | 返信  (Top)

弁護士よさらば。軽蔑の念しかありません。
いま、ここに書き込んでいる間も胃むかむかしてならない。
人として恥を知りなさい。
No.48 モトケン さん | 2007年9月30日 00:56 | 返信  (Top)

>弁護士よさらば さん

 このブログで今議論されている問題は、あなた自身が弁護士に依頼しなければならない、または依頼を検討しなければならない問題が生じない限り、あなたにとっては単なる感情または気分の問題です。

 となると、読まなければ胃がむかむかすることもありません。
 読んでしまった後なら(そうですよね)、橋下弁護士のブログを読み直すことをお勧めします。
No.49 せっせ さん | 2007年9月30日 00:56 | 返信  (Top)

弁護士よさらば さんへ

あなたがいつの日か、痴漢冤罪で逮捕されるか、誤って車で誰かをひき殺すか、喧嘩で相手に大怪我を負わせたりすれば、嫌でも弁護士に再会しに行くことになるでしょう。最大の味方として。
No.50 せっせ さん | 2007年9月30日 01:02 | 返信  (Top)

モトケンさまへ

もろかぶりです。すみません・・・。

引用:母子殺害弁護団に懲戒請求3900件 – 元検弁護士のつぶやき

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はっきり言って、弁護士は刑事弁護にも熱心に取り組んでいるというアピールに 思えてなりません。〜廣野秀樹



No.31 廣野秀樹 さん | 2007年9月 7日 22:35

 昨夜以降のコメントを拝見させて頂きましたが、橋下弁護士は分が悪いというか、批判的な見方が多いようです。
 私自身、橋下弁護士が出演したテレビなど観ていないし、調べ回って沢山の情報をかき集めたわけではありません。
 ただ、なんとなく感じたことですが、氏をそのように駆り立てたのは、自分の家族や子供に対する愛情を根底にし、触発された危機感のように思われます。
 刑事弁護の理解という言葉が、よく目につきますが、主張が是とされ、認容された場合、社会の秩序というのもはどうなるのでしょう。
 完全に可能性が否定できない以上、被告人の言い分を代弁するのが、弁護士の職責というお考えもあるようですが、裏付けとか社会を納得させる根拠、それが説明責任というものではないかと思います。それが精神鑑定であり、精神医学の専門家の証言らしいことは、報道で少し見た覚えはあります。
 しかしながら、本当に心の病を抱える人や、再犯者の更正にも、悪影響が及ぶような気がします。
 はっきり言って、弁護士は刑事弁護にも熱心に取り組んでいるというアピールに思えてなりません。安田弁護士については、なり手のない凶悪事件の弁護を引き受けているとか、刑事弁護の最前線でご活躍され、実績のある方ということは存じております。
 正当性のある部分もあるような気がしますが、入れ子に入り組んだプログラムのように超難解で、隠蔽されている部分も多いような気がします。
 被告人の利益を守るのが、弁護士の至上命題、あるいは使命という意味は伝わってきますが、全体的な刑事被告人や被疑者、そうなるかもしれない人、さらに国民全体の利益に繋がるとは思えませんし、カルト的なマジックという印象が強く、またそのような意識を全般的な国民に与えたように思います。
 また、減刑や情状酌量が国民の利益とすれば、これはすでに大幅に損なわれ、厳罰化が定着し、量刑の相場は跳ね上がっているはずです。
 刑罰から威嚇の要素を骨抜きすることが、社会的利益にかなうのかという疑問もあります。そもそも刑法の目的は、「法益の保護」すなわち、法によって守られるべき利益の保護、のはずですが、知っている人がどれほどいることでしょう。弁護士さんのブログでも、いままでお目にかかったことがありません。
 そして、刑法を適切に運用するための法律、刑事訴訟法の冒頭には、「この法律は、公共の福祉の維持と個人の基本的人権の保障を全うしつつ....」とあるはずです。
 誰もが理解に苦しむ弁明を持ち出し、それを大々的に振りかざしたのであれば、それに見合う説明責任が生じてしかるべきかと思いますし、検察もそのあたりをうやむやにせず、きっちり追求すべきでしょう。
 弁護団対検察という構図が、明確に見えてこないのも、この裁判の特異な側面かと思えます。検察は謙抑的なスタンスをとっているようですが、公益の代表者であれば、無用な混乱や誤解が生じないよう、白黒をはっきりさせるべきかと思います。それが、似たような事例のリーディングケースにもなりうるのではないでしょうか。
 犯行時の少年が処刑されることに、不憫さはあるのかもしれませんが、マスコミの報道に惑わされ、同じ道を辿らない、青少年のためにも、果敢に臨んで頂きたいところです。
 彼は、この世に生を受け、世の中に渦巻く不信感を抱いて死んでいくのでしょうか? それも不憫な気がしますし、更正とか再発防止とかの職責を担う、専門家のあり方とは思えませんね。とりわけ、法律家というのは四六時中、業務に関わることを繰り返しているのではないでしょうか。たぶん、プライベートと仕事の領域がかなり曖昧な職業のように思えます。
 また、これもごく率直な個人的感想ですが、たまに見る、テレビで法廷の椅子に座っている検察官は、頭の悪そうな人が少なくないですね。知識ばかりを詰め込んで視野が狭く隙だらけ、まともな判断や対応が出来ない感じ。自分にどれだけ人を見る目があるのか分かりませんが、そう感じたことは本当です。もっとも裏に操縦者がいるのかもしれませんが。
 実社会での経験も含め、自信のない人間は、恫喝やごまかしを繰り返すものでもあると思います。隙があり抜けているという点は自覚しているのでしょうか。
 弁護士会というのが、どれほどインチキくさい存在かというのは、つい最近まで、一切の広告宣伝を禁止し、均質で良質なサービスを提供できると手前味噌で決めつけていた一事を見ても明らかなところかと思います。二度と社会に戻ってこれないような人間を道具に、抜け目のない布陣で臨んでいるような気もしますし、最大の盾が、守秘義務とは。伝家の宝刀みたいです。
 もっとも割のよくない刑事弁護を一部に押しつけ(カネに糸目をつけない依頼者というのもいるんでしょうね。金持ちの馬鹿息子とか)、経済的な利益の追求に汲々としている弁護士も少なくないそうです。まとまりのない寄り合い所帯みたいですね。以前はギルド的とも言われていたようですが、いずれにせよ情報化で誤魔化しの通用しにくくなったことは確かかと思います。感情反応というのも、いかにも胡散臭い理屈。日本のマスコミも弁護士商売に手なずけられ、先を見ることが出来なくなっているのでしょうか?

引用:橋下弁護士の反論の報道について – 元検弁護士のつぶやき

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私自身、読み方が足らなかったのか、弁護団批判の急先鋒〜廣野秀樹



No.17 廣野秀樹 さん | 2007年9月 6日 23:05

>No.15 モトケン さんのコメント
 いろいろ参考にさせて頂きました。私自身、読み方が足らなかったのか、弁護団批判の急先鋒とまでの理解はありませんでした。
 また、法廷で暴露されるのが怖いので、嘘の教唆は出来ないという説明は、なるほどと思いました。自分自身気がつかなかった新たな視点を与えて頂いた気がします。
 ということは、被告人自身の言い分を弁護団がストレートに代弁しているということになりそうです。独自で個性的な表現を、少年時代から拘置され、社会から隔離された人間が、これほど巧みな論理を展開できるのかという疑問は、未だ解決できませんが、公開されている顔写真を見ても、割と頭の聡明そうな人間であるという印象はありました。
 ところで、これまで度々、コメントをさせて頂いていますが、正直なところ昨夜の投稿は、削除されているかもしれないと思っていました。また、レスが無反応であったのも少々意外でした。
 一つお断りしておきたいことは、私は、自分のブログや抱える問題の宣伝のために、このブログに書き込みをしているわけではありませんし、協力や支援を得るという気持ちもないのです(あったとしても断ります)。
 ただ、刑事裁判や司法制度の現状のあり方によって、過大な負担と犠牲を強いられ、このまま埋もれてしまうのかという意識があります。自分自身の問題として、金沢地方検察庁に上申書を提出する予定で、そのことは今年3月の終わり頃に担当者を通じて、伝えてあります。
 上申書という表題ですが、中身は、検察に過去の事件の誤りを認めさせ、捜査や裁判のやり直しを求めるという趣旨です。これが、いかに困難で絶望的な挑戦であるのかは、よく承知しているつもりでいます。警察の間違いだったのか、検察の判断に誤りがあったのか、という疑問を含め、回答を求めます。
 そのための参考資料として、このブログを利用させてもらっていますが、反応を強いる非礼な発言もあったかと思います。ただ、率直な刑事裁判に対する感慨という部分もストレートに書いてきました。
 特にこの光市母子殺害事件の裁判は、自分自身の裁判や立場とも共通点があり、考えさせられると同時に、出来るだけ沢山の人にも、考えて頂きたいと思っています。
 刑事弁護というアプローチには、次の以前のエントリが、参考になると思います。
<[告訴事件]弁護士と検察、裁判所の関係について>
http://d.hatena.ne.jp/hirono_hideki/20060924/1159110002#c1189057412
 今気がついたのですが、ちょうど一年前ほどの投稿になりそうです。
 光市事件との共通点ですが、私は弁護士の側から精神鑑定の請求を受け、鑑定を受けました。私自身はこれに反発し、否定していました。鑑定の結果の要旨についてもブログで公開する予定ですが、妄想癖のような問題はないとされていますが、爆発型の精神病質の傾向を有する被告人の人格反応などと結論づけられていました。
 私は事件に至る経過を詳細かつ具体的に書き綴り、それを名古屋高裁金沢支部に提出していましたが、そのようなアドバイスをくれたのも、同じ精神鑑定の請求をした私選弁護人でした。
 こんなことで、精神病の疑いがかかり、審理の中心に据えられたのです。おざなりにされた事実関係は、身勝手な主張をした関係者への聞き取りさえされず、私の知る限り、表面上は放置されたままです。
 事実の証明が、それほど困難であるのか、切り捨てられる諸事情としての評価なのか、判断は分かれるのかもしれませんが、自分の身に降りかかったときに、納得の出来る人はまれなのではないかと思います。法の運用や、刑事裁判のあり方を含め、その一翼を担い、法廷において主体的活動を行う弁護士が、無関心でなんら問題性を感じてすらいなのであれば、空恐ろしい現実ではないかと思えます。
 また、複雑な事件において、まして被告人の資力が乏しい場合の、弁護士の負担というのも厳しいものがあるであろうと想像します。
 検察が、不十分な捜査や、安易な判断で起訴した場合の、弁護士側の負担というのも、業務妨害に匹敵する大きな問題なのではないかと、素人ながら考えてしまいます。
 検察の無謬性は、最近になって否定されつつありますが、本来、そのような権力側の瑕疵をチェックし、対抗するのが弁護士の役割なのではないかと考えます。すでに放棄された感なきもあらずですが、そのような観点からも、検討して頂ければと、お勧めします。
 長文になって申し訳ございませんが、より詳しいご説明は、近日中に、自分のブログで行っておきたいと思っています。

 それと、橋下弁護士のことですが、今朝たまたま、「スッキリ」という番組で観ました。10分ぐらいでしょうか、結構大きく取り上げていたようです。「事務所の従業員の給料も支払わなければならず....無償では出来ない。」という部分がもっとも印象的でした。
 あと、夜になって、ネット上などで「カルト弁護団」と名指しし、相手方の方は、「業界の笑いもの」と軽く観ているようです。率直で重要な感想ですが、業界そのものが笑いものにされ、そっぽを向かれ、取り返しのつかないことになるのではないかと、感じました。
 余波が及ぶ危機感からか、微妙に暗示的な反論も散見されるという気がしますが、紛い物も浮かび上がり、吐いたつばは飲み込めず、進退が行き詰まるという事態も起こりうるかもしれません。需要が後押し、しているのかもしれませんが、相場が通用しないと決まってしまえば、どうなるのか。
 「トウショウヘイ」という中国の政治家は、自分の墓を公開するなと釘を刺したそうです。評価が一変し、辱めを受けることを慮ったそうです。
 そうでなくても、カネをドブに捨てるような弁護士には、頼まなくなるでしょう。相場を決めるのは、事実上、起訴不起訴の権限を持つ、検察のはずですが、あまり注目されないみたいですね。
 また、検察は判決という結果を出すことはできませんが、それが出来る裁判官も、経験則に反することが出来ないという制約があるそうです。
 もっとも、そのあたりもあやふやになっているはずですが、相対的に弁護士の力が弱まっている気がします。たまに調子づかせるような、判決を出すことはあるようですが、試され、手のひらで転がされているような気もします。
 その弁護士の世界でも格差社会が広がっているそうですが、大掛かりな粛清の前触れ、事前準備であるような。気がつかない、感じ取れないのでは、法律家としても失格でしょうし、切り捨てる必要に迫られているのかもしれません。
 自浄作用が、迫られているのかもしれませんが、そのあたりの意識も希薄なのかもしれません。なんとなく感じていることですが。
 ちなみに、パチンコ店のパチスロ遊技ですが、今年に入って5号機という規制がかかり、顕著な影響が出ているようです。目に見えて分かる、大きな変化ですが、業界も深刻なのかと思います。

引用:橋下弁護士の反論の報道について – 元検弁護士のつぶやき

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何を言っても許され、言いたい放題であれば、その言い分の信憑性についての価値〜廣野秀樹



No.2 廣野秀樹 さん | 2007年9月 8日 00:41

 何を言っても許され、言いたい放題であれば、その言い分の信憑性についての価値も全体なレベルが低下し、羮に懲りて膾を吹くという過ちが起こり、真のえん罪を生む土壌にもなりうるのではないでしょうか。
 掘り起こされ、精査されることなく排除される事実が増え、そこから生じた不手際を逆手に検察や、裁判所をなじる向きもあるような。
 「裁判官が日本を滅ぼす」とか元裁判官の「狂った裁判官」という本も出ているぐらいですから。
 逆に正当な事実の証明が、著しく困難になり、ハードルも高くされているような気もします。
 それと、どこかの検事長だったかが、百人か千人の犯罪者を逃しても、一人の無辜を罰することなかれ、などという名言を残したそうですが、調査力や判断力を磨いた方が良さそうな。紛い物を容易に混じり込ませれば、間違いは簡単に起こりうるでしょう。
 これは単純な工場作業でも同じことで、はじめから分かり切った経験則です。プログラムの世界でもバグ(欠陥)は常識という大前提があるはずです。特別優秀な頭脳の持ち主か、そう思いこんでいる人であれば、話は別なのかもしれませんが、「万死に値する」などと軽々にいう政治家に似ていますね。
 国民をなめ腐った詭弁ですよ。

引用:刑事弁護について – 元検弁護士のつぶやき

送信者 元検弁護士のつぶやき

自己満足型利己主義者、貴族的病人の弊害は除去してもらいたいものです /廣野秀樹


No.27 廣野秀樹 さん | 2008年2月16日 00:32

 日本的には、「衣食足りて礼節を知る」というようですが、原典ではないかと思われる中国の菅仲の言葉は、「倉廩実ちて礼節を知り、衣食足りて栄辱を知る」となっており、後者がはるかに現実的なように感じます。
 もともと弁護士というのは、中世ヨーロッパの貴族というか有力者の価値観と言うのかスタイルから始ったと本で読んだことがあります。いってみれば、絵本か童話の世界が比較的長く続き、そこから抜け出せない意識改革の出来ない人も少なくないのかもしれません。
 おなじ、中世ヨーロッパのマキャベリの「君主論」には、その戒めのようなことも書いてありましたが。
 また、貴族道徳と批判されるニーチェは、次のように著作に書いています。全然有名ではないと思いますが。
 「あなたがたは、あなた方の子どもたちの国を愛さなければならない。あなた方の子どもたちへの愛、これをあなた方の貴族の資格とするがいい。わたしは、あなた方の帆に命ずる、その国を探せ、探せと!」
 なんか橋下知事の所信表明のようなものに通じる点を感じますが、ご存知なのかどうか。ニーチェなど口にすれば、変人扱いされるのがオチかもしれませんが。それだけ不都合でもあったようですが、ヨーロッパは、のちにナチスの台頭などで、大きな代償を払うことになったという世界史的な、流れもあるようで。ニーチェは死後に都合よく利用されたと言われていますが。
 自己満足型利己主義者、貴族的病人の弊害は除去してもらいたいものです。

引用:余裕があるからするのでは人権活動と呼ぶには値しないのか? – 元検弁護士のつぶやき

送信者 元検弁護士のつぶやき-2013

弁護士の人権活動というのは、主として社会的弱者に対する法的支援だと考えています<元検弁護士のつぶやき>


No.2 モトケン さん | 2008年2月14日 22:36

>Toshiさん

 弁護士の人権活動というのは、主として社会的弱者に対する法的支援だと考えています。
 そして、社会的弱者というのは経済的弱者とほぼ重なります。
 つまり人権活動はただ働きになるリスクを負っている場合が多いのです。
 弁護士の人権活動の充実は経営基盤の安定を前提にするといっても過言ではないと思います。

 また弁護士大幅増員に対する反対の理由の大きなものとして、弁護士の質の維持があります。

 なお、地方の弁護士不足の問題ですが、人数的にはそれほど増やさなくても計算上は対応可能だと思いますが、頭数を増やしただけでは地方の弁護士不足の解消に繋がらないという問題もあります。

 環境整備をしないままに弁護士を増やすと、質の偏在が生じる心配を感じます。

引用:余裕があるからするのでは人権活動と呼ぶには値しないのか? – 元検弁護士のつぶやき

送信者 元検弁護士のつぶやき-2013