困惑と遣り切れなさとで現実感を失ってしまうのではないだろうか。ゾンビ状態でふらふらと自白調書に署名をしてしまっても不思議ではない/『検事失格』 (市川寛 著)

著者の顔写真を見ると、高校時代に応援団員だったとは到底思えない。むしろ幼い顔をしている。そんな人物から狭い取調室で「ぶっ殺すぞ、お前!」と罵声を浴びせられたら、恐ろしいというよりは困惑と遣り切れなさとで現実感を失ってしまうのではないだろうか。ゾンビ状態でふらふらと自白調書に署名をしてしまっても不思議ではない。

 本書は、犯罪者の更生や再犯防止を実践しようとの志から検事になった著者が、地検に勤務しその世界に馴染んでいくにつれ、次第に世間の良識や常識から乖離し、検察だけに通用する価値観や発想を身に着けていく過程が丁寧に描かれていく。そのプロセスは一種の成長物語であり、普遍的な懐かしさすら感じさせる。

 だが同時に、著者は違和感を覚え、反感や自己嫌悪も芽生えていく。にもかかわらず、あえてそれらを押し潰すことによって適応を図っていくのである。おそらく上司に言わせれば、新米検事が段々と「練れて」中堅になってきた、ということである。自白調書を検事が勝手に作文したり、恫喝したり、そんなことはせいぜいプロレスの犯則程度のものでしかない、といったセンスに染まっていく。

引用:『検事失格』 (市川寛 著) | 今週の必読 – 週刊文春WEB