「モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)」タグアーカイブ

刑事事件捜査から起訴に至るプロセスを知る者は<元検弁護士のつぶやき>


反省すべきは反省し

 大野病院事件について、警察・検察・マスコミばかりを批判する論調がありますので、それについては一言いいたいところがあります。
 私だけの意見ではありません。
 刑事事件捜査から起訴に至るプロセスを知る者は同様の感想をもつはずです。

 落合弁護士のブログを紹介します。
 http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20080823

 落合弁護士の批判は主として検察捜査に向けられていますが、引用されている河北新報の記事の解説にあるように、

 捜査段階で福島県警は周産期学会の幹部に鑑定を依頼したが、多忙を理由に断られた。この幹部は公判で弁護側証人として出廷し、「診断は慎重で間違いはない」と証言した。もし捜査段階で同様の鑑定があれば立件されなかった可能性もある。医師擁護で結束した医学界だが、無実の証明のためにも捜査への前向きな協力姿勢が必要だったのではないか。

という点は、医療側としても無視すべきではないと思います。

 仮に福島地検の悪意を問題にするのであれば、医療側が述べるべき意見を述べたことが前提になります。

 安全調の議論においても忘れてはならない反省点だと思いますので、敢えて指摘させていただきます。
 この点も実はすでに既出なんですけど、どこに書いたか忘れました。

 鑑定を断った医師個人を非難するつもりはありませんけど、今後の対策のための検討材料としては無視できないということです。
モトケン (2008年8月25日 14:32) | コメント(104) | トラックバック(0) このエントリーを含むはてなブックマーク  (Top)

引用:反省すべきは反省し – 元検弁護士のつぶやき

送信者 元検弁護士のつぶやき-2013

「反省すべきは反省し」では検察の視点を考えて欲しい<元検弁護士のつぶやき>


医療側のみなさまへ(特に最近来られた方へ)

 大野病院事件の判決を受けて、昨日今日と、エントリを二つ書きました。
 「誠実な医療の重要性」と「反省すべきは反省し」です。

 これらのエントリの宛先は、医療側の皆様でした。

 「誠実な医療の重要性」は、医師の皆様、自分たちの医療行為に自信を持ちましょう。裁判所にはきっと通じますよ、という気持ちを込めて書きました。
 「反省すべきは反省し」は、大野病院事件の起訴に至る経緯において、医療側に反省すべき点はないかという問題提起でした。

 いずれも医療側の皆様に自らを振り返って、いわばプラス面とマイナス面を正当に自己評価してもらいたいというエントリでした。

 しかし、返ってくる反応は、全てとは言いませんが、ワンパターンの警察・検察が悪い、マスコミも悪い、という他者批判が目につきます。
 このような他者批判は、ある意味で自己中な視点です。

 最近活発な議論が行われてます「医療不信の実態とは?」で、私は「客観視」というキーワードを強調しました。
 「医療不信の実態とは?」ではまず非医療者側の不信感の客観視を求めたわけですが、上記の「誠実な医療の重要性」と「反省すべきは反省し」では、医療側に客観視を求めたエントリであるとも言えます。

 客観視とは、自分以外の他者の視点で自分を見ることだと言えます。
 「誠実な医療の重要性」では裁判官からの視点を意識してもらいたい、「反省すべきは反省し」では検察の視点を考えて欲しい、と言えばわかりやすいでしょうか。

 しかし、法律の素人の医師には、裁判官の視点も検察官の視点も分からない、というのが本音でしょう。
 だからこそこのブログがあると言えます。
 医療崩壊に関する一連のエントリにおける議論は、まさに司法側から医療側に対して法律家の視点を説明するものであったわけです。
 当時から参加されている医療側の皆さんにとっては、またモトケンさん切れそうだな、というところかも知れませんが、最近このブログに来られた医療側の皆さんには、ぜひ読んでいただきたいなと思います。
 はっきり言って膨大ですから、大変だと思いますけど、読む価値はあると思います。
 読む暇がない方も、訴訟リスクをを考える以上は、法律家のものの考え方というのはどういうものだろうか、という好奇心くらいは最低持っていただきたいと思います。
 それが、相互理解の第一歩だと思いますので。

 わざわざ法律家が開設しているブログに来て、医療側と司法側の相互理解を考えないなんていうのは、もったいないと思いませんか?

 しかし、医療側の皆さんは、自分の文章がどう読まれるかについて、あまり深く考えてない人が多いのかなと感じることがあります(^^;
 要するに、素人相手の説得の技術が下手くそということですが(失礼)
 そうであるならば、他者批判をするよりは、自分たちの正当性を訴えるほうがいいんじゃないかなと思います。
モトケン (2008年8月25日 19:45) | コメント(15) | トラックバック(0) このエントリーを含むはてなブックマーク  (Top)

引用:医療側のみなさまへ(特に最近来られた方へ) – 元検弁護士のつぶやき

<コメント欄の一部>


No.1 デ・ロッシ(勤務医) さん | 2008年8月25日 20:56 | 返信  (Top)

>モトケン先生
先生の心優しいメッセージ、しっかり伝わっております。
数日前から、そのことを書き込もうかと思っていたのですが、なかなかタイミングがつかめず・・(汗)

ほとんどROMですが、どうかこれからもよろしくお願いいたします。
No.2 Med_Law さん | 2008年8月25日 21:22 | 返信  (Top)

モトケン先生から、優しく、諭していただいている気になっています

ふつつか者で、粗忽者ではありますが、引き続き宜しくお願い申し上げます
No.3 法務業の末席 さん | 2008年8月25日 23:29 | 返信  (Top)

今回の大野事件での無罪判決は、被告人の加藤医師の医療に対して真摯に取り組んできた実績、言うなれば加藤医師の「医療に対する誠実さ」を、法廷審理を通して裁判長が感じ取った結果だと思います。

「誠実な医療の重要性」は、医師の皆様、自分たちの医療行為に自信を持ちましょう。裁判所にはきっと通じますよ、という気持ちを込めて書きました。

このモトケンさんのコメントは、裁判官という人間が被告人という人間の行為結果を裁く、すなわち人間が人間を裁くのが刑事裁判の本質である以上、最後は裁判官の人を見抜く目に被告人の人柄がどう写るかで決まるということを言いたいのだと思います。極論すれば刑事裁判において法令解釈だの証拠の評価だのは、被告人の人間性を評価する為の単なるモノサシであり一介の道具に過ぎず、それに拘泥するのは裁判の本質ではない。私は裁判をこのように感じるときがあります。

医療側の皆さんは、自分の文章がどう読まれるかについて、あまり深く考えてない人が多いのかなと感じることがあります

私も医療者の主張に政治的センスが欠けている印象を持ちます。

世間大衆を説得して味方に付けるには、言葉が多少難解であっても、分かり難い表現であっても、主張する内容の理屈が正しければ良いじゃないか、と思っていらっしゃる医師の方々多いように感じるのは残念です。分かりやすく噛み砕いて説明する努力、関心の無い人々にも興味を持って聞いて貰えるように工夫する努力、受け手が反発するような表現を避ける努力、気長に腐らずに何度でも繰り返しにこやかに説明する忍耐の努力、…等々の面で今一つ足りないかなぁ。以前よりこのように感じるシーンが結構ございます。

要するに、素人相手の説得の技術が下手くそということです

医者は身に付けた医療技術の高さで評価が決まる、口下手や口上手は医師の能力には直接関係ない。このようにお考えの医師の方々は結構いらっしゃるのではないでしょうか。

弁護士であるモトケンさんも、社会保険労務士である私も、法律や国家行政制度の高度な知識がその資格の根源です。ですがそうした頭に蓄えた専門知識やノウハウを、法律や行政手続に疎い素人さんに上手に説明出来なければ依頼人から評価して貰えません。説明能力、解説能力というのは我々士業者にとって、法律の条文や専門知識を記憶する能力より遙かに重要な能力です。
(あ~別館では、説明能力に疑問符が付く弁護士の実例も体験できますが…)

私自身は医師の方々を非難する意図はありません。むしろ医師の方々の味方をして、医師が働きやすい医療体制の実現に微力ですがお役に立てて、医療崩壊の心配が解消されれば嬉しいと思うのです。ですが現状、このモトケンブログで見聞する医師の方々の主張の半分は、気持ちは理解するけどあんな言い方をしたら逆効果だなぁ…と感じる部分があります。そこが応援団の一員としてもどかしく、また残念で、敢えて苦言を呈すコメントを致しました。

医師の皆様方、お気を悪くされたかも知れませんが、私の真意をご理解頂ければ幸いです。

引用:医療側のみなさまへ(特に最近来られた方へ) – 元検弁護士のつぶやき

送信者 元検弁護士のつぶやき-2013

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送信者 元検弁護士のつぶやき-2013

「誠実な医療の重要性」では裁判官からの視点を意識してもらいたい<元検弁護士のつぶやき>


医療側のみなさまへ(特に最近来られた方へ)

 大野病院事件の判決を受けて、昨日今日と、エントリを二つ書きました。
 「誠実な医療の重要性」と「反省すべきは反省し」です。

 これらのエントリの宛先は、医療側の皆様でした。

 「誠実な医療の重要性」は、医師の皆様、自分たちの医療行為に自信を持ちましょう。裁判所にはきっと通じますよ、という気持ちを込めて書きました。
 「反省すべきは反省し」は、大野病院事件の起訴に至る経緯において、医療側に反省すべき点はないかという問題提起でした。

 いずれも医療側の皆様に自らを振り返って、いわばプラス面とマイナス面を正当に自己評価してもらいたいというエントリでした。

 しかし、返ってくる反応は、全てとは言いませんが、ワンパターンの警察・検察が悪い、マスコミも悪い、という他者批判が目につきます。
 このような他者批判は、ある意味で自己中な視点です。

 最近活発な議論が行われてます「医療不信の実態とは?」で、私は「客観視」というキーワードを強調しました。
 「医療不信の実態とは?」ではまず非医療者側の不信感の客観視を求めたわけですが、上記の「誠実な医療の重要性」と「反省すべきは反省し」では、医療側に客観視を求めたエントリであるとも言えます。

 客観視とは、自分以外の他者の視点で自分を見ることだと言えます。
 「誠実な医療の重要性」では裁判官からの視点を意識してもらいたい、「反省すべきは反省し」では検察の視点を考えて欲しい、と言えばわかりやすいでしょうか。

 しかし、法律の素人の医師には、裁判官の視点も検察官の視点も分からない、というのが本音でしょう。
 だからこそこのブログがあると言えます。
 医療崩壊に関する一連のエントリにおける議論は、まさに司法側から医療側に対して法律家の視点を説明するものであったわけです。
 当時から参加されている医療側の皆さんにとっては、またモトケンさん切れそうだな、というところかも知れませんが、最近このブログに来られた医療側の皆さんには、ぜひ読んでいただきたいなと思います。
 はっきり言って膨大ですから、大変だと思いますけど、読む価値はあると思います。
 読む暇がない方も、訴訟リスクをを考える以上は、法律家のものの考え方というのはどういうものだろうか、という好奇心くらいは最低持っていただきたいと思います。
 それが、相互理解の第一歩だと思いますので。

 わざわざ法律家が開設しているブログに来て、医療側と司法側の相互理解を考えないなんていうのは、もったいないと思いませんか?

 しかし、医療側の皆さんは、自分の文章がどう読まれるかについて、あまり深く考えてない人が多いのかなと感じることがあります(^^;
 要するに、素人相手の説得の技術が下手くそということですが(失礼)
 そうであるならば、他者批判をするよりは、自分たちの正当性を訴えるほうがいいんじゃないかなと思います。
モトケン (2008年8月25日 19:45) | コメント(15) | トラックバック(0) このエントリーを含むはてなブックマーク  (Top)

引用:医療側のみなさまへ(特に最近来られた方へ) – 元検弁護士のつぶやき

<コメント欄の一部>


No.1 デ・ロッシ(勤務医) さん | 2008年8月25日 20:56 | 返信  (Top)

>モトケン先生
先生の心優しいメッセージ、しっかり伝わっております。
数日前から、そのことを書き込もうかと思っていたのですが、なかなかタイミングがつかめず・・(汗)

ほとんどROMですが、どうかこれからもよろしくお願いいたします。
No.2 Med_Law さん | 2008年8月25日 21:22 | 返信  (Top)

モトケン先生から、優しく、諭していただいている気になっています

ふつつか者で、粗忽者ではありますが、引き続き宜しくお願い申し上げます
No.3 法務業の末席 さん | 2008年8月25日 23:29 | 返信  (Top)

今回の大野事件での無罪判決は、被告人の加藤医師の医療に対して真摯に取り組んできた実績、言うなれば加藤医師の「医療に対する誠実さ」を、法廷審理を通して裁判長が感じ取った結果だと思います。

「誠実な医療の重要性」は、医師の皆様、自分たちの医療行為に自信を持ちましょう。裁判所にはきっと通じますよ、という気持ちを込めて書きました。

このモトケンさんのコメントは、裁判官という人間が被告人という人間の行為結果を裁く、すなわち人間が人間を裁くのが刑事裁判の本質である以上、最後は裁判官の人を見抜く目に被告人の人柄がどう写るかで決まるということを言いたいのだと思います。極論すれば刑事裁判において法令解釈だの証拠の評価だのは、被告人の人間性を評価する為の単なるモノサシであり一介の道具に過ぎず、それに拘泥するのは裁判の本質ではない。私は裁判をこのように感じるときがあります。

医療側の皆さんは、自分の文章がどう読まれるかについて、あまり深く考えてない人が多いのかなと感じることがあります

私も医療者の主張に政治的センスが欠けている印象を持ちます。

世間大衆を説得して味方に付けるには、言葉が多少難解であっても、分かり難い表現であっても、主張する内容の理屈が正しければ良いじゃないか、と思っていらっしゃる医師の方々多いように感じるのは残念です。分かりやすく噛み砕いて説明する努力、関心の無い人々にも興味を持って聞いて貰えるように工夫する努力、受け手が反発するような表現を避ける努力、気長に腐らずに何度でも繰り返しにこやかに説明する忍耐の努力、…等々の面で今一つ足りないかなぁ。以前よりこのように感じるシーンが結構ございます。

要するに、素人相手の説得の技術が下手くそということです

医者は身に付けた医療技術の高さで評価が決まる、口下手や口上手は医師の能力には直接関係ない。このようにお考えの医師の方々は結構いらっしゃるのではないでしょうか。

弁護士であるモトケンさんも、社会保険労務士である私も、法律や国家行政制度の高度な知識がその資格の根源です。ですがそうした頭に蓄えた専門知識やノウハウを、法律や行政手続に疎い素人さんに上手に説明出来なければ依頼人から評価して貰えません。説明能力、解説能力というのは我々士業者にとって、法律の条文や専門知識を記憶する能力より遙かに重要な能力です。
(あ~別館では、説明能力に疑問符が付く弁護士の実例も体験できますが…)

私自身は医師の方々を非難する意図はありません。むしろ医師の方々の味方をして、医師が働きやすい医療体制の実現に微力ですがお役に立てて、医療崩壊の心配が解消されれば嬉しいと思うのです。ですが現状、このモトケンブログで見聞する医師の方々の主張の半分は、気持ちは理解するけどあんな言い方をしたら逆効果だなぁ…と感じる部分があります。そこが応援団の一員としてもどかしく、また残念で、敢えて苦言を呈すコメントを致しました。

医師の皆様方、お気を悪くされたかも知れませんが、私の真意をご理解頂ければ幸いです。

引用:医療側のみなさまへ(特に最近来られた方へ) – 元検弁護士のつぶやき

送信者 元検弁護士のつぶやき-2013

送信者 元検弁護士のつぶやき-2013

送信者 元検弁護士のつぶやき-2013

送信者 元検弁護士のつぶやき-2013

送信者 元検弁護士のつぶやき-2013

医療側に客観視を求めたエントリであるとも言えます<元検弁護士のつぶやき>


医療側のみなさまへ(特に最近来られた方へ)

 大野病院事件の判決を受けて、昨日今日と、エントリを二つ書きました。
 「誠実な医療の重要性」と「反省すべきは反省し」です。

 これらのエントリの宛先は、医療側の皆様でした。

 「誠実な医療の重要性」は、医師の皆様、自分たちの医療行為に自信を持ちましょう。裁判所にはきっと通じますよ、という気持ちを込めて書きました。
 「反省すべきは反省し」は、大野病院事件の起訴に至る経緯において、医療側に反省すべき点はないかという問題提起でした。

 いずれも医療側の皆様に自らを振り返って、いわばプラス面とマイナス面を正当に自己評価してもらいたいというエントリでした。

 しかし、返ってくる反応は、全てとは言いませんが、ワンパターンの警察・検察が悪い、マスコミも悪い、という他者批判が目につきます。
 このような他者批判は、ある意味で自己中な視点です。

 最近活発な議論が行われてます「医療不信の実態とは?」で、私は「客観視」というキーワードを強調しました。
 「医療不信の実態とは?」ではまず非医療者側の不信感の客観視を求めたわけですが、上記の「誠実な医療の重要性」と「反省すべきは反省し」では、医療側に客観視を求めたエントリであるとも言えます。

 客観視とは、自分以外の他者の視点で自分を見ることだと言えます。
 「誠実な医療の重要性」では裁判官からの視点を意識してもらいたい、「反省すべきは反省し」では検察の視点を考えて欲しい、と言えばわかりやすいでしょうか。

 しかし、法律の素人の医師には、裁判官の視点も検察官の視点も分からない、というのが本音でしょう。
 だからこそこのブログがあると言えます。
 医療崩壊に関する一連のエントリにおける議論は、まさに司法側から医療側に対して法律家の視点を説明するものであったわけです。
 当時から参加されている医療側の皆さんにとっては、またモトケンさん切れそうだな、というところかも知れませんが、最近このブログに来られた医療側の皆さんには、ぜひ読んでいただきたいなと思います。
 はっきり言って膨大ですから、大変だと思いますけど、読む価値はあると思います。
 読む暇がない方も、訴訟リスクをを考える以上は、法律家のものの考え方というのはどういうものだろうか、という好奇心くらいは最低持っていただきたいと思います。
 それが、相互理解の第一歩だと思いますので。

 わざわざ法律家が開設しているブログに来て、医療側と司法側の相互理解を考えないなんていうのは、もったいないと思いませんか?

 しかし、医療側の皆さんは、自分の文章がどう読まれるかについて、あまり深く考えてない人が多いのかなと感じることがあります(^^;
 要するに、素人相手の説得の技術が下手くそということですが(失礼)
 そうであるならば、他者批判をするよりは、自分たちの正当性を訴えるほうがいいんじゃないかなと思います。
モトケン (2008年8月25日 19:45) | コメント(15) | トラックバック(0) このエントリーを含むはてなブックマーク  (Top)

引用:医療側のみなさまへ(特に最近来られた方へ) – 元検弁護士のつぶやき

<コメント欄の一部>


No.1 デ・ロッシ(勤務医) さん | 2008年8月25日 20:56 | 返信  (Top)

>モトケン先生
先生の心優しいメッセージ、しっかり伝わっております。
数日前から、そのことを書き込もうかと思っていたのですが、なかなかタイミングがつかめず・・(汗)

ほとんどROMですが、どうかこれからもよろしくお願いいたします。
No.2 Med_Law さん | 2008年8月25日 21:22 | 返信  (Top)

モトケン先生から、優しく、諭していただいている気になっています

ふつつか者で、粗忽者ではありますが、引き続き宜しくお願い申し上げます
No.3 法務業の末席 さん | 2008年8月25日 23:29 | 返信  (Top)

今回の大野事件での無罪判決は、被告人の加藤医師の医療に対して真摯に取り組んできた実績、言うなれば加藤医師の「医療に対する誠実さ」を、法廷審理を通して裁判長が感じ取った結果だと思います。

「誠実な医療の重要性」は、医師の皆様、自分たちの医療行為に自信を持ちましょう。裁判所にはきっと通じますよ、という気持ちを込めて書きました。

このモトケンさんのコメントは、裁判官という人間が被告人という人間の行為結果を裁く、すなわち人間が人間を裁くのが刑事裁判の本質である以上、最後は裁判官の人を見抜く目に被告人の人柄がどう写るかで決まるということを言いたいのだと思います。極論すれば刑事裁判において法令解釈だの証拠の評価だのは、被告人の人間性を評価する為の単なるモノサシであり一介の道具に過ぎず、それに拘泥するのは裁判の本質ではない。私は裁判をこのように感じるときがあります。

医療側の皆さんは、自分の文章がどう読まれるかについて、あまり深く考えてない人が多いのかなと感じることがあります

私も医療者の主張に政治的センスが欠けている印象を持ちます。

世間大衆を説得して味方に付けるには、言葉が多少難解であっても、分かり難い表現であっても、主張する内容の理屈が正しければ良いじゃないか、と思っていらっしゃる医師の方々多いように感じるのは残念です。分かりやすく噛み砕いて説明する努力、関心の無い人々にも興味を持って聞いて貰えるように工夫する努力、受け手が反発するような表現を避ける努力、気長に腐らずに何度でも繰り返しにこやかに説明する忍耐の努力、…等々の面で今一つ足りないかなぁ。以前よりこのように感じるシーンが結構ございます。

要するに、素人相手の説得の技術が下手くそということです

医者は身に付けた医療技術の高さで評価が決まる、口下手や口上手は医師の能力には直接関係ない。このようにお考えの医師の方々は結構いらっしゃるのではないでしょうか。

弁護士であるモトケンさんも、社会保険労務士である私も、法律や国家行政制度の高度な知識がその資格の根源です。ですがそうした頭に蓄えた専門知識やノウハウを、法律や行政手続に疎い素人さんに上手に説明出来なければ依頼人から評価して貰えません。説明能力、解説能力というのは我々士業者にとって、法律の条文や専門知識を記憶する能力より遙かに重要な能力です。
(あ~別館では、説明能力に疑問符が付く弁護士の実例も体験できますが…)

私自身は医師の方々を非難する意図はありません。むしろ医師の方々の味方をして、医師が働きやすい医療体制の実現に微力ですがお役に立てて、医療崩壊の心配が解消されれば嬉しいと思うのです。ですが現状、このモトケンブログで見聞する医師の方々の主張の半分は、気持ちは理解するけどあんな言い方をしたら逆効果だなぁ…と感じる部分があります。そこが応援団の一員としてもどかしく、また残念で、敢えて苦言を呈すコメントを致しました。

医師の皆様方、お気を悪くされたかも知れませんが、私の真意をご理解頂ければ幸いです。

引用:医療側のみなさまへ(特に最近来られた方へ) – 元検弁護士のつぶやき

送信者 元検弁護士のつぶやき-2013

送信者 元検弁護士のつぶやき-2013

送信者 元検弁護士のつぶやき-2013

送信者 元検弁護士のつぶやき-2013

送信者 元検弁護士のつぶやき-2013

警察官が信頼されてないのかも知れないな、という危惧です。<元検弁護士のつぶやき>

振り込め詐欺撲滅月間のようですが

「振り込め」撲滅月間なのに…警官の目前で被害16件(2008年10月17日14時53分 読売新聞)

 「振り込め詐欺撲滅月間」の今月、東京都内のATM(現金自動預け払い機)に6000人もの警察官を配置している警視庁が、14日までの被害状況を調べたところ、計94件の被害のうち16件は、警戒中の警察官の目の前で被害者が現金を振り込んでいたことがわかった。

 16件の被害総額は1700万円に上り、最高額は298万円だった。被害者の大半は高齢者で、事態を重視した同庁は、警戒中の警察官に、ATMを訪れるすべての高齢者に声をかけるよう指示した。

 声をかけられる多くの人にとってはうっとおしいかも知れませんが、1件でも被害が減れば警察官としても声のかけがいがあると思います。

 しかし

警察官に注意されながら、「家庭のことだから関係ない」と振り切って130万円を振り込んだ59歳の女性や、行員が声をかけたものの、「大丈夫です」と答えて50万円を振り込んだ73歳の女性もいた。

 こういう人たちもいます。

 まあ、だまされちゃっているわけでして、信じ切っている人には何を言っても無駄ということなのかも知れませんが、後で後悔倍増しているでしょうね。

 詐欺事件を捜査した経験で言いますと、被害者の人というのはほんとに簡単に信じちゃってます。
 後から思い出すと、不自然な点やおかしな点がごろごろあるんですが、被害に遭っている当時はそんなことにまったく気がつきません。
 被害者から被害当時のことを聞いていくと、「えっ、なんでそこんところを信じちゃうの?」という話がいっぱいでてきます。
 取調室でそのことを被害者に指摘すると、「ほんとにそうですよね。今から思えばおかしいことはよくわかります。でもそのときは信じたんです。」という話がよく返ってきます。

 取り調べる側(つまり検事当時の私)は、もともといろんな証拠を見てますし、詐欺事件であることが分かった上で被害者の話を聞いてますから、おかしなところがはっきり見えるのは当たり前です。
 ですから、騙された被害者を非難するつもりは毛頭ありません。
 騙されたほうが悪いんだ、などと言ったら起訴できる詐欺事件などなくなってしまいます。
 騙したほうが悪いに決まってます。

 しかし、もうちょっと気をつければ被害にあわなかったのになあ、という事件はたくさんありました。
 騙されやすいタイプに二つあるように思います。
 一つは、ほんとに人のいいタイプでこれまで他人に騙されたことなど一度もない人です。
 疑うということを知りませんから、簡単に騙されます。
 でも、誰かが言ってあげれば騙されたことに気がつきやすい点もあります。
 しかし、二度三度と騙される場合もあります。
 原野商法の被害にあった人が、被害金を取り戻してやると騙されてさらに被害を拡大するような場合です。

 もう一つのタイプは、自分は騙されたりしないと思っているタイプです。
 何度か実際に騙された経験のある人はそれなりに人を見る目ができてきますが(検事なんかもその類^^;)、騙されたことがないのに何故か自分は騙されないと思っている人がいます。
 そう言う人は、横からあなた騙されてませんかと言われても、聞く耳を持たない場合が多いかも知れません。

 もう一つ気になるのは、警察官が信頼されてないのかも知れないな、という危惧です。
 声をかけた個々の警察官が信頼されていないという意味ではなく、全体としての警察官というものが信頼されていないという意味です。
 正確には、警察官を信頼していない人がいると言うべきかも知れませんが、警察官側としては、さらに市民の信頼を得るべく努力をお願いしたいと思います。

 このブログを読んでおられる方のほとんどは、振り込め詐欺のことをご存知だと思いますが、高齢のご家族の中には知らない人もまだまだ多いと思います。
 一度話題にされてはいかがでしょうか。
モトケン (2008年10月17日 18:10) | コメント(10) このエントリーを含むはてなブックマーク  (Top)

引用:振り込め詐欺撲滅月間のようですが – 元検弁護士のつぶやき

マスコミは他人の人生を食い物にすることによって利益を得ていると<元検弁護士のつぶやき>

実名報道問題

判決記事 裁判官が“注文”/実名報道訴訟 高裁那覇支部が文書(沖縄タイムス ウェブ魚拓)

 「実名報道→不起訴」で、福田 出さんが紹介してくださったニュースです。

 判決理由では報道側に「逮捕された事実を報道しておきながら、起訴猶予処分とされた事実などについて、もはやニュースバリューがないとして、これを報道しない姿勢にも、報道機関の在り方として考えるべき点があるように思われる」などとしている。

 刑事裁判の起訴状には、「公訴を提起する。」と書かれています。
 公訴つまり公の訴えです。
 公益性の存在が必要なわけです。
 
 起訴に対して不起訴は、起訴できない、または起訴すべきでない、または起訴するまでもない、という判断の結果として不起訴になるわけです。
 代表的な不起訴理由として、嫌疑不十分があります。言い換えれば証拠不十分です。
 灰色ということになりますが、刑事司法では灰色は無罪です。
 灰色の中には、限りなく白に近い灰色から限りなく黒に近い灰色までありますが、それは部外者にはわかりません。
 憶測で判断できないということです。
 いずれにしても、起訴すべきでない事案であり、被疑者は反公益性による非難を受けるべきではないのが原則であるはずです。
 公人たる立場で、疑われること自体が批判の対象になるような人もいると思いますが、多くの一般市民は捜査が終われば元の生活に戻れなければいけないはずです。

 起訴猶予というのは、犯罪行為の存在は認められるが起訴するまでもないという場合であり、最も典型的には軽微な交通事故で被害者との間に示談が成立したような場合ですが、本件のような場合も典型事例の一つです。
 要するに、当事者同士で紛争が解決されれば、公のものとして起訴するまでもない事件という判断に基づく不起訴であり、他人(当然マスコミも含む)がとやかく言うべきでないと認められたものです。
 つまり、起訴猶予も公の非難の対象にするべきでない事案ということになって、被疑者は再び日常に戻ることができるべきであり、刑事政策上もそのことが期待されます。

 しかし、逮捕時点での実名報道は、それだけで社会復帰の可能性を吹き飛ばす破壊力があります。
 刑事司法上では失う必要がない被疑者(その家族も含む)の人生が、マスコミの報道によってぶち壊されることになります。

 本当に実名を報道しなければならないのか?
 今報道しなければならないのか?

 マスコミの皆さんは真剣に考えていただきたいと思います。
 そうでないと、マスコミは他人の人生を食い物にすることによって利益を得ていると言われるべきことになります。

 
 ところで

 河邉裁判長は各報道機関に「御連絡」と題した文書を配り、「『教諭が過去に…の容疑で逮捕された』という事実だけでなく、『その後、起訴猶予処分(または不起訴処分)になった』という事実を盛り込んでいただけないものか、ご検討下さい」などと、異例の要請をした。

 これはまさしく異例であり、裁判所の中でもこのような裁判官の行為が許容されるかについて異論があるかも知れませんが、報道被害に対する深い憂慮の表れとして支持します。
 判決理由中で書くわけにはいかなかったのかという気もしますが、異例の方法をとることによってインパクトを狙ったのかも知れません。
 ひょっとして河邉裁判長は定年間近なのかしら(←これは憶測)
モトケン (2008年10月29日 17:32) | コメント(9) このエントリーを含むはてなブックマーク  (Top) 引用:実名報道問題 – 元検弁護士のつぶやき

では、なんのために一般市民やマスコミの理解が必要なのか<元検弁護士のつぶやき>

モトケンが言いたかったこと

(冒頭追記)
 このエントリは撤回します。

 これまでの私の気持ちとしてはこのエントリで述べたとおりですが、今後の方針は変更します。
 「医療問題に関する最終決定」をお読みください。

(冒頭追記終わり)

 前言に反するようで恥ずかしいですが

 ここは医師だけが集まっているm3のようなところではありません。
 医師が運営している医師ブログでもありません。
 弁護士が種々雑多のテーマの中で、医療崩壊問題に首を突っ込んでしまったブログです。
 何が言いたいかというと、いろんな人が、つまり医療問題にそれほど関心はないかも知れないがついでに見る人も含めていろんな人が見るブログです。

 そういう場所で医療問題を語るときに私が望んだことの一つに、医療自体には詳しくない一般の人に医療崩壊問題に関する理解を深めてほしいということがありました。
 言い方を変えれば、医療側の皆さんには、一般の市民の理解が得られるような発言を期待したのです。

 なぜ、一般市民の理解が必要かと言えば、草の根的にでも理解が広まっていけば、マスコミの論調にも影響することが期待されたからです。

 では、なんのために一般市民やマスコミの理解が必要なのか?

 いろいろありますが、法律家ブログ的視点で言えば、将来的に必ず提起されるであろう(医療側から見ての)民事不当訴訟に備えるためです。
 典型的な例を予測すれば、救急搬送の受け入れ先がなかなか見つからず、なんとかしなければと思って受け入れた病院が最善を尽くしたにもかかわらず不幸な結果に終わった場合に起こされた民事訴訟などが考えられます。
 医療に100%はありません。
 となれば、99%の手を尽くしたとしても1%の不手際を理由として訴訟を起こされる可能性はあるのです。
 そのとき被告となった医師や病院はどうするのか?
 私は、大野病院事件の民事訴訟版と考えるべきだと思います。

 現職裁判官のcuriousjudge さんは

 裁判官は、その判断が及ぼす社会的影響に対して、無自覚であってはならないでしょう。

と言われています。

 つまり、裁判官は世論の空気を読むのです。
 となれば、上記のような訴訟が起こされた場合は、医師界をあげて被告を支援しなければなりません。
 そして、マスコミや市民の支持を勝ち取らなければなりません。
 
 そのためには、医師が常に(金のためでも保身のためでもなく)患者のための医療行為を追求しているという信頼を得なければなりません。

 その上で、医療の不確実性と限界を主張しないと説得力がないと思われるのです。

 私の、「誠実な医療の重要性」は、以上のような視点から、医療側にエールを送ったつもりのエントリでしたが趣旨が理解されたとは思えないコメント欄でした。

 「東京の妊婦死亡事故」でも、医療側からの問題点の指摘と改善に対する考え方でも出てくるかなと期待したんですが、責任回避論や用語問題にかこつけた責任否定論が目につくことになりました。

 そういう主張をしている人は、それが医療を守ることになると思っているのかも知れません。
 しかし、私の認識は逆です。
 医師は自分のことしか考えていない。患者のことなんか二の次だ。
 と感じる人のほうが多いのではないかと危惧します。
 「どうして医者は聞く耳をもたない(ように見える)のか」で裁判官ブログを紹介した人がいました。
 裁判官を非難するコメント群を紹介することによって自説の根拠を示そうとしたようです。
 しかし、あのコメント欄を読んだ非医療者がどういう印象を受けるか、については全く無神経というほかありません。

 モトケンはミクロを論じているのかマクロを論じているのかわからないという指摘がありました。
 あえて言えば超マクロです。
 私は、個々の医療制度を問題にしていたのではないのです。
 医療製度を語る姿勢や考え方を問題にしていたのです。
 もちろん、それぞれの医師の姿勢や考え方を問題にしたのです。
 (私にではなく)一般市民に対するコミュニケーションを考えてほしかったのです。

 医療ブログではなくて、このブログでこそできることとして。

 大野病院事件判決は、医療側に大きな追い風になる判決でした。
 その追い風を最大限に生かすことが大事だと思っていろいろ書いてきました。
 しかし、私の思いは裏切られ続けました。
 一部理解してくださった医師の皆さんはおられますが、そういう医師の皆さんはたぶん私が何も言わなくても同じく理解してくださっただろうと思います。
 そうでない皆さんは、私が何を言っても無駄のように思われました。
 医師の皆さんの中にもそう思った人がいます。

 「どうして医者は聞く耳をもたない(ように見える)のか」は、ある医師のリクエストによって立てたエントリです。

 このエントリで私は、医師に対して一般市民を含めた相互理解を目指すべきだと言っているのですが
 このエントリに共感してくださる医師は何人おられますか?
 (追記 もうこれに答えていただかなくてけっこうです。)

 それによって、このエントリは相互理解に挫折したエントリ群の墓標にも再出発のきっかけにもなります。

 コメント欄の様子を見て考えます。

追記
 態度を決めました。
 もうこのエントリは無視してもらっていいです。
モトケン (2008年11月 7日 15:43) | コメント(29) | トラックバック(0) このエントリーを含むはてなブックマーク  (Top) 引用:モトケンが言いたかったこと – 元検弁護士のつぶやき

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Twitter / motoken_tw: 公開された言論空間において、「お前は俺を批判するんじゃない。 …:

公開された言論空間において、「お前は俺を批判するんじゃない。」という言論ほど恥ずかしくて無意味な言論はない。
— モトケンさん (@motoken_tw) 2013年1月30日

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