弁護士業界では、車内広告やCMを出すにはまだまだ抵抗がある。ネット広告で取れる客は、「多重債務、離婚相談、交通事故の3つだけ」(同)。口コミやリピーター以外の客をつかむ場といえば、弁護士が主催する一般人相手の「法律相談」だが、今は客足が激減している。
「弁護士会のすぐ近くで、法テラス(日本司法支援センター)が無料で法律相談をやっている。そりゃ、タダのほうに流れますよね」(若手)
法テラスは、国が運営する相談窓口。一般人には有り難いが、相談相手である弁護士の報酬は7万~10万円と一律に低く抑えられている。
「でも、仕方なく仕事を貰っていますよ。法務省の管轄である法テラスの“犬”と化してます」(同)
貧すれば何とやら、在野精神どころではない現状をどう打開する?(西川修一=文 PANA=写真)
※すべて雑誌掲載当時
引用:“バブル収入”今は昔の弁護士業界 最難関資格の名が泣いている (4/4ページ) – SankeiBiz(サンケイビズ)
5~6年前に大量発生した消費者金融の過払い金返還訴訟。その“バブル収入”も今は昔となった弁護士業界では、特に都市部に拠点を置く面々の窮乏ぶりが顕在化している。
仕事が増えぬ一方で、司法改革で弁護士が急増したせいとされるが、大手事務所でも給与を遅配したり、賃料の支払いに難渋しているとも囁かれ、個々の弁護士も、事務所に居候する“イソ弁”どころか、籍だけ置く“ノキ弁(軒先)”、寄り合いでアパートを借りる“アパ弁”、ケータイ1つで徘徊するケータイ弁等々、最難関資格の名が泣くような呼び名が拡散している。
引用:“バブル収入”今は昔の弁護士業界 最難関資格の名が泣いている (1/4ページ) – SankeiBiz(サンケイビズ)
取調べ中の弁護批判に国賠請求
取り調べ中の副検事が弁護士批判、違法の判決 横浜地裁(asahi.com 2008年10月24日22時26分)
判決によると、元課長は接見した妹尾弁護士らに「話していない内容が含まれた供述調書に署名した」と説明。この時、そういう調書に署名しないよう助言されたのを受けて元課長はその後、自分の考えと違う調書への署名を拒否した。これに対し、副検事は「弁護過誤だ」「弁護士を信じても最後には弁護士は責任を取ってくれない」などと発言した。
似たようなことを言う検察官(検事、副検事を問わず)はそれほど珍しくないのではないかな、と想像しています。
警察官はもっと直截な物言いをするかも知れません。
しかし、損害賠償請求をする弁護士は多くないと思います。
これは皮肉ではありません。
よくやった、という賞賛です。
認容額は10万円ですよね。
民事訴訟については、いわば泣き寝入りをしている弁護士は多いと思います。
当該刑事事件の法廷では思いっきり検察官を非難しているかも分かりませんが。
そういうなかで、妹尾弁護士らが民事提訴しまだ一審とはいえ勝訴したことは大きな意義があったと思います。
自分の言っていないことが書いてある調書に署名してはいけない。
これは、私が弁護士になってから、被疑者との初回接見のときに必ず言う言葉です。
たぶん、私や妹尾弁護士らだけでなくほとんどの弁護士が同じことを言っていると思います。
要するに、刑事弁護のイロハのイです。
それに対して「弁護過誤だ。」は恐れ入りました(^^)
この副検事は、普通に被疑者が言ってないことを調書に書いているんでしょうか?
私も綺麗事を言うつもりはありませんが、検事当時に、少なくとも、被疑者から「検事さん、私そんなこと言ってませんよ。」と言われて、「お前の弁護士は弁護過誤だ。」と言った覚えはありません。
但し、語弊を恐れずに綺麗事を言わないついでに言いますと、検事当時に、「弁護士は責任を取ってくれない。」というようなことは言ったかも知れません。(被疑者が真実を供述していないと思われたときのことだと思いますが。)
本当の意味での弁護過誤がない限り、弁護士が責任を負わないというのは事実だからです。
少なくとも、「話した覚えのない調書に署名するな。」と言ったことによる責任は生じません。
ですから、弁護士としての私としても、警察官や検察官が私のクライアントである被疑者に対して、「弁護士を信じても最後には弁護士は責任を取ってくれない」と言ったとしても、たいして怒る気にはなりません。
クライアントが接見の際に、「検事からこんなこと言われました。」と言ったとしても、私としては「それはそのとおりだよ。」と答えます。
「判決を受けるのはあなたであって私じゃない。」ということも言います。
クライアントも納得します。
その上で弁護方針を相談します。
あとは、その被疑者が私を信頼するか、検事を信頼するかの勝負だと思っています。
モトケン (2008年10月24日 23:58) | コメント(1) このエントリーを含むはてなブックマーク (Top) 引用:取調べ中の弁護批判に国賠請求 – 元検弁護士のつぶやき
コメントが1件のみというのも気になりますが、このブログ(元検弁護士のつぶやき)において過去に何度か見かけたことのある現象というか反応ではあります。
検察官が弁護活動を妨害?
増田尚先生のろーやーずくらぶの記事からです。
県弁護士会 「検察官が活動妨害」 地検に調査を申し入れ(大分合同新聞のHPから)
私なら、起訴後に被告人と弁護人との関係に介入するようなことは絶対しませんし、そのような誤解を受けかねない行動は厳に慎むべきであると考えます。
県弁護士会によると
その後、検察官は裁判所で男性に、「裁判所はあなたと弁護士が一緒に裁判を止めたと考え、良く思っていない。わたしに手紙を出せば、裁判所に言ってあげるから出してください」と話し、男性は「手紙で書くことはできないが会ってなら話す」との手紙を検察官に送った―としている。
とのことですが、にわかに信じがたい話ではあります。
この検察官は、被告人から手紙を受け取って、いったいどういう手続で裁判所に何を「言ってあげる」つもりだったのでしょう。
ほんとにこんなこと言ったのかな、というのが正直な感想ですが、言ったとすると、何を考えていたのかな、という感じです。
弁護士会の言い方も
県弁護士会は調査結果を公表していないが、「事実とすれば検察官の行為は弁護活動に重大な支障を生じさせる」として、九月三十日に大分地検に申し入れをした。
ということであり、歯切れが悪いですね。
大分地検としては
「具体的な内容は言えないが、前提となる事実が違っている。どう対応するか検討する」としている。
とのことですが、どう違っているにしろ、検察官が被告人と接触したのが事実であれば、不適切な行為であることは間違いないように思います。
最終的には
男性は大分地裁で有罪判決を受けたが、弁護士は事実認定に不服があるとして福岡高裁に控訴。しかし、男性は九月三十日に控訴を取り下げ、刑が確定した。
ということですので、なんとなくいろんな事情が想像されます。
私も歯切れが悪くてすいません。
モトケン (2005年11月 1日 21:37) | コメント(5) | トラックバック(3) このエントリーを含むはてなブックマーク (Top)
引用:検察官が弁護活動を妨害? – 元検弁護士のつぶやき
これでいいのか刑事弁護
最近よく覗かせていただいている町村先生のブログ(Matimulog)に面白いコメントがありました。
被告人が弁護人の質問に答えて、検察側主張をことごとく否定し、検察側証人を次々と口を極めて罵っても、長髪の検事はそ知らぬ顔で異議を全く出さず、立ち上がった反対尋問でもたった一言。 「あなたねぇ、この期に及んでそんな弁解を言って人間として恥ずかしくないですか?この際、真実を明らかにして被害者に謝罪しませんか?」 弁護人は「異議!検察官の意見の押し付けです!被告人はやってないと言っているんですから……」と怒鳴りだしたのを裁判官がさえぎりました。そして「では、私から聞きましょう。被告人、あなたはこの法廷で本当のことを話していますか?」 1か月後の判決は懲役6年の実刑でした。
そんな刑事裁判を傍聴しました。
笑っちゃいました。
なかなか茶目っ気のある裁判官だと思います(^^)
この程度に茶目っ気のある裁判官は珍しくないです。
で、私が問題にしたいのは、裁判官の茶目っ気ではなくて、ピンぼけの弁護人です。
検事当時に私の向かい側に座っていた弁護士さんにはいろいろなタイプの人がおられましたが、中には被告人が可哀相だな、と思うような人がいたのも事実です。
その典型的パターンが、ともかく被告人に有利なことを被告人にしゃべらせればいいと思っているタイプの弁護士です。
その信用性とか説得力とかはおかまいなし。
言い訳であろうがなんであろうが、ともかく文字にしたときに被告人に有利な事情と読めれば足りると思っているかのようでした。
モトケン (2005年11月 5日 01:37) このエントリーを含むはてなブックマーク (Top)
引用:これでいいのか刑事弁護 – 元検弁護士のつぶやき
取調べの可視化
取調べの可視化の議論が活発化しているように感じられます。
取調べの可視化というのは、具体的には、取調べ状況を録音や録画などの方法により客観的に記録し、それを弁護士や裁判官に開示することだと理解しています。
議論の活発化の背景には裁判員制度があると考えられます。
裁判員制度の裁判においては、証拠をできるだけシンプルにすることが要請されており、自白調書の任意性や信用性という問題をできれば裁判員に判断させたくない(はっきり言って裁判員には荷が重い)からだと思います。
しかし、取調べの全てを録画してそれを開示することには到底賛成できません。
その最大の理由は、被疑者及び第三者のプライバシー侵害の危険が大きすぎるからです。
取調べにおいては、被疑者の全人生、従って被疑者の人生に関わった全ての人の言動が話題に上り得るのです。
では現状のままでいいかと言いますと、私も、法廷で自白調書の任意性について不毛な議論が延々と続けられる状況はなんとかしなければならないと思いますし、この問題がクリアできない限り裁判員制度も機能不全に陥るだろうと予測しています。
そこで私案ですが、現在、取調べにおいて弁護人の立会いは認められていませんが、調書の作成時においてだけ弁護人の立会いを認め、弁護人が連署した調書の任意性は原則として争うことができなくなることにしてしまうのです。
例によって思いつきの案ですが、いかがでしょうか。
取調べの可視化はそれ自体が重要なのではなく、自白調書の任意性の確保の問題だと思うのです。
この問題を考えるにあたって確認しておきたいことが一つあります。
取調べの可視化が問題になるのは、
無実の被疑者に対して無理矢理自白をさせる捜査官が存在するという前提があるのですが、
真犯人の被疑者に対して否認を勧める弁護士も存在するということも考慮に入れるべきでしょう。
モトケン (2005年11月14日 12:37) | コメント(24) このエントリーを含むはてなブックマーク (Top)
引用:取調べの可視化 – 元検弁護士のつぶやき
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