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弁護人は、被告人の利益を最優先して行動しなければなりません<元検弁護士の つぶやき>



懲戒理由の存否と懲戒請求の違法性の存否

 言うまでもなく、橋下答弁書の問題です。
 こんなことは原告弁護団に任せておけばいいのですが、乗りかかった船ですので主として懲戒理由の観点からコメントしておきます。

 最初に確認すべきは、「懲戒理由があるかないか」という問題と「懲戒請求者の請求行為に違法性があるかないか」という問題は、関連はしますが完全に別問題であるということです。
 懲戒請求書に書いた懲戒理由が明らかに懲戒理由にならないものであるとしても、法律の素人である一般市民がそれなりの理由で懲戒理由があると思ったのであれば、懲戒請求には違法性がない、つまり懲戒請求者に対する損害賠償請求は認められないということです。答弁書はこの論理を使っていると思われます。
 ここで問題にするのは、「それなりの理由」のほうではなく、橋下答弁書の指摘する事情が懲戒理由になるかどうかです。

 私は、原告団全員の名前や光市弁護団へ参加した経緯を知りませんので、ある程度の情報がある今枝弁護士を念頭において考えます。

 答弁書から今枝弁護士について問題になる点を答弁書の8ページ~9ページから要約してピックアップしますと

  1 差戻審では、殺意の否認などの主張は許されない。
  2 被告人の主張の変更は許されない。
  3 世間に対する説明責任を果たしていない。 

ということになります。(他にもありそうですが、論外なので割愛)
 上記の1は、法廷における弁護活動についてのものですが、ここで主張と立証は分けて考える必要があります。
 弁護人が事実認定上の主張をすることは、判決確定後においても再審請求手続ですることが可能ですから、訴訟の何時の時点においても主張すること自体を制限される理由がなく、刑事弁護制度としては主張すること自体は保障されなければいけません。
 主張自体を制限することは刑事弁護制度の否定につながります。
 そして、いかなる事実を主張するかは、最も詳細に証拠の全体を把握している弁護人の判断が最優先されるべきであり、また弁護人の主張は被告人の主張に拘束されますから(これも刑事弁護の大原則)、弁護人が被告人の供述や主張に沿った内容の主張をすることは、その内容如何にかかわらず何の問題もなく、被告人の供述に沿う主張をしなければそのことこそが問題にされるべきものです。
 したがって、弁護人の主張が被告人の供述に沿うものである限り、主張したこと自体を理由にしたり主張の内容を根拠として懲戒理由ありとすることは、その主張の内容がいかに荒唐無稽であったとしても、できないことになります。
 本件の弁護団の主張とその内容を問題にして弁護士会が弁護人に懲戒処分を下せば、刑事弁護全体に対する強力な萎縮効果をもたらし、刑事弁護制度そのものが崩壊します。
 
 次に立証、つまり鑑定人の尋問をしたり被告人質問をしたことの問題ですが、これは簡単です。
 裁判所が許可したのだから何の問題もありません。
 裁判所が許可した訴訟行為を行ったことを理由として懲戒処分されたのではたまりません。
 弁護団が裁判所が許可した範囲で立証活動をしている限り、懲戒理由にはなり得ません。

 2の「被告人の主張の変更は許されない。」に至っては「はぁ????????????(以下、いくつでも?がつけられる)」な主張(?)です。
 あまりにばかばかしくて反論する理由すら思い浮かばない主張です。
 被告人が供述を変遷させた場合に、被告人の供述の信用性に問題が生じますが、弁護人としては、被告人が供述を変遷させた以上、現時点における供述に基づいて弁護をするのは当たり前です。
 そして、被告人はいったん認めた以上、後で否認することは許さない、というのであれば、あなたほんとに司法研修所を卒業したのですか、ほんとに弁護士ですか、と言われても仕方がないほどの刑事事件に対する無知・無理解を示す主張です。
 なお、橋下答弁書は、供述変更の可否の問題と変更した供述に基づく証拠調べの許否の問題を完全に混同しているように思われます。
 主張変更を前提とする証拠調べが認められないことがあるという判例によって、主張の変更自体が許されない、と主張しているようです。
 平ったくいいますと、裁判所としては、主張を変更するのは被告人の勝手ですが、証拠調べの必要性は裁判所で判断します、ということです。主張の変更を許さないと言っているわけではありません。

 3の世間に対する説明責任の問題ですが、これも話になりません。
 弁護人は、被告人の利益を最優先して行動しなければなりません。
 橋下弁護士は主として供述変遷の理由についての説明を求めているようですが、差戻審の途中であり、供述の変遷を大きな争点として強力な対立当事者である検察官を相手にして戦っている弁護人に対して、立証が終了してもいないのにマスコミに対して変遷の理由を説明しろということがいかに無茶な注文であるかは、供述の変遷が争点になった刑事事件を一件でもやったことのある弁護士にとってはあまりにも明らかなことです。

 要するに、懲戒理由の存否という問題に関する限り、ないことは明らかです。
 もちろん、私の見解は、弁護人というものは被告人の利益を最優先して考えるべきであるという伝統的な刑事弁護制度の理解を前提にしています。
 被告人の利益を損なう可能性があるとしても世間の理解を優先すべきである、という考えに立てば別の結論になります。
 しかし、日弁連は絶対にそのような考え方を採用しません。
 最高裁の考え方も同様だと思います。
 私が、断言する根拠はこの確信に基づきます。
 なぜ確信できるかというと、何度も言っているように、被告人の利益を最優先して考えるというのが、現憲法下における司法制度において弁護人に期待されそして負わされている最も基本的かつ動かしがたい大原則だからです。
 この大原則から、上記にピックアップした事情は懲戒理由にならないことが論理的に誘導されます。

 そして、橋下弁護士の答弁書には、この大原則を揺るがすに足る説得力がありません。
 この大原則は、法律で変更でもしない限り、たとえ100万通の懲戒請求書が提出されても揺るがすべきではないと思いますし、揺るがないと思います。

 実は、橋下弁護士は、答弁書において自分が指摘した弁護団の弁護活動や説明義務不履行が懲戒理由にあたると明言していません。
 懲戒請求者が懲戒請求があると考えたことには相当の理由があると力説しているだけです。
 懲戒理由があるのであれば、懲戒請求は原則として違法になりませんから、請求者に「弁護士の品位を失うべき行為と判断したことには事実上及び法律上の相当な根拠」があることについてそんなに力説する必要はないはずなんですけどね。

 最後にひとこと言っておきますけど、私はこのエントリで刑事弁護制度の維持の重要性を指摘しているのですが、上告審や差戻審になってころっと供述を変えたり、ドラえもんや魔界転生の話を持ち出しても、裁判所がそれをやすやすと信用することはないということも指摘しておきます。
 弁護団の中にも、被告人がそう言うんだから仕方がないな、と思っている人もいるかも知れません。
 このあたりの問題については、
「被告人を守るということ」と「被告人の自己責任」
刑事裁判と被告人の納得(光市母子殺害事件から)
なども参考にしてください。
モトケン (2007年9月27日 11:06) | コメント(154) このエントリーを含むはてなブックマーク  (Top)

引用:懲戒理由の存否と懲戒請求の違法性の存否 – 元検弁護士のつぶやき

送信者 元検弁護士のつぶやき

送信者 元検弁護士のつぶやき

送信者 元検弁護士のつぶやき

送信者 元検弁護士のつぶやき

送信者 元検弁護士のつぶやき

世間に対する説明責任の問題ですが、これも話になりません<元検弁護士のつぶ やき>



懲戒理由の存否と懲戒請求の違法性の存否

 言うまでもなく、橋下答弁書の問題です。
 こんなことは原告弁護団に任せておけばいいのですが、乗りかかった船ですので主として懲戒理由の観点からコメントしておきます。

 最初に確認すべきは、「懲戒理由があるかないか」という問題と「懲戒請求者の請求行為に違法性があるかないか」という問題は、関連はしますが完全に別問題であるということです。
 懲戒請求書に書いた懲戒理由が明らかに懲戒理由にならないものであるとしても、法律の素人である一般市民がそれなりの理由で懲戒理由があると思ったのであれば、懲戒請求には違法性がない、つまり懲戒請求者に対する損害賠償請求は認められないということです。答弁書はこの論理を使っていると思われます。
 ここで問題にするのは、「それなりの理由」のほうではなく、橋下答弁書の指摘する事情が懲戒理由になるかどうかです。

 私は、原告団全員の名前や光市弁護団へ参加した経緯を知りませんので、ある程度の情報がある今枝弁護士を念頭において考えます。

 答弁書から今枝弁護士について問題になる点を答弁書の8ページ~9ページから要約してピックアップしますと

  1 差戻審では、殺意の否認などの主張は許されない。
  2 被告人の主張の変更は許されない。
  3 世間に対する説明責任を果たしていない。 

ということになります。(他にもありそうですが、論外なので割愛)
 上記の1は、法廷における弁護活動についてのものですが、ここで主張と立証は分けて考える必要があります。
 弁護人が事実認定上の主張をすることは、判決確定後においても再審請求手続ですることが可能ですから、訴訟の何時の時点においても主張すること自体を制限される理由がなく、刑事弁護制度としては主張すること自体は保障されなければいけません。
 主張自体を制限することは刑事弁護制度の否定につながります。
 そして、いかなる事実を主張するかは、最も詳細に証拠の全体を把握している弁護人の判断が最優先されるべきであり、また弁護人の主張は被告人の主張に拘束されますから(これも刑事弁護の大原則)、弁護人が被告人の供述や主張に沿った内容の主張をすることは、その内容如何にかかわらず何の問題もなく、被告人の供述に沿う主張をしなければそのことこそが問題にされるべきものです。
 したがって、弁護人の主張が被告人の供述に沿うものである限り、主張したこと自体を理由にしたり主張の内容を根拠として懲戒理由ありとすることは、その主張の内容がいかに荒唐無稽であったとしても、できないことになります。
 本件の弁護団の主張とその内容を問題にして弁護士会が弁護人に懲戒処分を下せば、刑事弁護全体に対する強力な萎縮効果をもたらし、刑事弁護制度そのものが崩壊します。
 
 次に立証、つまり鑑定人の尋問をしたり被告人質問をしたことの問題ですが、これは簡単です。
 裁判所が許可したのだから何の問題もありません。
 裁判所が許可した訴訟行為を行ったことを理由として懲戒処分されたのではたまりません。
 弁護団が裁判所が許可した範囲で立証活動をしている限り、懲戒理由にはなり得ません。

 2の「被告人の主張の変更は許されない。」に至っては「はぁ????????????(以下、いくつでも?がつけられる)」な主張(?)です。
 あまりにばかばかしくて反論する理由すら思い浮かばない主張です。
 被告人が供述を変遷させた場合に、被告人の供述の信用性に問題が生じますが、弁護人としては、被告人が供述を変遷させた以上、現時点における供述に基づいて弁護をするのは当たり前です。
 そして、被告人はいったん認めた以上、後で否認することは許さない、というのであれば、あなたほんとに司法研修所を卒業したのですか、ほんとに弁護士ですか、と言われても仕方がないほどの刑事事件に対する無知・無理解を示す主張です。
 なお、橋下答弁書は、供述変更の可否の問題と変更した供述に基づく証拠調べの許否の問題を完全に混同しているように思われます。
 主張変更を前提とする証拠調べが認められないことがあるという判例によって、主張の変更自体が許されない、と主張しているようです。
 平ったくいいますと、裁判所としては、主張を変更するのは被告人の勝手ですが、証拠調べの必要性は裁判所で判断します、ということです。主張の変更を許さないと言っているわけではありません。

 3の世間に対する説明責任の問題ですが、これも話になりません。
 弁護人は、被告人の利益を最優先して行動しなければなりません。
 橋下弁護士は主として供述変遷の理由についての説明を求めているようですが、差戻審の途中であり、供述の変遷を大きな争点として強力な対立当事者である検察官を相手にして戦っている弁護人に対して、立証が終了してもいないのにマスコミに対して変遷の理由を説明しろということがいかに無茶な注文であるかは、供述の変遷が争点になった刑事事件を一件でもやったことのある弁護士にとってはあまりにも明らかなことです。

 要するに、懲戒理由の存否という問題に関する限り、ないことは明らかです。
 もちろん、私の見解は、弁護人というものは被告人の利益を最優先して考えるべきであるという伝統的な刑事弁護制度の理解を前提にしています。
 被告人の利益を損なう可能性があるとしても世間の理解を優先すべきである、という考えに立てば別の結論になります。
 しかし、日弁連は絶対にそのような考え方を採用しません。
 最高裁の考え方も同様だと思います。
 私が、断言する根拠はこの確信に基づきます。
 なぜ確信できるかというと、何度も言っているように、被告人の利益を最優先して考えるというのが、現憲法下における司法制度において弁護人に期待されそして負わされている最も基本的かつ動かしがたい大原則だからです。
 この大原則から、上記にピックアップした事情は懲戒理由にならないことが論理的に誘導されます。

 そして、橋下弁護士の答弁書には、この大原則を揺るがすに足る説得力がありません。
 この大原則は、法律で変更でもしない限り、たとえ100万通の懲戒請求書が提出されても揺るがすべきではないと思いますし、揺るがないと思います。

 実は、橋下弁護士は、答弁書において自分が指摘した弁護団の弁護活動や説明義務不履行が懲戒理由にあたると明言していません。
 懲戒請求者が懲戒請求があると考えたことには相当の理由があると力説しているだけです。
 懲戒理由があるのであれば、懲戒請求は原則として違法になりませんから、請求者に「弁護士の品位を失うべき行為と判断したことには事実上及び法律上の相当な根拠」があることについてそんなに力説する必要はないはずなんですけどね。

 最後にひとこと言っておきますけど、私はこのエントリで刑事弁護制度の維持の重要性を指摘しているのですが、上告審や差戻審になってころっと供述を変えたり、ドラえもんや魔界転生の話を持ち出しても、裁判所がそれをやすやすと信用することはないということも指摘しておきます。
 弁護団の中にも、被告人がそう言うんだから仕方がないな、と思っている人もいるかも知れません。
 このあたりの問題については、
「被告人を守るということ」と「被告人の自己責任」
刑事裁判と被告人の納得(光市母子殺害事件から)
なども参考にしてください。
モトケン (2007年9月27日 11:06) | コメント(154) このエントリーを含むはてなブックマーク  (Top)

引用:懲戒理由の存否と懲戒請求の違法性の存否 – 元検弁護士のつぶやき

送信者 元検弁護士のつぶやき

送信者 元検弁護士のつぶやき

送信者 元検弁護士のつぶやき

送信者 元検弁護士のつぶやき

送信者 元検弁護士のつぶやき

いかなる事実を主張するかは、最も詳細に証拠の全体を把握している弁護人の判 断が最優先されるべき<元検弁護士のつぶやき>



懲戒理由の存否と懲戒請求の違法性の存否

 言うまでもなく、橋下答弁書の問題です。
 こんなことは原告弁護団に任せておけばいいのですが、乗りかかった船ですので主として懲戒理由の観点からコメントしておきます。

 最初に確認すべきは、「懲戒理由があるかないか」という問題と「懲戒請求者の請求行為に違法性があるかないか」という問題は、関連はしますが完全に別問題であるということです。
 懲戒請求書に書いた懲戒理由が明らかに懲戒理由にならないものであるとしても、法律の素人である一般市民がそれなりの理由で懲戒理由があると思ったのであれば、懲戒請求には違法性がない、つまり懲戒請求者に対する損害賠償請求は認められないということです。答弁書はこの論理を使っていると思われます。
 ここで問題にするのは、「それなりの理由」のほうではなく、橋下答弁書の指摘する事情が懲戒理由になるかどうかです。

 私は、原告団全員の名前や光市弁護団へ参加した経緯を知りませんので、ある程度の情報がある今枝弁護士を念頭において考えます。

 答弁書から今枝弁護士について問題になる点を答弁書の8ページ~9ページから要約してピックアップしますと

  1 差戻審では、殺意の否認などの主張は許されない。
  2 被告人の主張の変更は許されない。
  3 世間に対する説明責任を果たしていない。 

ということになります。(他にもありそうですが、論外なので割愛)
 上記の1は、法廷における弁護活動についてのものですが、ここで主張と立証は分けて考える必要があります。
 弁護人が事実認定上の主張をすることは、判決確定後においても再審請求手続ですることが可能ですから、訴訟の何時の時点においても主張すること自体を制限される理由がなく、刑事弁護制度としては主張すること自体は保障されなければいけません。
 主張自体を制限することは刑事弁護制度の否定につながります。
 そして、いかなる事実を主張するかは、最も詳細に証拠の全体を把握している弁護人の判断が最優先されるべきであり、また弁護人の主張は被告人の主張に拘束されますから(これも刑事弁護の大原則)、弁護人が被告人の供述や主張に沿った内容の主張をすることは、その内容如何にかかわらず何の問題もなく、被告人の供述に沿う主張をしなければそのことこそが問題にされるべきものです。
 したがって、弁護人の主張が被告人の供述に沿うものである限り、主張したこと自体を理由にしたり主張の内容を根拠として懲戒理由ありとすることは、その主張の内容がいかに荒唐無稽であったとしても、できないことになります。
 本件の弁護団の主張とその内容を問題にして弁護士会が弁護人に懲戒処分を下せば、刑事弁護全体に対する強力な萎縮効果をもたらし、刑事弁護制度そのものが崩壊します。
 
 次に立証、つまり鑑定人の尋問をしたり被告人質問をしたことの問題ですが、これは簡単です。
 裁判所が許可したのだから何の問題もありません。
 裁判所が許可した訴訟行為を行ったことを理由として懲戒処分されたのではたまりません。
 弁護団が裁判所が許可した範囲で立証活動をしている限り、懲戒理由にはなり得ません。

 2の「被告人の主張の変更は許されない。」に至っては「はぁ????????????(以下、いくつでも?がつけられる)」な主張(?)です。
 あまりにばかばかしくて反論する理由すら思い浮かばない主張です。
 被告人が供述を変遷させた場合に、被告人の供述の信用性に問題が生じますが、弁護人としては、被告人が供述を変遷させた以上、現時点における供述に基づいて弁護をするのは当たり前です。
 そして、被告人はいったん認めた以上、後で否認することは許さない、というのであれば、あなたほんとに司法研修所を卒業したのですか、ほんとに弁護士ですか、と言われても仕方がないほどの刑事事件に対する無知・無理解を示す主張です。
 なお、橋下答弁書は、供述変更の可否の問題と変更した供述に基づく証拠調べの許否の問題を完全に混同しているように思われます。
 主張変更を前提とする証拠調べが認められないことがあるという判例によって、主張の変更自体が許されない、と主張しているようです。
 平ったくいいますと、裁判所としては、主張を変更するのは被告人の勝手ですが、証拠調べの必要性は裁判所で判断します、ということです。主張の変更を許さないと言っているわけではありません。

 3の世間に対する説明責任の問題ですが、これも話になりません。
 弁護人は、被告人の利益を最優先して行動しなければなりません。
 橋下弁護士は主として供述変遷の理由についての説明を求めているようですが、差戻審の途中であり、供述の変遷を大きな争点として強力な対立当事者である検察官を相手にして戦っている弁護人に対して、立証が終了してもいないのにマスコミに対して変遷の理由を説明しろということがいかに無茶な注文であるかは、供述の変遷が争点になった刑事事件を一件でもやったことのある弁護士にとってはあまりにも明らかなことです。

 要するに、懲戒理由の存否という問題に関する限り、ないことは明らかです。
 もちろん、私の見解は、弁護人というものは被告人の利益を最優先して考えるべきであるという伝統的な刑事弁護制度の理解を前提にしています。
 被告人の利益を損なう可能性があるとしても世間の理解を優先すべきである、という考えに立てば別の結論になります。
 しかし、日弁連は絶対にそのような考え方を採用しません。
 最高裁の考え方も同様だと思います。
 私が、断言する根拠はこの確信に基づきます。
 なぜ確信できるかというと、何度も言っているように、被告人の利益を最優先して考えるというのが、現憲法下における司法制度において弁護人に期待されそして負わされている最も基本的かつ動かしがたい大原則だからです。
 この大原則から、上記にピックアップした事情は懲戒理由にならないことが論理的に誘導されます。

 そして、橋下弁護士の答弁書には、この大原則を揺るがすに足る説得力がありません。
 この大原則は、法律で変更でもしない限り、たとえ100万通の懲戒請求書が提出されても揺るがすべきではないと思いますし、揺るがないと思います。

 実は、橋下弁護士は、答弁書において自分が指摘した弁護団の弁護活動や説明義務不履行が懲戒理由にあたると明言していません。
 懲戒請求者が懲戒請求があると考えたことには相当の理由があると力説しているだけです。
 懲戒理由があるのであれば、懲戒請求は原則として違法になりませんから、請求者に「弁護士の品位を失うべき行為と判断したことには事実上及び法律上の相当な根拠」があることについてそんなに力説する必要はないはずなんですけどね。

 最後にひとこと言っておきますけど、私はこのエントリで刑事弁護制度の維持の重要性を指摘しているのですが、上告審や差戻審になってころっと供述を変えたり、ドラえもんや魔界転生の話を持ち出しても、裁判所がそれをやすやすと信用することはないということも指摘しておきます。
 弁護団の中にも、被告人がそう言うんだから仕方がないな、と思っている人もいるかも知れません。
 このあたりの問題については、
「被告人を守るということ」と「被告人の自己責任」
刑事裁判と被告人の納得(光市母子殺害事件から)
なども参考にしてください。
モトケン (2007年9月27日 11:06) | コメント(154) このエントリーを含むはてなブックマーク  (Top)

引用:懲戒理由の存否と懲戒請求の違法性の存否 – 元検弁護士のつぶやき

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弁護士がまったく世論を気にしないで弁護をしたとしても、それをもって懲戒理 由になるという意見に対しては絶対反対<元検弁護士のつぶやき>



弁護士は世論を気にする必要があるか

 昼休みに一言。
 刑事弁護限定ですが。

 やっぱり気にしないより気にしたほうがいいかな。
 でも、刑事弁護士が世論を気にする、ということはいったい弁護士がどのような行動を取ることを意味するのだろう???
 ただ単に「気にする」だけなら問題はなにもないと思うけど、行動を要求されると、「ちょっと待てよ。」と考えてしまう。 

 その問題とは別に、弁護士がまったく世論を気にしないで弁護をしたとしても、それをもって懲戒理由になるという意見に対しては絶対反対。

 このエントリのきっかけはココ
モトケン (2007年9月28日 12:38) | コメント(198) | トラックバック(0) このエントリーを含むはてなブックマーク  (Top)

引用:弁護士は世論を気にする必要があるか – 元検弁護士のつぶやき

送信者 元検弁護士のつぶやき

私の意見は素人意見ではなく玄人意見であることをまず確認したい<元検弁護士 のつぶやき>



最近のコメント欄の感想

 以前からの常連さんは、光市母子殺害事件について、私がさまざまな観点から述べた意見をご存じですから、私の基本的なスタンスや刑事弁護士としての私がどのような考え方をするのか、またそれを通じて刑事弁護とはどういうものかについて程度の差はあるかも知れませんがある程度の理解はしてもらっていると思います。

 しかし、最近の各所のリンク先からの訪問者で、特に橋下弁護士批判のエントリしか読んでいないコメント投稿者は、そういう基礎的な理解なしにもろに素人感覚で投稿されます。
 そのこと自体を批判することはできませんが、私の意見は素人意見ではなく玄人意見であることをまず確認したいと思います。
 要するに、土俵が違うという感じを持っています。

 素人の皆さんは、主としてメディアから得た情報をもとに、目の前にある光市母子殺害事件の弁護活動とその内容及びそれに対する橋下弁護士の批判というか非難についての率直なまたは素朴な感想を述べておられるように思います。
 
 しかし、プロとして刑事弁護に携わっている私(やその他の弁護士)としては、橋下弁護士がとった行動およびそれに誘発された懲戒請求が、他事件に一般化された場合のことを考えないわけにはいきません。
 他事件の中には冤罪事件が含まれてくる可能性を無視することはできません。
 つまり、玄人としては、制度論的な視点を忘れることができないのです。

 そして現在の制度は、これまでの歴史的教訓をもとに、考えられるあらゆる利害対立や価値観の調整、正反対の性格を有する事件についても最大限の具体的妥当性を図りつつ法的安定性を確保するための仕組みを考え抜き、神ならぬ人間の営みの限界の中で理想を追求した結果として成立しています。
 もちろん、もともと矛盾する現実の中で理想を追求しているわけですから、理想にはほど遠い制度ではあります。
 
 しかし、矛盾や欠陥があるとしても、現在の到達点としての制度の仕組みとそのよって立っている基本的な考え方は何かという興味・関心くらいは持っていただきたいものだな、と思っています。
モトケン (2007年9月29日 19:33) | コメント(597) このエントリーを含むはてなブックマーク  (Top)

引用:最近のコメント欄の感想 – 元検弁護士のつぶやき

送信者 元検弁護士のつぶやき

送信者 元検弁護士のつぶやき

玄人としては、制度論的な視点を忘れることができないのです<元検弁護士のつ ぶやき>



最近のコメント欄の感想

 以前からの常連さんは、光市母子殺害事件について、私がさまざまな観点から述べた意見をご存じですから、私の基本的なスタンスや刑事弁護士としての私がどのような考え方をするのか、またそれを通じて刑事弁護とはどういうものかについて程度の差はあるかも知れませんがある程度の理解はしてもらっていると思います。

 しかし、最近の各所のリンク先からの訪問者で、特に橋下弁護士批判のエントリしか読んでいないコメント投稿者は、そういう基礎的な理解なしにもろに素人感覚で投稿されます。
 そのこと自体を批判することはできませんが、私の意見は素人意見ではなく玄人意見であることをまず確認したいと思います。
 要するに、土俵が違うという感じを持っています。

 素人の皆さんは、主としてメディアから得た情報をもとに、目の前にある光市母子殺害事件の弁護活動とその内容及びそれに対する橋下弁護士の批判というか非難についての率直なまたは素朴な感想を述べておられるように思います。
 
 しかし、プロとして刑事弁護に携わっている私(やその他の弁護士)としては、橋下弁護士がとった行動およびそれに誘発された懲戒請求が、他事件に一般化された場合のことを考えないわけにはいきません。
 他事件の中には冤罪事件が含まれてくる可能性を無視することはできません。
 つまり、玄人としては、制度論的な視点を忘れることができないのです。

 そして現在の制度は、これまでの歴史的教訓をもとに、考えられるあらゆる利害対立や価値観の調整、正反対の性格を有する事件についても最大限の具体的妥当性を図りつつ法的安定性を確保するための仕組みを考え抜き、神ならぬ人間の営みの限界の中で理想を追求した結果として成立しています。
 もちろん、もともと矛盾する現実の中で理想を追求しているわけですから、理想にはほど遠い制度ではあります。
 
 しかし、矛盾や欠陥があるとしても、現在の到達点としての制度の仕組みとそのよって立っている基本的な考え方は何かという興味・関心くらいは持っていただきたいものだな、と思っています。
モトケン (2007年9月29日 19:33) | コメント(597) このエントリーを含むはてなブックマーク  (Top)

引用:最近のコメント欄の感想 – 元検弁護士のつぶやき

送信者 元検弁護士のつぶやき

送信者 元検弁護士のつぶやき

懲戒請求が、他事件に一般化された場合のことを考えないわけにはいきません <元検弁護士のつぶやき>



最近のコメント欄の感想

 以前からの常連さんは、光市母子殺害事件について、私がさまざまな観点から述べた意見をご存じですから、私の基本的なスタンスや刑事弁護士としての私がどのような考え方をするのか、またそれを通じて刑事弁護とはどういうものかについて程度の差はあるかも知れませんがある程度の理解はしてもらっていると思います。

 しかし、最近の各所のリンク先からの訪問者で、特に橋下弁護士批判のエントリしか読んでいないコメント投稿者は、そういう基礎的な理解なしにもろに素人感覚で投稿されます。
 そのこと自体を批判することはできませんが、私の意見は素人意見ではなく玄人意見であることをまず確認したいと思います。
 要するに、土俵が違うという感じを持っています。

 素人の皆さんは、主としてメディアから得た情報をもとに、目の前にある光市母子殺害事件の弁護活動とその内容及びそれに対する橋下弁護士の批判というか非難についての率直なまたは素朴な感想を述べておられるように思います。
 
 しかし、プロとして刑事弁護に携わっている私(やその他の弁護士)としては、橋下弁護士がとった行動およびそれに誘発された懲戒請求が、他事件に一般化された場合のことを考えないわけにはいきません。
 他事件の中には冤罪事件が含まれてくる可能性を無視することはできません。
 つまり、玄人としては、制度論的な視点を忘れることができないのです。

 そして現在の制度は、これまでの歴史的教訓をもとに、考えられるあらゆる利害対立や価値観の調整、正反対の性格を有する事件についても最大限の具体的妥当性を図りつつ法的安定性を確保するための仕組みを考え抜き、神ならぬ人間の営みの限界の中で理想を追求した結果として成立しています。
 もちろん、もともと矛盾する現実の中で理想を追求しているわけですから、理想にはほど遠い制度ではあります。
 
 しかし、矛盾や欠陥があるとしても、現在の到達点としての制度の仕組みとそのよって立っている基本的な考え方は何かという興味・関心くらいは持っていただきたいものだな、と思っています。
モトケン (2007年9月29日 19:33) | コメント(597) このエントリーを含むはてなブックマーク  (Top)

引用:最近のコメント欄の感想 – 元検弁護士のつぶやき

送信者 元検弁護士のつぶやき

送信者 元検弁護士のつぶやき

他事件の中には冤罪事件が含まれてくる可能性を無視することはできません<元 検弁護士のつぶやき>



最近のコメント欄の感想

 以前からの常連さんは、光市母子殺害事件について、私がさまざまな観点から述べた意見をご存じですから、私の基本的なスタンスや刑事弁護士としての私がどのような考え方をするのか、またそれを通じて刑事弁護とはどういうものかについて程度の差はあるかも知れませんがある程度の理解はしてもらっていると思います。

 しかし、最近の各所のリンク先からの訪問者で、特に橋下弁護士批判のエントリしか読んでいないコメント投稿者は、そういう基礎的な理解なしにもろに素人感覚で投稿されます。
 そのこと自体を批判することはできませんが、私の意見は素人意見ではなく玄人意見であることをまず確認したいと思います。
 要するに、土俵が違うという感じを持っています。

 素人の皆さんは、主としてメディアから得た情報をもとに、目の前にある光市母子殺害事件の弁護活動とその内容及びそれに対する橋下弁護士の批判というか非難についての率直なまたは素朴な感想を述べておられるように思います。
 
 しかし、プロとして刑事弁護に携わっている私(やその他の弁護士)としては、橋下弁護士がとった行動およびそれに誘発された懲戒請求が、他事件に一般化された場合のことを考えないわけにはいきません。
 他事件の中には冤罪事件が含まれてくる可能性を無視することはできません。
 つまり、玄人としては、制度論的な視点を忘れることができないのです。

 そして現在の制度は、これまでの歴史的教訓をもとに、考えられるあらゆる利害対立や価値観の調整、正反対の性格を有する事件についても最大限の具体的妥当性を図りつつ法的安定性を確保するための仕組みを考え抜き、神ならぬ人間の営みの限界の中で理想を追求した結果として成立しています。
 もちろん、もともと矛盾する現実の中で理想を追求しているわけですから、理想にはほど遠い制度ではあります。
 
 しかし、矛盾や欠陥があるとしても、現在の到達点としての制度の仕組みとそのよって立っている基本的な考え方は何かという興味・関心くらいは持っていただきたいものだな、と思っています。
モトケン (2007年9月29日 19:33) | コメント(597) このエントリーを含むはてなブックマーク  (Top)

引用:最近のコメント欄の感想 – 元検弁護士のつぶやき

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プロとして刑事弁護に携わっている私(やその他の弁護士)としては<元検弁護 士のつぶやき>



最近のコメント欄の感想

 以前からの常連さんは、光市母子殺害事件について、私がさまざまな観点から述べた意見をご存じですから、私の基本的なスタンスや刑事弁護士としての私がどのような考え方をするのか、またそれを通じて刑事弁護とはどういうものかについて程度の差はあるかも知れませんがある程度の理解はしてもらっていると思います。

 しかし、最近の各所のリンク先からの訪問者で、特に橋下弁護士批判のエントリしか読んでいないコメント投稿者は、そういう基礎的な理解なしにもろに素人感覚で投稿されます。
 そのこと自体を批判することはできませんが、私の意見は素人意見ではなく玄人意見であることをまず確認したいと思います。
 要するに、土俵が違うという感じを持っています。

 素人の皆さんは、主としてメディアから得た情報をもとに、目の前にある光市母子殺害事件の弁護活動とその内容及びそれに対する橋下弁護士の批判というか非難についての率直なまたは素朴な感想を述べておられるように思います。
 
 しかし、プロとして刑事弁護に携わっている私(やその他の弁護士)としては、橋下弁護士がとった行動およびそれに誘発された懲戒請求が、他事件に一般化された場合のことを考えないわけにはいきません。
 他事件の中には冤罪事件が含まれてくる可能性を無視することはできません。
 つまり、玄人としては、制度論的な視点を忘れることができないのです。

 そして現在の制度は、これまでの歴史的教訓をもとに、考えられるあらゆる利害対立や価値観の調整、正反対の性格を有する事件についても最大限の具体的妥当性を図りつつ法的安定性を確保するための仕組みを考え抜き、神ならぬ人間の営みの限界の中で理想を追求した結果として成立しています。
 もちろん、もともと矛盾する現実の中で理想を追求しているわけですから、理想にはほど遠い制度ではあります。
 
 しかし、矛盾や欠陥があるとしても、現在の到達点としての制度の仕組みとそのよって立っている基本的な考え方は何かという興味・関心くらいは持っていただきたいものだな、と思っています。
モトケン (2007年9月29日 19:33) | コメント(597) このエントリーを含むはてなブックマーク  (Top)

引用:最近のコメント欄の感想 – 元検弁護士のつぶやき

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刑事弁護に対する無理解と誤解を助長し、これから刑事弁護に<元検弁護士のつ ぶやき>



刑事弁護士をもっと

冤罪防止 “刑事弁護士”をもっと(中日新聞社説 ウェブ魚拓 ボツネタ経由)

 裁判員裁判の実施、被疑者国選弁護の拡大を前に、「刑事に強い」弁護士の大量育成が急がれる。冤罪(えんざい)防止のためには、使命感はもとより、豊かな知識と弁護技術を兼ね備えた弁護士が必要だ。

 私が、橋下弁護士による懲戒扇動問題を強く批判している大きな理由はここにあります。
 豊かな知識と弁護技術を兼ね備えた弁護士は一朝一夕には養成できません。
 刑事弁護に熱意をもって取り組む若手弁護士の絶対数が必要です。

 弁護活動に対する被疑者、被告人の不満はしばしば聞く。日弁連は重く受け止め、弁護活動を客観的にチェックしなければならない。

 個々の事件の弁護活動の当否を判断するのはとても難しいのですが、富山県の強姦冤罪事件などを見ますと、問題のある弁護活動の検証作業は必要であろうと思われます。

 しかし、弁護活動に対する批判・検討は、被害者側に偏った不十分な情報に基づく感情的な批判であってはならないと考えます。
 その意味で、マスコミの報道に触発された市民感情を正当化の根拠とするような懲戒扇動が頻発するような事態が生じるとすれば、弁護活動に対する正当な批判・評価を妨げることになるばかりでなく、刑事弁護に対する無理解と誤解を助長し、これから刑事弁護に取り組んでみようとする若手弁護士の意欲を大きく減殺する結果になることを強く危惧するのです。

 冤罪を1件でも減らすためには、世間の批判を一身に浴びるかのような被告人にこそ、刑事弁護が最も有効に機能すべきであると思います。

 但し、私は弁護人のマスコミ対応が不十分であることをもって懲戒理由と考えることには強く反対しますが、裁判員制度を視野に入れた弁護技術としてマスコミ対策の重要性が増加していることは事実であると感じています。
 その点については別に述べてみたいと思います。
モトケン (2007年10月31日 01:11) | コメント(53) このエントリーを含むはてなブックマーク  (Top)

引用:刑事弁護士をもっと – 元検弁護士のつぶやき

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